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日本マイクロソフト会長の樋口泰行氏。普通のサラリーマンだったという同氏は、米国留学を経て3つの会社の経営トップを経験、「プロの経営者」の先駆けとなった。外資系のIT(情報技術)企業のほか、再建の渦中にあったダイエーなど流通大手も率いた。激しく経営環境が変化するなか、リーダーには何が求められるのか。樋口氏の連載8回目は「IT革命第3期」に求められるリーダー像について語る。

◇   ◇   ◇

 クラウドとビッグデータを活用して新たなITサービスの実現をめざすIT革命第3期。そこではビジネスはどのような競争にさらされ、変容を遂げていくのだろうか。

それが具現化されたケースはまだ少ないが、本丸のIT業界ではすでに自身の存亡を懸けた熾烈(しれつ)な戦いが始まっている。それを紹介しながらIT革命第3期のビジネスを予想してみたい。確実に言えることは、「勝者が勝者であり続けるのはきわめて困難であり、だからこそ変革期のリーダーの力量が優勝劣敗を左右する」ということだ。

リーダーの巧拙に左右される競争優位

日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏

日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏

前回、ハードとしてのコンピューターの性能の向上につれて基本ソフト(OS)やアプリケーション(応用ソフト)などのソフトの比重が高まることを紹介した。もちろんハード技術もさらなる進化を遂げているが、それであればあるほど高性能なコンピューターを使ってなにをするか、というソフトの戦略性が強まるのである。

IT業界の競争では、パソコン製造はすでにもうかるビジネスではなくなった。それはメーカーの再編が続いていることからも分かる。CPU(中央演算処理装置)にしてもハードディスク駆動装置(HDD)などの記録媒体にしても、個人ユーザーにはすでに十分すぎるほどの性能が確保されているからだ。かつては数百万円もする専用コンピューターでなくては処理できなかった作業、例えばCG(コンピューターグラフィックス)による動画の制作も、パソコンでの作業が一般的になっている。

一方、ハードよりもソフトの重みが増すのは、業界全体に非常にリスキーな事態を招いてもいる。まずなんと言っても大きなリスクは、開発リーダーのリーダーシップの巧拙で製品の「いけてる、いけてない」が決まることだ。提供する機能やサービスの全体像(エコシステム)についてのリーダーのイメージそのものが、ユーザーからの真っ正面の評価を受けるのだ。

米アップルの創業者、故スティーブ・ジョブズは動物的とでも言うべき臭覚や眼力を持っていた。これは誰もが認めるだろう。彼が提示した「ライフスタイル」「ファン」「エンターテイニング」は、まさに「いけてる」ものとして圧倒的な支持を得た。

マイクロソフトでも、サティア・ナデラが最高経営責任者(CEO)になってからは非常に研ぎ澄まされた感性が発揮されるようになった。ある要素技術を一つの部品としてパソコンのみならず、幅広いデバイスに広げたり、あるいは他の技術と結びつけて付加価値の多重化を狙うのかなど、生態系としての見通しが的確になってきた。例えば無料インターネット通話「Skype(スカイプ)」がOSに統合されたり、それが翻訳機能とつながったり、拡張現実(AR= Augmented Reality)の「ホロレンズ」とつながったりすることで徐々にエコシステムが明確な姿を現し始めている。

だが一方で、大きなイノベーションを提示したメーカーほどさらなるイノベーションを出し続けないと売れ行きが一巡した後が非常に苦しくなるようにもなった。そのジレンマの強さ、"ジレンマ度"が高まり、しかも新たな革新が1年、2年という短いサイクルで迫られるのである。

これはジョブズが開発を指揮した米アップルのスマートフォン(スマホ)「iPhone(アイフォーン)に対する世の中の評価、売り上げなどをみれば理解できるだろう。「売れた、売れない」で業績は大きく変動し、世の中の評価が豹変(ひょうへん)する。大したもの(製品)を創り続けているのに、「大したことないね」と評価されるリスクが高まるのである。

"二刀流"のマイクロソフトが狙うもの

「企業向けとコンシューマー向けの二つのビジネスを抱えていることが、大きな可能性を持つことになる」

「企業向けとコンシューマー向けの二つのビジネスを抱えていることが、大きな可能性を持つことになる」

マイクロソフトは、企業向けのビジネスソリューションとコンシューマー向けOSの提供という2つのビジネスを持っている。企業向けでは最先端の信頼性が要求され、同時にコンシューマー向けにはアップルの「MacOS」に負けないぐらい楽しいと感じてもらえるOSを開発し続けなければならない。

2つのビジネスを両立させるのは簡単ではない。ただ企業向けで鍛えられたシビアなシステム技術、例えばセキュリティーシステムなどを惜しげもなくコンシューマー向けのOSに投入している。

パソコンシステム全体のなかでソフトウエアの比重が高まってもプラットフォームとしてのウィンドウズOSの存在感や価値を揺るぎないものにするためだ。それがソフト、特にOSという名のソフトに注力することでIT社会の胆を押さえるというビル・ゲイツの天才的なビジネスプランだった。これは、今後も変わらないだろう。

企業向けとコンシューマー向けという2つの軸足をあえて持ち続けることで、マイクロソフトは地歩を固めてきたし、これからも固めていくだろう。

例えばマイクロソフトは2016年春にトヨタ自動車と技術提携した。将来のクルマにはクラウドでの壮大なコンピューティングパワーや人工知能(AI)、データ処理、そしてユーザーフレンドリーなインターフェースなどが不可欠であり、それ自体がクルマの付加価値になっていくという認識を共有してのものだ。具体的にはマイクロソフトのクラウドサービスである「Azure(アジュール)」をベースにした仕組みづくりに挑む。

