映画の宣伝が一段落したタイミングで、ほんの2、3日間だけ連続で休みをとったんです。そのときに、理由もなくふとこう思いました。なんか、もっとわくわくすることをしたいなって。
忙しくはしていましたけれど、それは来た球を打っているだけであって、前には進んでいないような気がしたんです。
漫画でも小説でも同じですが、ただ単に「ヒットを作りたい」と思って世に送り出すのと、「これをヒットさせることによって世の中をこういうふうに良くしたい」と思って世に送り出すのでは違う。会社の駒として球を打ち続けていると、打ち返すのをやめた瞬間、虚(むな)しさが襲ってくる。講談社に対してではなく、自分自身に対して物足りなさを感じました。
僕が会社を辞めたことと明確な関連性があるかどうかはわからないですけれども、辞める1年ほど前、高校の同級生が亡くなったんです。就職もせずに、いきなりベンチャー企業を立ち上げた男で、皆が敷かれたレールの上を走っていくなかで、彼は異色の存在でした。
もともと、そんなに仲が良かったわけではありません。ただ、彼が『宇宙兄弟』を大好きだと知り、がんで入院している間、新刊が出るたびに病室へ持って行ったことがきっかけで、だんだんと仲良くなっていきました。
起業家だった彼は、入院している間もずっと仕事をしたがっていました。「さあ、またビジネスをするぞ」と語っていた直後、30すぎでこの世を去りました。
彼が亡くなったのは朝方だったと思いますが、その数時間前、「もう最期かもしれない」ということで僕も病室に呼ばれました。死を間際にした人間と対面したのはそれが初めてのことでしたから、すごく影響を受けたかもしれません。
彼はあんなにも本気で仕事をしたがっていた。なのに、自分はその仕事を心から楽しんではいなかった。なんだかダラダラした生き方をしているな、と思いました。
「わくわくしながら生きていきたい」と思った
講談社を辞めて起業すると言ったら、両親も含め、周囲からは猛反対されました。多くの人には起業するよりも講談社の社員でいることの方が安心に思えたんでしょうね。でも、例えば結婚したいと思う相手がバツイチの子持ちだったら、気にしますか?
その人のことを本気で愛していたら、気にならないですよね?
起業するのも同じだと思います。好きでもない相手を条件だけで選んだら、よりリスクの少ない方を選択したくなるでしょうが、本気で好きな相手だったら、条件なんて気にならないはず。わくわくしながら仕事をしたいと思っていた僕にとって、多くの人がリスクに感じることは、まったく気になりませんでした。
1979年生まれ。中学時代は南アフリカ共和国で過ごす。灘高校から東京大学文学部に進学、2002年に講談社入社。週刊モーニング編集部で、井上雄彦『バガボンド』、三田紀房『ドラゴン桜』などを担当。小山宙哉『宇宙兄弟』を累計1600万部を超えるメガヒット作品に育て上げ、テレビアニメ、映画実写化を実現。平野啓一郎『空白を満たしなさい』など、小説の連載も担当した。12年に講談社を退社、作家のエージェント会社「コルク」を立ち上げる。
ツイッターアカウント@sadycork
(ライター 曲沼美恵)
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