エンタメ!

エンタな話題

羽生善治王座 「村山さんはすごいインパクトだった」 映画『聖の青春』 公開記念対談

2016/11/3

映画「聖の青春」の公開記念イベントで対談する羽生善治王座(左)と原作者の大崎善生氏(10月19日、東京・大手町)

重病を抱えながら将棋にすべての力を注ぎ、29歳で早世した村山聖(さとし)九段。その生涯を描いた映画「聖の青春」の全国公開(11月19日)を前に、最大のライバルだった同世代の羽生善治王座(王位・棋聖)と原作者で作家の大崎善生氏が思いを語った。

羽生善治(はぶ・よしはる) 1970年生まれ、埼玉県出身。二上達也九段門下。85年四段、史上3人目の中学生棋士に。96年、史上初の七冠独占。92~2010年の王座戦19連覇は同一タイトル連覇の最長記録。タイトル獲得は歴代最多の97期。

羽生善治 村山さんとの思い出はたくさんあります。出会った10代から亡くなる直前まで、短いといえば短いですが、実際に接したひとりとして、今回の映画公開はとてもうれしいです。

大崎善生 今でもよく覚えています。先日、村山さんの師匠、森信雄先生(七段)とお話しして気づいたのですが、「聖の青春」を書くとき、森さんにはインタビューしなかったし、メモさえも一切なかった。羽生さんにはちゃんと取材したんですけど。それでなぜ書けたかというと、全部、私の頭の中に入っていたんですね。(村山を弟子にしていたころ)森さんは毎日のように私の部屋で「村山くんがな、村山くんがな」としゃべっていた。関西にお住まいですが、東京に対局で来ると必ず1週間ほど私の部屋に泊まり込んでいました。私は将棋連盟で編集者をしていましたので、朝というか、昼には仕事に行く。森さんは時間を潰していて、仕事が終わる頃に来て、何人かで飲んで。家に帰って朝まで村山くんの話を聞かされる。

■アパートの部屋は空きっぱなしのまま

羽生 なんというか、優雅な生活ですね。私は(プロ棋士としてデビューする)四段になって初めて関西遠征をして、村山さんに会いました。そのとき直接、対局したわけではなかったですが、インパクトはすごかった。粗削りの将棋で、こんな作戦で大丈夫かなと。対局姿も苦しそう、つらそうなので、二重に大丈夫かなと。けれど指す将棋はとんでもなくすごい切れ味で、その二面性で異質のタイプの棋士だとしみじみ思いました。

大崎善生(おおさき・よしお) 1957年生まれ、札幌市出身。作家。雑誌「将棋世界」編集長を経て2000年「聖の青春」でデビュー、同作で新潮学芸賞受賞。他の著書に「将棋の子」(講談社ノンフィクション賞)、「パイロットフィッシュ」(吉川英治文学新人賞)など。

大崎 私が会ったのは村山さんが四段になる頃ですね。私は大阪に行くと、森さんのところに泊まるんですよ。(一緒に)近くの公園を歩いていると、村山くんがとぼとぼと紙袋を抱えて歩いてまして。森さんが飛んでいって「どうだどうだ、調子はどうだ」と。(村山の住む)前田アパートに3回ほど行ったこともあります。部屋は今でも大家さんの厚意で、空きっぱなしのまま残されています。

羽生 じっくり話したのは、関西で対局が2つ連続したときです。3日滞在して真ん中の1日は休みでした。村山さんは(対局場のある関西将棋会館の)3階の棋士室に毎日のように常駐している。せっかくなのでと行きつけの食堂に連れて行ってもらいました。村山さんは対局のときは非常に厳しく、けわしい感じなんですけれど、日常はけっこう気さくでした。高倉健さん主演の映画「網走番外地」が好きだったのが印象に残っていて、網走に行くと村山さんのことを思い出します。

大崎 東京で私が村山さんを初めて見たのは(将棋会館の近くの)鳩森神社です。村山くんが朝、のそのそ出てきて、「今日対局なのか」と聞くと「今日対局です」。「どこ泊まったの」と聞くと「ここです。そこの軒先で寝ていました」。本当の話です。それで将棋連盟に宿泊施設があるから、そこに泊まればいいんだよというと「大崎さんは何でもよく知っていますね」といわれました。その後、東京に引っ越すわけですが、羽生さんと一緒の空気を吸いたいという理由でしたね。

