偽札は高くつく
立川吉笑
立川談笑一門でリレー連載しているまくら投げ。今回のお題は『高かった買い物』。部屋が寒すぎてどうにもならないから、布団にくるまりながらもそもそと原稿を作成している次第です。
これまでで一番『高かった買い物』は何と言っても「偽札」だ。
いや実際には高すぎて買うことができなかったから買ってはいないけど、偽札は高かった。
10年ほど前、ある事情で僕は急きょ12万円を工面しなくてはならなくなった。
当時の僕はフリーターでその日暮らし。借金こそなかったものの貯金もほぼなかった。
親に頼ろうにも、それまでかじり過ぎた親のスネは、それこそもうガリッガリになってしまっていた。周りの友達はみんな自分と同じで、夢こそあれど金はなかった。
さてどうしたものか、と悩んでいたある日、悪魔が僕にささやきかけた。
「こうなったら偽札でいくしかない」
相当追いつめられていたのだろう。まっとうな判断ができなくなってしまっていた僕は、今でこそそんな過ちを犯すことはないけれど、そのときは何の疑問も持たず早速偽札で12万円を工面することにした。
といっても、偽札がどこで売っているのかわからない。
ひとまず僕はネットで「偽札 販売 東京」と検索してみた。
すると出てくる、出てくる。たくさんの偽札販売所があることに驚いた。時間がなかった僕は最寄り駅の販売所に目星をつけて、所持金すべてを持って早速偽札を買いに出かけた。
高円寺駅南口のロータリーに面したテナントビルの3階にその店はあった。
1階は不動産屋さん、2階は進学塾、そして3階に偽札販売所。こんな身近な場所で偽札が手に入ることに驚いた。
外からビルの3階を見上げるとでかでかと「安心、安全! 本物の偽札!」と書かれていた。僕は最寄り駅だからという理由でたくさんある偽札販売所からこの店を選んだけど、ラッキーと思った。何しろ安心で安全な、本物の偽札を手に入れることができるのだから。
緊張しながらエレベーターで3階に上がった。
チーン。エレベーターが開くと、思いのほか明るい店内の風景にびっくりした。銀行のロビーのように、たくさんの窓口があり、待合所のようなイスが並べてあり、奥のカウンターの中ではスーツ姿の男女が何やら書類を持って行ったり来たりしていた。電話はひっきりなしに鳴っているし、そんな喧噪(けんそう)を縫うように
「番号札172番でお待ちのお客様、7番窓口にお越しください」
などと、受け付けアナウンスが聞こえてきた。
偽札という性質上、もっとひっそりとした怪しい空間で売買されていると思ったけれど、実際の偽札販売所はとてもにぎわっていた。客も思いのほかたくさんいた。しかも、明らかにギャンブルで首が回らなくなってしまったおっちゃん以外にも、若い今風の男の子や、子供を連れた30代前半のお母さん、清楚(せいそ)なOLさん、中学生と思しき子供など、それこそ老若男女が偽札を買いにきていた。
ロビーの前に置いてある機械で受け付け番号を発行してもらった。
受け付け番号が209番だった僕は30人くらいの同志を見送った後でようやく窓口にたどり着くことができた。
「本日はどういったご用件でしょうか?」
僕に対応してくれたのは女性の店員さんだった。40代前半くらいだろうか、丁寧で物腰の柔らかい接客に僕は安心した。
「12万円分、偽札が欲しいのですが……」
「承知しました。12万円分、すべて1万円札でご用意してよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
「少々お待ちください」
カウンターの奥へ消えていく店員さん。僕はこんなにあっさりと偽札が買えることに驚いた。
手元に1万円札が無造作に置かれていた。手に取ってみても、間違いなく本物に見える。透かしも入っているし、色味も質感も普段使っている1万円札と何ら違いがなかった。
しばらくして店員さんが戻って来られた。
「お待たせしました。こちら12万円分の本物の偽札でございます」
ずらっと並ぶお札なんて久しぶりに見た。
「お支払いは現金でよろしかったですか?」
「はい」
「割引クーポンや優待券はお持ちですか?」
「いえ、持っていません」
「ポイントカードはお持ちでしょうか?」
「いえ、持ってないです」
「お作りしましょうか?」
「いえ、結構です」
「かしこまりました。では、本物の偽札12万円分で、42万8000円になります」
僕は耳を疑った。
12万円分が42万8000円って……偽札、高っ! 30万円以上も損する仕組みやん!
「えっ、12万円より高くなるのっておかしくないですか?」
「いえ、当店はこちらが正規の値段となっております」
「だって、偽物ですよね。このお札」
「偽物というか、本物の偽物です」
「はっ?」
「適当に作った偽札なら安くもなりますけど、当店では全ての工程を職人の手作業で行っております。また最後の仕上げは一昨年、重要無形文化財の保持者、つまりは人間国宝に認定された創業者が担当しております。もちろん値段は高くなります。そのかわり質に関しては本物のお札以上に本物っぽく仕上がっていると思っております」
本物のお札以上に本物っぽく仕上がっているとはどういうことだろう?
疑問に感じながら、できれば1万5000円くらいで、12万円を買いたいと思っていた僕は店員さんに交渉してみた。
「もう少し安くなりませんか? 困ってるんです!」
「それならば。少し質は下がってしまうのですが……」
と店員さんは話し出した。
いわく、通常の偽札は12万円分が42万8000円だけど、質を下げれば値段も安くなるということ。
例えば描かれているのが福沢諭吉本人じゃなくて、福沢諭吉のそっくりさんでよければ39万円まで安くなるとのこと。
また、福沢諭吉のそっくりさんに似ている人でよければ35万円。
福沢諭吉の髪型がベリーショートでもよければ29万円。
福沢諭吉の代わりに普通のおっさんが描かれているのでよければ20万円。
福沢諭吉の位置が無人でよければ11万円。
白黒印刷でよければ4万円。
白黒・片面・名刺サイズでよければ1万2000円。
目の前に出された名刺サイズの偽札を眺めながらしばらく悩んだけれど、さすがにこれを買ってもどうしようもないと気がついて何も買わず店を出た。
思いのほか偽札は高いのだ。
(次回11月13日は立川談笑師匠の予定です)
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