YOSHIKI クラシックで世界へ、X JAPANも夢舞台
ミュージシャンのYOSHIKIが今冬、世界の夢の舞台に立つ。2017年1月にはピアニストとして音楽の殿堂、米カーネギーホールでオーケストラ共演によるクラシック公演を開き、3月にはリーダーを務めるバンド「X JAPAN」が、ロックの本場、英国ウェンブリー・アリーナで単独ライブを行う。それぞれワールドツアーも予定されており、クラシックとロック両面で世界的な活躍に注目が集まる。2公演にかける思いや自身の音楽観について聞いた。
--公演が決まった経緯は。
2014年に10カ国をまわるクラシックのワールドツアーをやって(それから年月が過ぎたので)、そろそろクラシックのコンサートを、という話になりました。カーネギーホールに出られたらいいなとずっと思っていて、アメリカのエージェントとも話していたんですけど、ふいに1月12、13日ならばできるということになった。いろいろと忙しいことが重なっている時期だったけど、与えられたチャンスを逃してはいけないと思って。「やっちゃおう」と決めました。
例えはよくないかもしれないけど、アーティストは常に戦場にいるみたいなものだから、どっから何が飛んできても対応できなきゃと僕は思っているんですよ。11年に、米ゴールデン・グローブ賞の(授賞式用の)テーマ曲の作曲依頼をいただいたときは、クリスマスでした。授賞式は(12年の)1月15日でしょ。そこまでにできるのかな、と思ったけど、オーケストラをつかまえて、元旦に録音して、何とか授賞式の前々日に納品できた。そういうことがあるから常に準備する、というのが僕のなかにありますね。今回はカーネギーホールということで、いつもよりももっと頑張んなきゃいけないと思っています。
(公演内容を)アメリカのアレンジャーと詰めています。14年のツアーは6重奏のストリング(弦楽器)とまわったけど、今回はオーケストラ(東京フィルハーモニー交響楽団)と演奏するので、木管、金管、打楽器も入れるし、アレンジは複雑になります。大変ですよ。ぎりぎりまで音合わせします。
新曲のほかX JAPANの曲のクラシックバージョン、天皇陛下のために書かせていただいたピアノ協奏曲「アニバーサリー」(御即位十年をお祝いする国民祭典のための奉祝曲)などもやろうと思いますし、今回はクラシック曲も増やそうとも思っています。カーネギーホールにはYOSHIKIと関係なしに、ホールに来るお客さんがいますから。ベートーベン、ショパン、チャイコフスキーをやろうと思っています。
--YOSHIKIさんにとってクラシック音楽とは。
日常に常にあるもの、のような感覚ですね。X JAPANはどこかスイッチオンみたいな感じじゃないですか。ものすごく突っ走るから、自分を見失いそうな時がある。そんなときにクラシックに触れると、(4歳でピアノを始めた)自分のルーツがよみがえって、ピアノを弾く瞬間に何だかすごく和むんですよ。
だからクラシックの公演では僕のナチュラルな部分が出てきて、曲の説明をしたり、場合によってはお客さんとの対話をしたりしますね。クラシックはもっと入りやすいものであっていいんじゃないかと思うんですよ。敷居が高い雰囲気が好きではあるんですが、基本はエンターテインメントなので、僕のクラシックコンサートは即興演奏をやるなどチャレンジしている部分があります。
--原点であるクラシックはX JAPANの活動にも影響を与えているのでしょうか。
ロックはノリとか雰囲気だけでも成立する音楽です。すごく大事なのは理解していますが、それだけでは僕は許せないんですよ。横にメロディーが流れて、ギターやベース、ドラムの3つ、4つの楽器が重なる縦のラインが出てきます。その瞬間、瞬間の和音が、ロックの人たちは合っていないことが多いんです。X JAPANの音楽は全て計算しつくしています。僕はクラシックのように譜面でX JAPANの曲をかきます。どの瞬間もビートも、和音が美しく成立していて、ぶつかる音がない。そういうロックバンドはあまりないだろうと思います。