ソフトウエアが備える独創性や将来性などを貪欲に取り込み、そのときに企業向けとコンシューマー向けの2つのビジネスを抱えていることがハンディキャップではなく、大きな可能性を持つことになると考えているのである。

なぜマイクロソフトが検索ビジネス「Bing」なのか

IT革命第3期では、熾烈な投資競争を強いられ、誰が勝者になるのかを予測するのは難しい状況でもある。

例えば検索エンジン。「グーグル」に圧倒的な存在感があり、実際グーグルは巨額のデータセンター投資と技術開発投資を続けて規模の経済性を追求している。それをマイクロソフトが「Bing(ビング)」で追いかけている。

AIを活用した新しいサービスの構築の胆は、かつてはアルゴリズム(計算手法)だった。しかし現在は、データ量の勝負になっている。そうなると同じ規模、同じ量のデータを持っていないと同じ土俵で戦えない。

「ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ級の発想と行動力を持った人間が、新たなビジネスモデルを考案したら、あっという間に主役が交代する」

「ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ級の発想と行動力を持った人間が、新たなビジネスモデルを考案したら、あっという間に主役が交代する」

もしマイクロソフトがBingを持っていなければ、それだけで大きなハンディキャップになり、足りないデータを莫大な資金を投じて買わなければならなくなるのだ。例えば自動翻訳サービスでの対訳のためのペア言語情報や専門用語などのデータを買いそろえるのは容易ではなく、だからこそBingに日々蓄積される「言葉の山」が必要なのだ。

マイクロソフトは財務力があるのでじわじわと時間をかけて追いかけられるが、突然、想定外のイノベーションが登場すればグーグルもBingもあっという間に消失するかもしれない。「そんなことあり得ないでしょう」と一笑に付せないのが怖いところなのである。

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ級の発想と行動力を持った人間が、クラウド時代ならではの新たなビジネスモデル、「いけてる」ビジネスモデルを考案したら、あっという間に主役が交代する。

クラウドビジネスは逆転なき長距離走だ

データセンター事業も同じだ。アマゾンが先行したが、マイクロソフトも巨額を投じてメガセンターを設け、グローバルなネットワークを構築している。投資を続け、さらなる規模の経済性を梃子(てこ)に競う状態が続いている。それができていれば競争の優位性は確保できるものの、投資に一息つこうものならば、あっという間に奈落の底に追いやられてしまうだろう。

終わりのない長距離走を走るようなものだ。長距離走ならばこそ一度引き離されたら追いつき、追い越すのは不可能になってくる。マラソンを思い浮かべてみるとよい。ゴール前の一発大逆転はほとんどない。20キロメートルあたりから差をつけ始め、30キロメートルすぎで一挙に差を広げる。そうなるともう追いつけない。クラウド事業にはそういう性質がある。

グーグルは、クラウド事業のデータセンターの増設を発表したが、アマゾンやマイクロソフトとはすでに相当の差がついている。マイクロソフトが検索エンジンでグーグルを追いかけているのとは逆に、グーグルはクラウドでマイクロソフトを追いかけ始めているのである。

経営戦略で言えば、財務的なパワーがあるうちに差別化が可能な中核的な事業や領域を見いだす作業を進めなければならない。

私の経験で言えば、社長を務めたダイエーにも当てはまったことで、「GMS」という総合スーパーの体制が競争力を失い始めていたが、財務的な余力があったうちに次の柱を模索していればダイエーはもっと違った再建の道を歩めたはずなのである。

「『真の勝者』などという言葉自体が陳腐になるだろう」

「『真の勝者』などという言葉自体が陳腐になるだろう」

その伝で言えば、グーグルには財務的な余裕があり、今のうちに周回遅れではあっても手を打っておきたいのだろう。しかし企業向けビジネスでは主流をなしてきたシステムベンダーの競争力が鈍化し、苦しい戦いを強いられ、今後のIT業界の景色も随分違ったものになるかもしれない。

彼らは基幹的でシステム障害が許されないミッションクリティカルなシステムを「オンプレミス」、つまり企業内のコンピューターに導入して管理する仕組みをつくっている。そこはどうしても手を抜けないし、彼らのビジネスの胆だ。だからこそオンプレミスの対極にあるクラウドサービスへの対応は、非常に頭を悩ませるだろう。結果的に対応が遅れてしまう。実際、今からクラウドに参入しようとしても先行者と互角に戦うことはできないだろう。

それでもなお革新的な技術が登場すれば主役は代わる。「真の勝者」などという言葉自体が陳腐になるだろう。ソフトとクラウドの時代にあってプラットフォームとしてのOSを握り続けているマイクロソフトは、そこにマージャンで言う「イーハン(1飜役)」を確保し続け、持続的な成長を狙っている。

しかしそれとても、確約されたものではない。その前提でリーダーの能力が試され、その前提での能力を育てなければならないのだ。

樋口泰行氏(ひぐち・やすゆき)
1980年阪大工卒、松下電器産業(現パナソニック)入社。91年米ハーバード大学経営大学院修了。2003年に日本ヒューレット・パッカード社長。ダイエー社長を経て、08年日本マイクロソフト社長に。15年より現職。

(撮影:有光浩治)

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僕が「プロ経営者」になれた理由 変革のリーダーは「情熱×戦略」

著者 : 樋口 泰行
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 1,728円 (税込み)

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