「睡眠時間が6時間を切ると辛い」
「睡眠不足になると眠気や疲労感がひどい」
「睡眠不足ぎみだから、今週末は寝だめをしよう」
眠気、頭痛、だるさなど、誰しも睡眠不足の辛さは経験したことがある。何時間くらい眠れば寝不足感がないか経験的に知っている。だから自分が睡眠不足かどうか知ることはたやすい、皆さんそうお考えではないだろうか。
しかし、そのような“常識”は正しくないことが私たちの研究で明らかになり、科学誌「SCIENTIFIC REPORTS」に論文が掲載された。この内容については、先日、プレスリリースも発表した。
http://www.ncnp.go.jp/press/release.html?no=124
現代人の多くが自覚できない睡眠不足を抱えており、しかも想像以上に心身に悪影響を与えていることを示唆する研究データが得られ、皆さんに知っていただきたいと思ったからである。
今回は、この『潜在的睡眠不足』についてもう少し深く掘り下げた解説を加えたい。
標準的な睡眠時間で、日中には不調なし。万々歳のはずだが…
研究の概要をご説明する。
研究対象は20代の男性15名である。「適切な睡眠習慣で生活している」という自信がある人に参加してもらった。実際、日中の眠気は感じておらず、事前に行った睡眠ポリグラフ試験でも睡眠の質・量ともに問題はなかった。
特殊な睡眠判定デバイスで測定した自宅での平均睡眠時間は7時間22分であった。これは日本国内の大規模調査や世界中で行われた睡眠研究でも、20代男性の標準的な睡眠時間である。
標準的な睡眠時間で、日中には不調なし。これで万々歳のはずだが、問題はこの後だ。
次に、9日間にわたって1日当たり12時間、完全に防音・遮光された特殊な寝室で眠ってもらった。その間は、途中で目が覚めても寝室から出られない。そうなると被験者は普段よりも長く眠るだけでなく、目が覚めた後も二度寝、三度寝をする。言い換えれば必要としている睡眠が絞り出される。
実際、彼らは初日に12時間の就床時間のうち平均10時間33分眠った。自宅よりも3時間以上も長く眠ったのである。睡眠不足時の寝だめに相当するリバウンド睡眠が、睡眠不足の自覚のない被験者でも見られたのである。
その後、実験期間中に睡眠時間は日に日に短くなる。睡眠不足が徐々に解消されるためだ。睡眠時間の減少曲線のパターンから各被験者が安定してとれる睡眠時間を算出し、それぞれの必要睡眠時間とした。平均すると7日間で睡眠時間は安定した。必要睡眠時間は約7時間から9時間にかけて分布し(2時間の個人差)、15名平均では8時間25分であった。
この結果は3つの意味で予想外であった。
知らぬ間に心身に負担がかかる
第1は、自宅での習慣的睡眠時間(平均7時間22分)は試算された必要睡眠時間よりも1時間も短かったにも関わらず、自覚的には眠気も含めて全く問題を感じていなかった点である。
問題を感じなかった理由として、2つの可能性がある。習慣的睡眠時間は本当に不足しているのか、あるいは必要睡眠時間が過剰評価されたのか。その答えはどちらが健康的な睡眠時間と言えるのかによる。
そこで、インスリン、甲状腺ホルモン、ストレス関連ホルモンなど内分泌機能を調べたところ、睡眠不足を解消した後には(もともと正常範囲内ではあるものの)より望ましい数値を示していた。つまり、今回の被験者は十分な習慣的睡眠時間を確保しているように見えるが、知らぬ間に心身に負担がかかっていたことが明らかになったのだ。
ちなみに、9日間にわたって睡眠不足を解消した後に、一晩徹夜をしてもらい、その翌晩に再び睡眠リバウンドの大きさを調べてみたが、驚いたことに実験初日のリバウンド(3時間)よりも小さかった。このことからも自覚症状なしに積み上げた睡眠不足のインパクトがお分かりいただけると思う。
予想外であった第2の点は、必要睡眠時間の個人差が2時間しかなかったことである。一方で、実生活での睡眠時間には4時間以上の開きがある。ということは、一部の人々では習慣的睡眠時間と必要睡眠時間との間にかなり大きなずれが生じているはずである。今回の被験者ですら平均で1時間、最大で3時間弱の睡眠不足があった。ましてや睡眠不足を実感している人では一体どれだけ大きな不足分を抱えていることやら。
