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社会起業家・白木夏子さん 働く家族に作る喜び学んだ

日経DUAL

2016/11/18

白木夏子さんは人と社会、自然に配慮したジュエリーブランドHASUNAを20代で立ち上げた社会起業家で、2011年には世界経済フォーラム(ダボス会議)が選ぶ日本の若手リーダー30人に選ばれています。「ビジネスを通して世界をより豊かにする」。その信念を胸に、新しい世界へと飛び込んでいく強さは、好奇心旺盛な祖父や、一度決めたら揺るがない母親譲りとのこと。前編では、働く家族に囲まれ、インドア派の子どもだった白木さんが世界に飛び出すまでを伺います。

■どんなおもちゃより端布で洋服を作るのが好きだった

ファッションデザイナーをしていた母親と。おそろい手作り洋服を着て

―― ご家族全員が働く中で、育ったとのことですね。

そうなんです。父は名古屋の繊維商社に勤めているサラリーマンでしたが、父の実家は愛知県一宮市で調剤薬局を営んでいました。祖父母と母は、その薬局で働いていたんです。学校から帰るとお店番をしている母の隣にある商談机で宿題をしていました。

ジュエリーブランドHASUNA代表・白木夏子さん。「デザイナーである母の影響で、幼少期から、人形の洋服などを作ることが大好きでした」

そんなふうに、家族が全員働いていたから、自分自身も社会に出たら働くのだろうとごく自然に考えていたように思います。ただ、実は高校になるまでは、ファッションの世界に進みたいと考えていました。

それは、母の影響が大きかったように思います。母は独身時代、東京のアパレル会社の専属デザイナーをしていました。父と結婚する際に仕事を辞めたのですが、とにかく洋服を縫うのが好きで、私とのペアルックのワンピースなど、よく作ってくれました。ファッションデザインのコンペにも応募していたようです。

私はその横で、端布をもらってリカちゃん人形のお洋服を作ったりするのが小さいころから大好きでした。「あなたはおもちゃ屋さんよりも布地屋さんに行ったときのほうがよっぽど興奮していた」と、母は今もよく言います。母が作っているのを横で見て、「この布地からこんな素敵な洋服が作れるんだ」と知っていたからだと思うんです。

―― 物心ついたときから、お母さんの横で何かを作っていたのですね。

そうですね。紙粘土でブレスレットを作ったり、川や海で拾った石や貝殻にひもを通してアクセサリーを作ったり。絵を描くことも料理も大好きでした。とにかく、何かを作り出すことが好きでした。

アクセサリー作りの趣味はその後、ロンドン大学に留学中も役立ちました。友達に手作りのアクセサリーをあげるととても喜んでもらえたので、「これは売れるかな?」と思って、オンライン上でお小遣い稼ぎに売っていたんです。そのときはもちろん、仕事にしようなどとは思ってもいなかったのですが。

■自分の目で世界を見てきた人の言葉が心に響く

―― 子どものころはインドアでものづくりに励んでいたのですね。でも内向きというわけではなく、海外に行きたいとは思っていたのですか。

はい、祖父の影響で、「世界に出たらすごく楽しいことがありそう」と小さい頃から考えていました。祖父は世界への憧れがすごく強くて、戦争のために留学は断念しましたが、色々な国を旅するのがすごく好きでした。そういう旅の話を聞いたり、祖父が持っていた国別の百科事典を見たりするのが私も好きでした。

もっとも進路としては、ファッションとか美術の仕事をしたいと考えていました。ですが、両親は大反対。成功できるのはごく一握りという厳しい業界に二人ともいたからこそのアドバイスだったんだと思います。私も、その反対を押し切ってまでファッションの道に進みたいとも思いませんでした。

とはいえ、他の進路も思いつかない。そんなときに、ふと祖父が「夏子は海外に行かせよう」と言ってくれたんです。「女性は日本にいても、結婚したら家の中ばかりにいなきゃいけないし、働いてもすごく差別されて不平等な社会だから、海外に行かせたほうがいい」と。私も、そんなふうに留学させてもらえるならぜひ海外に行きたいと考えました。高校3年のギリギリでの決断でしたので、まずは英語を勉強するために南山大学の短期大学部に進むことにしたのです。

