古代エジプトの「船の墓場」発掘 壁に120隻の絵

日経ナショナル ジオグラフィック社

2016/11/20
ナショナルジオグラフィック日本版

アビドスの遺跡で、白く塗られた日干しれんがの壁に描かれた船列。3800年前、ここには葬儀に使われた木造船が埋められていた。(PHOTOGRAPH COURTESY JOSEF WEGNER, UNIVERSITY OF PENNSYLVANIA MUSEUM OF ARCHAEOLOGY AND ANTHROPOLOGY)

ナイル川西岸に位置する古代エジプトの聖地アビドスで、黄金の砂の下から、日干しれんがで造られた船の墓場が姿を現し、その内壁に数多くの船の絵が刻まれているのが発見された。紀元前1840年頃のものだと考えられている。

この構造物は、第12王朝のセンウセルト3世の埋葬地にあり、王墓のすぐ隣に位置する。今回の発見で、王の葬儀に関する新たな情報が明らかになった。

発見は100年以上前

この構造物が最初に発見されたのは、1901年から02年にかけての冬だった。英国の考古学者アーサー・ウェイゴールが半円筒形の天井と内壁の上部を発掘した。船をモチーフにした装飾が初めて発見されたのも、そのときだ。しかし、発掘団が天井の中心部分の下にある砂を取り除こうとしたところ、天井が崩壊し、発掘を断念することになった。

そして最近になり、米ペンシルベニア大学のジョセフ・ウェグナー氏が率いる考古学者のチームが、エジプト考古大臣の協力を得て、縦20メートル、横4メートルの広間の発掘に当たることになった。この発掘調査は、米ナショナル ジオグラフィック協会からの支援も受けている。

しっくいで丁寧に白く塗られた壁には、120隻以上の船が描かれていた。三日月形の輪郭だけという単純な船もあれば、マストや帆、漕ぎ手まで描かれた精巧な船もあり、どれ一つとして同じものはない。ほとんどは密集して描かれ、重なり合っているものも多い。

当初、ウェグナー氏のチームは、この構造物が造られた目的がわからなかった。「とても不思議でした。墓だと思っていましたから」とウェグナー氏は話す。しかし、発見した手がかりから、王の葬儀に使われた大型の木造船を埋めるために造られた可能性があることがわかってきた。これはエジプト最古の王朝までさかのぼる伝統とも一致する。

過去にも似た構造物を発見

ウェグナー氏が大学院生だった頃に参加したアビドスの発掘では、紀元前3000年頃に造られた14隻の木造船が発見された。なかには長さ23メートル近い大きな船もあり、すべて第1王朝時代の葬祭殿の外側に並んだ日干しれんがの構造物に収められていた。

南アビドスと呼ばれる今回の発掘現場でウェグナー氏が発見したのは、それと似た構造物だ。

発掘隊が船の壁画がある建造物の床を探すために試掘したところ、船体を収めるのにちょうどいい緩やかなカーブが見つかった。さらに、腐敗や昆虫による被害でぼろぼろになった木片も出土した。

ウェグナー氏は、古代に木材目当ての盗掘に遭った船の遺物ではないかと考えている。船は王家に関連するものであるため、レバノンから運ばれてきた高級なスギの木が使われていたはずだ。これには盗み出すだけの十分な価値がある。樹木が少ないエジプトであれば、なおさらだ。

5000年前の木造船。厚板が使われた船としては、これまでに確認されたなかで世界最古だ。アビドスの第1王朝時代の葬祭殿の隣にある日干しれんが造りの構造物の中で、並んだ状態で発見された。今回発掘された船の墓場から、同じ伝統が1200年後も続いていたことがわかる。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

船は第12王朝の最盛期に造られたと考えられている。この時代、エジプトは北方のレバント(地中海東岸)や南方のヌビア(現在のエジプト南部やスーダン北部)に軍隊を送り込んでいた。エジプトには莫大な富と力があり、王にはどんな建造物でも建てられる財力があったはずだ。埋葬地の候補として建造された場所も、1カ所ではなかった。それぞれに莫大な資金がつぎ込まれ、設計もまったく異なるものだった。

ピラミッド型の墓も造っていた

センウセルト3世はエジプトの北部から国を統治し、墓の一つも北部にあった。この王が首都としたイチタウイは、アビドスから450キロほど北に位置したと考えられている。イチタウイの正確な場所は不明だが、最近、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーであるサラ・パーカック氏が衛星写真から候補地を見つけている。伝統に従い、センウセルト3世もそこからほど近いダハシュールにピラミッド型の墓をもっていた。有名なギザのピラミッドからもそう遠くない場所だが、王はそのピラミッドに埋葬されていないようだ。

センウセルト3世は、それとは別に、アビドスにも墓やそれに関連する建造物を準備させていた。アビドスはイチタウイからはるか南にあり、この時代にはすでに古代の聖地と考えられていた。神話にある来世の神オシリスの墓があり、長いこと重要な巡礼地となっていた場所でもある。

「センウセルト3世は、オシリスの信仰に興味をもっていました。アビドスの主神殿で信仰されていたのがオシリスです」とウェグナー氏は話す。この頃、センウセルト3世は最終的に自らの埋葬地となる場所を建造していた。実際、それと同時期に、高官たちにオシリスの神殿を改築するよう命じている。

王墓は、かつてアヌビスの山と呼ばれていた崖の下の岩盤を深く掘削した場所にあった。アヌビスはジャッカルの頭をもつ神で、ミイラづくりとも関連があるとされる。ウェグナー氏のチームもその近辺で発掘調査を実施し、壮麗な石棺を発見している。石棺は空で、移動された形跡があるものの、ほかの手がかりと合わせて考えた結果、センウセルト3世はアビドスに埋葬されたと、チームは考えている。

遺体は船で運ばれたか

王がアビドス以外の場所で死んだのはほぼ確実で、その場合、遺体をアビドスに運んでこなければならない。ナイル川を利用して運ばれたと考えるのが妥当だろう。ウェグナー氏は、亡くなったばかりの王の遺体を運ぶ船とともに、何隻もの船列が川を上ってゆく姿を想像する。

新王朝時代の王家の墓から見つかった船の模型。アビドスでセンウセルト3世とともに埋葬された船は実物大だが、どちらの船も王を来世へ運ぶために作られた。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT)

葬儀の中で、そうした船のうち少なくとも1隻が、日干しれんが造りの地下建造物まで運ばれたのだろう。

そして、多くの参列者が王の死を悼んで、この部屋に船の壁画を残したのではないか。

センウセルト3世は生前から埋葬地の準備を進めていたが、それは埋葬の習慣が大きく変化する兆候となるものだった。王をピラミッドに埋葬する習慣は紀元前1500年頃まで続いたが、その後、墓を隠すという考え方が広まってゆく。エジプトに再び黄金時代が訪れる新王国時代には、支配者たちの墓は王家の谷に隠されるようになった。その頃には、船を埋める伝統は完全に姿を消すことになる。

王家の谷での最も有名な発見はツタンカーメン王の墓だ。そこからは、精巧に作られた船の模型も見つかっている。その役割はセンウセルト3世の実物大の船と同じで、死んだ王が来世に向かうためのものだ。細かな形態こそ時代の流れとともに変化したが、永遠の生命に向かうための準備は30の王朝、約3000年を通して続くことになった。

(文 A. R. Williams、訳 鈴木和博、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2016年11月10日付]

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