人間は他の動物に比較して睡眠時間をかなり恣意的に操作(削減)できる特殊な存在である。そして一般的に睡眠不足時に削られるのは「浅い睡眠とレム睡眠」であり、「深い睡眠」はほぼ完全に保たれる。今回の被験者でも不足していた1時間の大部分は「浅い睡眠とレム睡眠」であった。
大脳皮質が発達した人間にとっては、神経細胞の代謝を抑える、脳を冷却する、神経細胞の刈り込み(不要なシナプス結合の解除)や記憶の固定など、深い睡眠が必要不可欠な役割を担っているからだろう。とはいえ、浅い睡眠やレム睡眠が不要かといえば決してそうではない。今回の結果を見ても分かるように内分泌機能を初めとする種々の心身機能にとってやはり欠かすことはできない大事な睡眠なのである。短時間睡眠法の信者はこの点をよく考えてほしい。
週末に爆睡しても完全には回復しない
さて予想外であった第3の点は、心身機能の種類によって回復までにかかる期間がまちまちであったことである。今回の被験者では眠気は自覚していなかったが脳波上は眠気が存在していた。この脳波上の眠気は2日目には解消された一方で、内分泌機能の回復にはより日数を要した。
つまり、週末に爆睡すれば眠気はかなり解消するが、その他の心身機能を完全に回復することはできないことを意味している。ところが、現実で多いのは少し回復してはまた平日の睡眠不足を積み上げるパターンである。そして長年にわたってこれを繰り返す。だって、週末だけでも眠気は取れるため、すっかり回復したと思い込んでしまうから。
ましてや自覚症状がない人では問題があることにすら気づかず、そのためにかえって危険ですらあるだろう。まさに、この点がプレスリリースで注意喚起を促す必要を感じた一番の理由である。
タイトルにもある『潜在的睡眠不足』とは私たちの造語であるが、2つの意味を込めて命名した。
1つはこれまで説明したように「自覚できない」睡眠不足という意味である。自覚できないのは眠気などの症状がないだけではなく、睡眠不足になるとは考えにくい「標準的な」睡眠習慣を送っているという安心感のためである。
もう1つの意味は、自覚できないが故に対処行動をとらず、心身への負担が長期間にわたって潜行する点である。
数多くの疫学調査から、短時間睡眠が生活習慣病やうつ病のリスクを押し上げることはよく知られている。ただ、短時間睡眠の人が睡眠不足を強く自覚しているとすれば、長年にわたってそのような睡眠習慣を続けることができるだろうか。普通は眠気や疲労のため途中でダウンするだろうし、生活も見直すだろう。むしろ、軽度もしくは自覚できない程度の睡眠不足を長期間続けることの方が危険ではないのか。
自宅での睡眠不足度の測定法
このような危険を防ぐには、今回のような手間のかかる方法ではなく、要はリトマス試験紙のように自宅で簡単に必要睡眠時間が測定できればよい。これは私たちが今でも取り組んでいる研究課題だが、いまだ解決できていない。それでも今回の研究から少しヒントが得られた。
必要睡眠時間を自宅で測ることは難しいが、睡眠不足度(習慣的睡眠時間と必要睡眠時間のギャップ)は初日のリバウンドの大きさ(自宅よりも何時間長く寝たか)と強く相関していた。
自宅で睡眠リバウンドを概算するには、しっかり眠気が来てから、個室で、目覚ましをかけず、遮光カーテンを引き(もしくはアイマスクをして)、耳栓をする。自然に覚醒してそれ以上二度寝ができなくなるまで眠ってほしい(例えば夜0時~翌日昼すぎまで)。その夜の実質的な睡眠時間の合計と過去1週間の平均睡眠時間との差が3時間以上なら、ふだん眠気を感じていなくても睡眠習慣にはもう少し改善の余地があるかもしれない。
最後に、連載第2回に取り上げたショーペンハウアーの名言を再掲する(注:私なりの意訳が入っています)。
『生は神からの借金であり、いずれは返済(永久の眠り=死)しなくてはならない。当座の利息である睡眠を多めに払えば、借金完済は少し先送りされるだろう』
『潜在的睡眠不足』の持ち主は、少額のリボ払いを忘れて、大借金をしている人よりも早めに不渡りを出す危険性がある。
1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[Webナショジオ 2016年11月10日付の記事を再構成]