―― そこで、フォトジャーナリストの桃井和馬さんの写真と講演に出合うのですね。

そうです。それまで、飢餓とか貧困とか環境破壊とか、テレビで見ていても実感がわかず、すごく遠い世界で私の生活には関係ないと思っていたんです。そういうところでボランティアしたいと思う人の気持ちも分からなかった。でも、そういう世界を自分の目で見てこられた方に初めてお会いして、自分の中に強く響きました。桃井さんの言葉には、ものすごく力があったんです。そして、桃井さんの写真にある傷ついた自然とか、何らかの犠牲になっている子ども達や人々のために働くのが、自分の命の使い方として正しいんじゃないかなと思ったんです。そこで、国際協力の勉強ができるロンドン大学への留学を決めたんです。

「留学準備のために進んだ日本の短大で開催されたフォトジャーナリスト・桃井和馬さんの講演が心に響き、国際協力の勉強ができるロンドン大学への留学を決めました」(白木さん)

―― 初めて親元を離れての海外留学。ホームシックになったりはしなかったのですか。

もうひどいホームシックになりました。一人暮らしも初めてだし、海外で暮らすのも初めてだし、言葉もままならない。ロンドンって冬は夕方4時にはもう真っ暗になってしまうので、気持ちが滅入って、すごく不安定になりました。声を聞いたら絶対に泣いてしまうから家に電話もできないし、手紙も書けない。授業に出てもついていけないから授業にも出たくなくなって、引きこもっていた時期がありました。何のために来たんだろう、と思いながら、1カ月くらい暮らしていました。

そのうち、毎週ドンと出される課題図書に目を通しておけば何とかなると分かったので、少しずつ授業にも出席するようになって、そうしたら友達も少しずつ増えていきました。

半年くらい経って一時帰国したら、今度は実家が「生ぬるいな」と思っちゃって(笑)。言語の壁はないし、母が何でもやってくれる。このままここにいたら自分は成長できないと思いました。冬休みを過ごしてからは、大学生活にポジティブに取り組めるようになりました。

■ロンドン暮らしを経て母から自立し、自分の意見を持つように

―― つらかった時期、お母さまにSOSを出したりしなかったんですね。

せっかくお金出してもらっているので、努めて元気に振る舞っていたと思います。もちろん家族はすごく心配していたそうです。特に祖父は盛んに母に「助けに行け」と言っていたらしいです。

母がそのとき何を考えていたのか、聞いたことはないですね。でも、イギリスに行ったとしても英語もできないし、何の役にも立てない。だから、がんばれ! と思ってくれていたんじゃないかと思います。

それまでは、実家で暮らし、小さくて閉じたコミュニティーで暮らしていたのが、ロンドンに行ってからは、とにかく自己主張しないと自分の存在が無になってしまうのではないかと思うくらい、周囲に個性的な人が多かったんです。ですからロンドンでは、自分自身をすごく見つめ直しました。私って何者なんだろう、どういう意見を持っている人間なんだろうって。それまでは極力自分の意見を持たない生き方をしてたのかな、とも思います。

母との関係も、イギリスに私が留学して、だいぶ変わりました。イギリスに行って、母から離れてから(笑)、ようやく自分の道を見つけ始めたように思います。イギリスから帰ってきてから、「あのときどう思っていたの?」というような話も母とできるようになりました。

■ずっと「ビジネスは良くないもの」と思っていた

―― ロンドン大学在学中から、社会起業家を目指していたのですか。

当初は、国連とか国際NGOといった国際機関で働きたいと思っていました。在学中にはNGOやNPOでインターンをしました。インドの鉱山を訪れたのも、その一環です。

ロンドン大学在学中、インドのフィールドトリップへ

その鉱山で採掘されていたのは電化製品や化粧品などに使われる雲母で、採掘していたのはアウトカーストと呼ばれる人々でした。宝石や貴石などの鉱山も同じだと聞き、すごい矛盾だなと衝撃を受けました。化粧品やジュエリーは私達が美しくなるためのものですし、電化製品は私達の生活を便利で豊かにするためのものです。私達は、そういった完成したプロダクトにすごく高いお金を払うのに、この人達の生活は貧しい。いったい、私達が支払うお金はどこに消えてしまうんだろうって。

でもそのときは、起業して何とかしようなんてまったく考えていなくて、むしろビジネスって本当に良くないものだと思っていました。資本主義社会の末端で苦しんでいる人達の姿を目の当たりにしてただただショックだったんです。

卒業後、ベトナムの国連事務所でインターンをしている間に考えが変わりました。インターンを終えたら大学院に進み、その後国連に就職したいと考えていたのですが、ビジネスを動かさない限り、貧困ってなくならないのかなと思うようになったのです。そして、ビジネスの世界で貧困をなくすような流れを作ろうと考え始めました。

