雪の旭山 苦の中にいて、幸せに生きる

さて、今年の旭川は10月下旬から秋晴れといえる日がほとんどなく、11月に入ってからは連日雪です。この時期に雪が降ることは珍しくはないのですが、連日続くのは異常です。気温が零度近辺なので、いわゆるベタ雪です。

ベタ雪は恐ろしくて、獣舎の網に着雪して、想像できないくらいの重量になります。湿った雪が夜に凍り、その上にさらにベタ雪が積もります。獣舎崩壊の危機です。連日着雪との戦いです。旭川の雪はいわゆるパウダースノーで、軽いのが特徴なのですが……。それにしても絶対湿度が高いと思われる気温零度付近は身にしみて寒いです。早くカラッとしたセ氏マイナス10度にならないかな。

まあ自然現象なので受け入れるしかないのですが、往々にして、ヒトはそれに逆らおうとしてしまいます。自然を敵に回すのではなく受け流す発想が大事だと日頃思っているのですが、つい自分もヒトになってしまっています。

旭山動物園は11月4日から10日まで閉園していました。4月にも約3週間閉園します。

「定休日がないから、閉園期間くらいはホッと一息つけますね」と言われるのですが、実は一番忙しい期間です。

道外や海外からの来園者は毎年100万人近くに達します。開園期間中はできるだけ、フルスペックの展示を心がけます。本当は獣舎を閉鎖し、機械の修理や点検、改修をしなければいけない箇所が出ても、とにかく応急処置で休園期間まで持たせます。

地元の方であれば「すみません、また来てください」で許していただけることでも、遠くからのお客さんには、一生で一度の来園かもしれません。閉園期間に合わせて一気に修理、点検、改修などを行います。たった1週間で冬を乗り切る万全の体制を目指しますから、僕たちも、たくさんの業者さんもどこかピリピリとした雰囲気が漂います。そんな中での予想外の降雪です。今も業者さんのトラックが雪で滑って立ち往生しています。

昔は10月下旬から翌年のゴールデンウイークまで、半年も閉園していました。冬に動物園という発想は動物園側にも市民の側にもなかったのです。閉園を迎える時期になるとお客さんから「もうすぐ閉園だね、みんな失業保険もらうのかい? それとも出稼ぎ?」と真顔で聞かれたものです。北海道では農業も観光地も冬は休業でしたから、動物園が冬やっていないことにも違和感はありませんでした。

前段が長くなりましたが、前号の最後に書いた、柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」についてです。平成17年の冬にラジオの朗読で出会い、「苦のなかにいて、苦のままで 幸せに生きることができるのです」のフレーズを聴いた時、「頭の中の霧が一気に晴れました」と書きました。

平成17年は旭山動物園が大ブレイクした2年目でした。レッサーパンダの楓太君を「見世物にしないで」とホームページのブログに書いたら大炎上を引き起こし、匿名でのバッシングに目標を見失いかけた年でもありました。出る杭は打たれる。「パンダ、コアラでなくてもどの動物も素晴らしい。ありのままの中に尊さを感じてほしい」――そんな僕たちの思いとはかけ離れた経済効果、地方再生の手本といった評価軸が中心となり、取材や視察が続きました。自分の中で、大きな迷いや不安が生まれました。「動物園をやめたい」との思いも、頭をもたげ始めていました。

30年前に一応獣医として動物園に就職し(当時、旭山の飼育部門は係長以下10名。僕は飼育時々獣医でした)、一番心に突き刺さったことは、どの命も命を閉じる時に、目が恨まない、迷わないことでした。交通事故で四肢がバラバラになったエゾシカや、危ないからと有害駆除の名目で落とされたハシブトカラスの巣の中にいたヒナなど、さまざまな理由で動物園に持ち込まれる野生動物たち。治療のかいなく死亡するもの、時として最後まで責任の持てない命は安楽死させざるを得ません。動物園というヒトのエゴでつくられた場所に閉じ込められ、そこで命を終える動物たち。でも皆、誰を恨むでもなく運命を受け入れ、死を受け入れているとしか思えないのです。

「どうしてこんな目をして、最期をむかえられるのか?」。自分は「ヒトとの関係」で存在を認め合うペットとのつきあいから、獣医を目指しました。ヒトと同じように痛みを取り、病気を治し、結果として長生きさせたい。それが命を大切にする原点だと、どこかで思っていました。

ヒトは環境をつくり替え、ヒトのためだけの環境をつくります。動物は環境の中で暮らします。たとえそこが動物園の檻(おり)の中であっても、です。ヒトは、大多数のヒトが生きるために直接命を奪わなくなりました。動物は直接命を奪うことで生きています。死を認めることで生があります。ヒトは不都合なものを排除します。動物は不都合なものでも、存在を認め合います。やっかいなことに、ヒトは尺度や価値観を変えます。動物は何千万年、おそらくこれからも変わらず、ぶれません。

僕はヒトの尺度で環境問題や生物多様性の問題は解決しない、と思うようになりました。ヒトの尺度、価値観とは別の価値観で生きているのだから、スズメだってカラスだって対等な命として認めること。これこそがスタート地点であり、そのことに気づいてもらうことが「動物園の大切な役割だ」と思うようになりました。

「生きて死ぬ智慧」は般若心経の訳本ですが、著者の柳澤桂子さんは生命科学者です。本を手に取り、すべての文字が頭の中に入ってきました。苦の中にいて、苦のままで、幸せに生きることができるのです。あっ!、僕は仏様に囲まれて日々を過ごしているんだ。僕は無信仰者ですが、そう気づきました。「まだまだ頑張らなければ」「迷ってなどいられない」……。勇気をもらった一冊でした。

(撮影・桜井省司、提供:株式会社LEGiON)
坂東元(ばんどう・げん) 1961年旭川市生まれ。酪農学園大学卒業、獣医の資格を得て86年から旭山動物園に勤務。獣医師、飼育展示係として働く。動物の生態を生き生きと見せる「行動展示」のアイデアを次々に実現し、旭山動物園を国内屈指の人気動物園に育てあげた。2009年から旭山動物園長。
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