悲劇の現場に学ぶ「ダークツーリズム」って何だ
戦争や災害に伴う痛みや悲しみの歴史が残る場所を訪れる「ダークツーリズム」が静かに広がりを見せている。悲劇を風化させないというプラスの働きがある半面、地元住民や関係者のデリケートな気持ちに踏み込んでしまう問題点もはらんでいて、賛否が交錯。ただ、日本で戦後70年が過ぎ、戦禍の「語り部」が減っていることが示すように、記憶の継承が難しくなるなか、その意義は次第に大きくなりつつあるようだ。
日本で「ダークツーリズム」という言葉が一般に知られるようになったのは、2013年11月。2013年版の「ユーキャン新語・流行語大賞」で候補50語のリストに加わったことがきっかけだ。アカデミックな研究は欧州で1990年代から始まっていたようだが、日本では2013年に「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド」(東浩紀、津田大介ら著、ゲンロン刊)が出版されて関心を集めた。1986年に大規模な原子力発電所事故を起こした地に足を踏み入れたルポルタージュだ。
関心の広がりを受けて、その後も「手引書」の出版が相次いだ。15年に出た「DARK tourism JAPAN 産業遺産の光と影」(東邦出版刊)はタイトルにある通り、国内の鉱山や工場跡を取り上げている。選ばれた場所は、公害問題の原点ともいわれる足尾銅山や、石炭産業で栄えた軍艦島・三井三池炭鉱などだ。
足尾銅山は有名観光地の日光(栃木県)にあり、紅葉狩りや温泉と組み合わせて訪ねやすい。トロッコに乗って坑道に入り、往時の採掘の様子を疑似体験できる。世界文化遺産に登録された端島炭坑(長崎市、通称軍艦島)では上陸もできる観光ツアーが組まれている。炭鉱跡以外に日本最古の鉄筋コンクリート造りの7階建てアパートといった建築も見どころ。実写版映画「進撃の巨人」では軍艦島がロケ地となっている。
一方、「世界ダークツーリズム」(洋泉社編集部編、同社刊)は視野をグローバルに広げた。表紙にアウシュビッツ強制収容所の外観をおいたのをはじめ、9.11米同時テロに見舞われたニューヨークの「グラウンド・ゼロ」、民族紛争の続いたサラエボなどを紹介。旧世界貿易センタービルの倒壊から今年でちょうど15年。周辺では大規模な再開発が進む半面、同ビルの2棟があった場所は、ぽっかりと穴が開いたようなプールに滝が流れ落ちる追悼施設になっている。犠牲者の遺品や写真などを展示してあるメモリアルミュージアムもある。
36カ所をまとめた「人類の悲しみと対峙する ダークツーリズム入門ガイド」(いろは出版編、同社刊)はかつて自動車の街として繁栄した米国デトロイト市、映画「キリング・フィールド」で描かれたカンボジアなどを取り上げた。「ダーク」という言葉に引きずられて、戦争や災害のイメージを抱きがちだが、デトロイトや軍艦島のように産業の盛衰に翻弄された場所も近年のツーリズム対象となっている。日本からのリゾート客が多いサイパン島でも追い詰められた日本人が身を投げた「バンザイクリフ」が紹介されていて、観光地のすぐ足元に悲しい歴史が横たわっていることに気づく。
一般的にダークツーリズムの主要な目的地と位置づけられているのは、自然災害や戦争、大事故、差別などにまつわる場所だ。具体的にはこれまでに名前を挙げた場所に加え、ベルリンの壁、アンネ・フランクの家(アムステルダム)などが含まれる。伊勢志摩サミットの際、広島市を訪れたオバマ米大統領は、歴史的なスピーチの場となった広島平和記念公園への国際的な関心を一段と高めた。「外国人に人気の日本の観光スポット ランキング 2016」(トリップアドバイザー調べ)でも広島平和記念資料館(原爆ドーム、広島平和記念公園を含む)は2位になっている。
テクノロジーの力を借りて新たな展示をする例も出てきた。旧日本海軍の主力戦艦「大和」は鹿児島県南西沖に沈んでいて、実物を見ることはできない。しかし広島県呉市が無人探査機を使って撮影した海中映像が16年7月から、呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)で公開されている。同ミュージアムは10分の1スケールで復元した26メートルの「大和」が最大の呼び物。呉市の人口の4倍を超える来館者が毎年、訪れている。
ただ、観光客の姿自体が関係者につらい記憶を思い出させることもある。悲劇を繰り返さないための記憶の継承という意味を踏まえ、地元や被害者に敬意をもち、心遣いをすることが不可欠だ。慰霊碑に足をかけたり、心ない質問をしたりするような態度は許されない。放っておけば散逸してしまいかねない資料や、風化してしまう記憶を、時を超えて共有することによって、二度と起こさせまいという気持ちがダークツーリズムの「パスポート」になる。
相次いで大きな地震の被害を受けた日本では「震災遺構」の保存を巡って、議論が分かれている。陸前高田市で復興のシンボルとして親しまれてきた「奇跡の一本松」はモニュメントとして保存され、「復興まちづくり情報館」も設けられた。しかし、まだ復興途上にある被災地ではこうした例はそう多くない。無遠慮に踏み込みすぎるのを避けて、資料館や考証施設が整備されるまで待つ節度も求められるだろう。
自分なりの見方を深めるというダークツーリズムの効果を意識するなら、「行って見て終わり」にしてしまわないで、関連の書籍を読み込んだり、映画を見たりする下準備も価値が大きい。水俣の地を訪れる際、石牟礼道子氏の「苦海浄土」を読んでいるかどうかは、旅の重みを左右するだろう。
記憶が薄れると悲劇が繰り返されるという人類の歴史を振り返ると、過去に学ぶ意味は強調しすぎるということはなさそうだ。終戦の翌1946年に生まれたドナルド・トランプ氏が日本の核武装をにおわせるような発言をしたと報じられるのを聞くと、温故の大切さは変わっていないと感じられる。自然災害をはじめ、人知では避けがたい悲劇もあるが、人間の愚かさやあやまち、不作為に由来するケースは少なくない。分別とリスペクトを伴ったダークツーリズムは「場」の力を得て、自らの歴史観や問題意識を問い直す旅となる可能性を秘める。
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