プーチン時代の若者がロシアで台頭 抱く愛国心と憂鬱
ロシア人の多くは、ソ連が74年間続けた実験的な国家運営の申し子と言える。それぞれの家族が背負う、ささやかな歴史や悲劇が、ソ連の悲劇的な歴史に組み込まれている。しかし今、新しい世代が育ちつつある。90年代に痛手を負った祖国と、プーチンによるその後の強権支配しか知らない世代だ。彼らはどんな人間で、人生に何を望み、祖国ロシアに何を期待しているのか。
ウラル山脈の東側に位置する工業都市ニジニ・タギルは、ソ連時代は鉄道車両と戦車の製造で有名だった。しかし、今は操業停止の工場と失業、それにプーチン支持で知られているという。2011年、ウラジーミル・プーチンが大統領選挙へ3度目の出馬を表明すると、モスクワなどの大都市で抗議運動が起こった。運動を起こした人の多くは都市部に暮らす高学歴の若い中間層だった。
一方、ニジニ・タギルの工場労働者は同じ年の冬、自分たちはいつでもモスクワに出向いて反対者をたたきのめすと、国営テレビの取材に答えた。それ以来、この町は強力なプーチン支持の町として知られるようになった。
若者たちの夢は持ち家や車
ニジニ・タギルで私が会った24歳の男性、サーシャ・マカレビッチは、長時間の勤務で疲れきっていた。この町の人たちは過激なほど体制寄りだと、サーシャは言う。「自分たちと異なる立場の人間を容赦なく攻撃するんだ」。サーシャも、素手やナイフで戦うことを覚えた。けんかをして、相手の血で汚れた姿で歩いて帰宅したのだと話すサーシャは、妙に楽しげだった。
サーシャには夢がある。国際色豊かなサンクトペテルブルクに出て、バーを開くことだ。この大都会には数回行ったことがあり、彼自身は居心地がいいと感じている。けれども恋人は、向こうにマンションを買わないとついてきてくれないだろう。サーシャと彼女の稼ぎを考えれば、夢のままで終わる可能性が高い。
若者たちの希望にあふれる夢に立ちはだかるのが、プーチン支配下のロシアの現実だ。海外旅行をしたくとも、経済危機によってルーブルの価値は半減した。会社を始めようにも、地元には腐敗が横行し、危険な橋をいくつも渡らなくてはならない。いきおい彼らの夢は、家を買いたい、車が欲しい、家庭をもちたいといった現実的なものになる。親の世代が暗黒の90年代を経験したせいで、若者たちはそんなものさえ手にしたことがないのだ。
「90年代は家計がとても苦しかった。1998年には父が家を出ていった」と話すのは、ニジニ・タギルに暮らす20歳のアレクサンドル・クズネツォフだ。そのとき彼は3歳だった。「母の稼ぎでは、ぼくを食べさせるのがやっと。おもちゃも少なかったし、誰にもかまってもらえなかった」。そんな幼少期が今も影を落としている。「自分にとって一番大切なのは家族だ」「とにかく安定した収入が欲しいんだ」
アレクサンドルとカフェで話しているところに、1992年生まれの友人、ステパンがやって来た。「ソ連時代がどうだったかという記事を書いてるの? あの頃はいい暮らしだった」
「まさか! そんなわけないよ!」アレクサンドルが大きな声で言った。
2人はソ連時代の生活についてひとしきり言い合っていたが、そのうちステパンが、私に聞きたいことがあると言いだした。「きみたち米国人はこの国に圧力をかけ、経済制裁で打撃を与えている。いったい何をしたいんだ? 戦争かい?」そして、クリミア編入と、プーチンの欧米に対する強硬姿勢がいかに正しいか力説した。
ステパンは、私が米国人ジャーナリストだからという理由で姓を明かさなかったが、取材後に私を車で送ってくれた。彼はハンドルを握ったまま、誰にともなく話し始める。
「実を言えば、ぼくはここを出たいんだ」
ニジニ・タギルから?
「いや、ロシアから」
さっきまでの愛国心むき出しの主張とは裏腹な告白に、私は戸惑った。いったいなぜ?
「この国では何もできない。チャンスはないし、自分の成長や飛躍なんて見込めないんだ」
(文=ジュリア・ヨッフェ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2016年12月号の記事を再構成]
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