ベトナムの国連事務所でのインターンを機に、ビジネスの世界で貧困をなくすような流れを作ろうと考え始めた

■起業に反対した両親がたくさん商品を買ってくれていた

―― 帰国してからは、投資ファンド事業会社に勤め、2009年にジュエリーブランドHASUNA を立ち上げます。ご両親も全面的に応援してくださったのですか。

いえ、起業については大反対されました。愛知県の一宮市って郊外の街なので、20代前半女性はもう子どもが一人くらいいるのが普通なんです。なのに、私が起業したいなどと言い出したので、「結婚しなきゃいけない年頃なのに起業なんて、人様に迷惑かけてまでやることなのか」と、とりわけ父が反対しました。

でも実はお店に友人をこっそり連れて来てくれていたり、母がたくさん商品を買って大事そうに部屋の中に並べてくれていたりすると、言葉以上に応援してくれていると感じます。すごくうれしいです。たぶん、母がHASUNAのジュエリーを一番買ってくれていると思います。

―― お母さんから受けた教えで、今も大切にしていることはありますか。

美意識でしょうか。身なりをきちんとしなさい。靴は足下を見られるからいいものを履きなさい、20代の後半になったらジュエリーは本物だけを身に着けなさい、とよく言われました。若いときは安いジュエリーでも若さがカバーしてくれるけれど、年齢を重ねたら本物を身に着けないと自分の価値が下がりますよ、と。

作りたい社会は自分達の手で作れる

―― 「よりいい環境に身を置くように」ということも、幼いころからお母さんに言われて育ったそうですね。

そう、すごくしつこく言われましたね。「環境が自分を作るのでなるべくいい場所に行きなさい」と本当によく言われていました。

ただ、それゆえに母から友人の「ダメ出し」が出ることも多かったんです。ちょっとやんちゃをする友達は、勝手に追い返してしまうんです。相当管理されていたんだなと、今は思います。だからなのかな、私は反抗期がとても長かったんですよ(笑)。

もっとも、ロンドンのようにすごく刺激的な環境に身を置くことで、自分の世界観も確かに大きく広がりましたから、母の言っていたことに一理あるなともちろん思います。私が一時期身を置いていた金融業界は「起業」なんて誰も考えない世界でしたけれど、起業家の友人達がよく出入りするコミュニティーに行くとすごくポジティブに起業を捉えられるようになりました。そのときも、「環境が自分を作るんだな」と確かに思いました。

ただ、人間関係を打算的に捉えるのはよくないとも思っています。そこのコミュニティーにいる誰もがいい人なわけではないし、そのコミュニティーにいないからといって友達でなくなるわけでもない。

私が起業家の集まるコミュニティーで学んだのは、「なりたい自分の姿があるのなら、そこに至る道は自分の意思で切り開ける」ということです。作りたい環境、作りたい社会は、自分達の手で作れるのだということを学びました。

白木さんは、3年前に娘を出産したのを機に、「社長」としての心構えが大きく変わったと言います。後編の「娘の出産を機に、新たな挑戦を決意」では、母親として心がけていること、ビジネスパーソンとして目指す姿などを中心に伺います。

HASUNAの設立当初、起業には大反対だった家族も、こっそり顧客を紹介してくれたり、言葉以上に応援してくれていることを実感。家族の影響や様々な出会いを経て「作りたい環境、作りたい社会は、自分達の手で作れることを学びました」(白木さん)
白木夏子(しらき・なつこ)
HASUNA Co., Ltd. 代表取締役社長。1981年生まれ。南山大学短期大学部を経て英ロンドン大学キングスカレッジにて発展途上国の開発について学ぶ。投資ファンド事業会社に勤務した後、2009年にHASUNAを設立。人と社会と自然環境に配慮したエシカルジュエリーブランド事業を展開。日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011」キャリアクリエイト部門受賞。2011年、世界経済フォーラム(ダボス会議)が選ぶ日本の若手リーダー30人に選出。著書に『世界と、いっしょに輝く エシカルジュエリーブランドHASUNAの仕事』(ナナロク社)、『自分のために生きる勇気』(ダイヤモンド社)など。 http://www.hasuna.co.jp/

(ライター 山田美紀=Integra Software Services)

[日経DUAL 2016年9月14日付記事を再構成]

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