SUGIZO(バンド「LUNA SEA」のギタリスト。09年からX JAPANでも活動)が入ってきたときに「え、全部弾く音が決まっているんですか」と驚いていました。彼が弾いたフレーズを僕がチェックして、細かく「この音はこうだから」と指示を出して、何度も録音をやり直しました。すごく厳密に音を練ってきましたね。偶発的に音楽セッションをして気持ちいい瞬間が起こることもありますけど、僕は気持ちいい瞬間を全て録音しておいて、後で直して整えたいタイプですね。
--英ウェンブリー・アリーナで行う単独ライブは、X JAPANにとって14年の米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンに続く大きな世界の舞台ですね。
クラシックツアーと同時進行で準備を進めています。歴史的なショーになると思っています。先輩の有名なロックバンドがやってきたところですから、特別なものにしなければならない。映像を絡めたショーにしようと内容を煮詰めています。
米ドキュメンタリー映画「WE ARE X」(16年)が世界中の映画祭にノミネートされて、20を超える映画祭に呼ばれたり、ビジュアル系音楽のフェス(今年10月、千葉・幕張)を開いたり。何年も前から構想を練ってきたことが、同じ時期に花を開かせて、いまはトゥーマッチな感じです。でも世界で活躍するというのは、これくらいのことをしなきゃいけないんじゃないかと。ただ今ちょっと切羽詰まっていて、ウェンブリー公演の前に(X JAPANの約20年ぶりの)アルバムを出そうと思っていたんだけど、間に合うのかなというのが正直なところですが。
X JAPANは一度解散しました。TOSHI(ボーカル)が(自己啓発セミナーの)洗脳騒動などで離れて、今度はHIDE(ギタリスト)が亡くなってしまって。「一体、僕の人生って何だろう? もう音楽をやめてしまおうか」とずっと考えていた時期があったんですよ。その間もね、4、5年たってもファンの人たちがずっと応援してくれていた。それがX JAPANの復活につながり、僕も前向きになって活動を始められた。
普通は2回も、3回もチャンスを与えられることはないと思うんですよ。せっかくいただいたチャンスなので、ものにするしかない。自分はもう1回死んで、また生き返ったと思えば、怖いものなどない。思いっきり、その土壌で戦いたい。
そうなると、苦を苦と思わなくなるんですね。逆に言うと、解散前の僕たちは甘えていて、東京ドームでライブをして、楽屋に行けばずらっとフランス料理が並べられている、それが当然だと思っていました。今は世界ツアーでまわると、国によっては楽屋もないんですよ。ピアノの米サンフランシスコのソロ公演のときは、時間がなくて、リハーサルもサウンドチェックもできなくて。ステージのどこにピアノがあるのかさえも分からない状況で演奏をしたんですよね。昔ならば「サウンドチェックないなら僕やりません」って言うと思います。今は与えられた条件で最大限の演奏をして、観客の皆さんを感動させなきゃいけないと考えるようになりました。
だから、ずいぶん意識が変わってきていますね。やればやるほど、自分が音楽を始めた原点に返っていく感覚があります。僕がロックにいったきっかけは、父の自殺です。家族がいるのに、どうしていなくなってしまったんだろう? そのクエスチョンマークを背負って僕と家族は生きてきた。それをぶつけるにはロックは最高の場でした。ステージで叫んでもいいし、ぶっ壊しても良いし、破壊的なエネルギーが出せるから。ずっと自殺願望を持って生きてきましたけど、それを詞にしてもロックは成り立つじゃないですか。普通の職場で「僕、死にたいんです」と言ったら「この人大丈夫かな」ってなると思うけど。衝動を芸術に昇華させることで、僕も音楽に救われてきました。その感覚に返って音楽を続けている感じがありますね。
(聞き手は文化部 諸岡良宣)
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