今月は公的年金をマネーハックしてみました。先入観で公的年金制度に対するマイナスイメージを持ったままずっと過ごすのはもったいないことです。
適当な理解が年金制度には必要です。もちろん「適当な理解」とは「ほどほどの理解」とか「ちょうどいい理解」という意味です。それでは、まとめです。
公的年金は破綻のリスクは低い
わが国の公的年金制度は破綻するものだと多くの人が考えているのですが、破綻のリスクがきわめて低いことは国の「財政検証結果」というシミュレーションによって明らかとなっています。
国の制度として考えたとき、「国家体制は維持されているが年金制度だけ破綻する」というのは非現実的です。
また、国民の老後を支えるという観点では「公的年金がなければ、国は生活保護費を払う」ということになります。
生活保護は全額税金を財源としていますので、国民の納めた保険料と税金をもって給付をまかなっている年金制度を維持するほうが、国にとっては合理的です。
いろいろ考え合わせてみると、年金制度が破綻するのは日本という国家体制も破綻したときだと思います。それこそマンガ「北斗の拳」のような世界になれば年金制度は破綻するでしょうが、そういう空想はやはり空想でしかありません。
年金給付の引き下げは避けられない
しかし、年金給付水準の引き下げは避けられません。現在行われている「マクロ経済スライド」は、毎年ごくわずかの引き下げを行う(計画では物価上昇時に給付はわずかな上げとすることで、実質的な引き下げを行う)こととしています。
こうした引き下げで破綻を避けることができるのですが、わが国の年金制度で現状の枠組みを維持しようとすれば、さらなる引き下げは不可避でしょう。
それは少子化と長寿化の問題というより、「国が長く年金を払いすぎている」ということにあります。日本が世界でトップクラスの長寿国であることは知られているところですが、経済協力開発機構(OECD)加盟国の多くが年金受給開始年齢の引き上げを決定している中、日本は65歳からさらに引き上げる計画を決めていません(65歳までの引き上げは2025年までに段階的に実施中)。
いってしまえば「世界的に早く年金をもらい、世界的にもっとも長生きをする」わけですから、「世界的に年金負担が重い国」ということになります。だとすれば、「毎月の年金額を引き下げてそのバランスを取るしかない」のが公的年金制度の残された選択肢です。それが私たちの不満感に通じており、あまりいい話ではありません。
働ける限り働き、働けなくなったら年金をもらう社会に
社会保障制度のひとつである年金の役割はもともと、「働けなくなる年齢になったとき、所得を得られなくなったとしても国がそれを補う」というものです。
ところが、現在の65歳到達者の多くはまだまだ元気です。私の周囲でも普通に午前9時から午後5時まで働くことができ、仕事が終われば楽しくビールを飲んでいるような65歳がたくさんいます。NIKKEI STYLE マネー研究所で「定年楽園への扉」を連載中の大江英樹さんも毎月10回以上は講演しており、全国を飛び回っていますが年齢を感じさせないほどお元気です。
しかしながら、「働けるけれど、年金がもらえるので引退してしまう」という人がたくさんいるのは社会的に損失です。年金財政としては保険料の担い手を減らし、もらい手を増やしているだけです。
あまりにも長いセカンドライフは、自助努力の面でも苦労を強いられます。なにせ65歳から20年以上無職の時間を過ごすわけですから、老後が長く、ゆとりのための必要資金も高額になるからです。老後に経済的に苦しむ人が多いのも、長すぎる老後に一因があるともいえます。
「働ける期間を少しだけ長くし、無給で過ごす老後を少し短くする」というマネーハック的発想の逆転があれば、もしかするともっと豊かな老後になるかもしれません。
損得論や世代間の不公平論、あるいは年金破綻論のような議論はそろそろ卒業して、大人として公的年金とのつきあい方を考えてみてほしいと思います。