羽生 本当ですか。初めて知りました。村山さんは、関西では関西で楽しそう、東京にきたときはまた全然違う空気のなかで生活をエンジョイしていると見ていました。数あるエピソードでも「聖の青春」に書かなかったこともたくさんあるでしょうね。

大崎 多分いっぱいあると思います。ただ映画を監督した森義隆さんは「大崎さんも森(信雄)さんも知らない村山聖がぜったいにいるはずだ」と、ひとりだけのときの村山がどういう人間だったのかを自分は考えていました。ところで村山さんは羽生さんとは不思議な縁のようですね。村山さんが最後に負けたのが(98年のNHK杯戦決勝を戦った)羽生さんで。そのあと5連勝して休場し、亡くなっちゃうんですけど。

羽生 あの対局は私が9割方ダメな局面だったんですけど、最後のところで信じられないポカがでて、村山さんにとってはかなり残念な一局だったでしょう。私が負けた将棋ももちろんあって、映画にも実際の棋譜が使われていますが(97年の竜王戦1組の対戦で)、村山さんが途中で飛車を前に進めるときの手つきがすごい印象的でした。大胆で力強い一手で、しぐさや表情は見えなかったんですけど、手つきのインパクトがすごく残っています。

■村山さんが定着させた、お菓子の手土産

大崎 東京でがんが見つかり、大阪に撤退して、故郷の広島に戻るのですが、最後に会った棋士も羽生さんなんですよね。広島で名人戦が開催されたとき、そうとう危ない状態だったのですが、どうしても会いたいとお父さんにせがんで。

羽生 最後になるとは夢にも思ってなかった。いつも村山さんはひょっこり現れて、ひょっこり去って行く感じで。休場は発表したけど(病気を隠していたので)、翌年は元気な姿で出てくると思っていた。ただ、そういう風に会いに来てくれたのはすごくうれしい。そういえば、最近では対局の控室に若い棋士でも手土産にお菓子を持ってきますが、定着させたのは村山さんだと思います。脈々と続いていて、どれがおいしいとか話しているのはうらやましい。

大崎 映画では(村山役の)松山ケンイチさんが外見だけでなく、内面まで似せてくれたと思いました。もしかしたら最初から似ていたのかと思うほど。とてもおもしろくて、いい映画にしていただきました。

羽生 自分が出る映画を見て、不思議な感覚でした。私の20代のときのしぐさ、くせを(羽生役の東出昌大が)すごく研究して演じてくださっていました。森監督には、当時の昭和から平成に移り変わるころの時代背景みたいなものを極力忠実に再現したいと聞き、細部にこだわって作ってくださったのを感じました。

(10月19日、東京・大手町、SPACE NIOで開催した映画「聖の青春」公開記念イベントを採録)

映画「聖の青春」 「東の羽生、西の村山」と称されながら29歳で早世した棋士、村山聖(さとし)九段の生涯を描く。重い腎臓病を抱えながら将棋にすべてをささげ「怪童」とも呼ばれた一生は、師匠や家族、そしてライバルの友情に支えられていた。原作は雑誌「将棋世界」の編集長時代、村山九段と親交のあった作家、大崎善生氏が2000年に発表した同名のノンフィクション。同年の新潮学芸賞を受賞している。
むらやま・さとし 1969年広島県生まれ。83年、棋士養成機関「奨励会」入会。86年、四段に昇段しプロ棋士に。93年、王将戦でタイトル初挑戦。95年、名人戦の予選に当たる順位戦で最上位のA級入り、八段昇段。97年、順位戦B級1組に降級。98年、NHK杯戦決勝で羽生に敗れ準優勝。順位戦で春からのA級復帰を決めるが、がん再発で新年度を休場。8月、29歳で死去。九段を追贈される。生涯成績は356勝201敗(うち不戦敗12)。対羽生戦は6勝7敗。

エンタメ! 新着記事

ALL CHANNEL