KISSジーン・シモンズ「日本人のソウルが私にも」
米国の4人組ハードロック・バンド、KISS(キッス)の創設者の1人、ジーン・シモンズが来日。ステージでは火を噴き、血を吐くパフォーマンスを見せるエンターテイナーとして知られる一方、俳優業など音楽以外の分野でも活躍。KISSの象徴であるフェイスペイントをいち早く商標登録して、バンドの活動をビジネス化した先駆者であり、プロのスポーツチーム、レストランチェーン、金融ベンチャー、レコードレーベルなどを手がける実業家でもある。インタビューの後編では、子どものころからアニメファンだった彼の日本文化への思いや、新しいビジネス構想を語ってくれた。
今回の来日は、10月13~31日まで東京・ラフォーレミュージアム原宿で開催されている「KISS EXPO TOKYO 2016 ~地獄の博覧会~」にあわせてのもの。KISSメンバーが所蔵するメモラビア(記念品)をはじめ、42年にわたる活動を彩る貴重なアイテムを公開する世界初の展覧会だ。衣装や楽器などが約100点展示されているほか、ジーン・シモンズの自宅ミュージアムやポール・スタンレーの自宅アトリエをVR(バーチャルリアリティー)で体験できるコーナーなどがある。
――2015年2月のジャパン・ツアーが終わった後、この1年半はどんな活動をされていたのでしょうか。
ちょうど1年半前に、今回の「KISS EXPO」の計画を始めた。スペシャルゲストとしてゴジラやモスラも来るというから、「♪モスラ~や」っていう歌も学んだよ(笑)。世界初の展示会になるが、東京が皮切りと聞いて、すごくエキサイティングだと思った。東京は、私にとって常にカルチャーショックを感じさせる、刺激的な、特別な場所だからね。
アトムから受けた衝撃と共感
――ゴジラの話が出ましたが、あなたは日本のポップカルチャーに詳しく、コミックやアニメ好きとしても知られています。「KISS EXPO」でも鉄腕アトムとのコラボレーション絵画が展示されていますね。
私のすべてが変わったのは、子どものころに『鉄腕アトム』を見たときだからね。それまで見ていた『スーパーマン』や『バットマン』は大人のヒーローだったが、アトムは自分と同じ少年だった。しかも両親がいない。私の父親は子どものころにいなくなったから、とても共感を覚えたよ。それ以来、ずっと日本が大好きだよ。
――初来日が1977年ですね。それから40年近くがたち、当時と今では日本もずいぶん変わったと思いますが。
ソウルの部分では変わっていないと思うよ。
米国は現代的なトレンドを生み出してきた国だ。映画やテレビ、インターネットまで、米国があったから生まれ、広がった。あるいはロックンロール、ブルース、ジャズも同じだ。照明によって昼夜が逆転する24時間眠らない街も。デニムも。そして発祥の地であることに、米国人はあぐらをかいて尊大になっていると思うし、米国人はソウルという部分では未熟で、課題を抱えているといえる。
日本には、いつでもどこでも誰にもソウルがあり、ソウルで世界を構築している。それは今でも変わらないだろう。日本は少し前までは、こんな先進国ではなかった。しかし、これほど資源がないなかで「メード・イン・ジャパン」というブランドを築き上げてきた。しかも、とても柔軟性に富んだ、枠にとらわれないカルチャーを持ち、これほど古いものと新しいものが同居している国は珍しい。
私は日本で生まれ育ったわけではないが、日本人が持つソウルが自分の中にも存在している気がする。古いものを大切にする気持ちと、新しいものを取り入れる、コインの表裏のようなソウルだ。それが、私自身の活動に影響を与えていると思っている。
レストランチェーンで日本進出狙う
──あなたの活動という点では、KISSとしての音楽活動のほかに、実業家としても活躍されています。ビジネスで成功する秘訣をまとめた『KISSジーン・シモンズのミー・インク~ビジネスでドデカく稼ぐための13の教え~』という著書も出していますね。今とりかかっている事業は何でしょうか。
ROCK & BREWSというレストランチェーンがあるんだが、このチェーンはコンサートプロモーターのデーブ・フラノが考案し、レストランやホテル経営をするマイケル・ジスリス、そして我々が共同経営者になっている。
12年のオープン以来、非常に大きく成長し、ロサンゼルス空港にある2つのレストランが特にうまくいっている。今後は、客室が450もある賭博カジノ付きホテルをオープンすることが決まっている。このホテルでは寿司も食べられるんだ!
私はこのROCK & BREWSを海外進出させようと思っており、日本でも良いパートナーを探している。出資は必要ない。ほしいのは日本人のハートやソウルだ。香りも味も楽しめるように、勤勉に務めてくれるパートナーを探しているんだ。
レストランを運営するにあたっては、自分の家に招待するのと同じくらい、お客様のことを考えなければならない。誠意をもってお客様をケアできる、気持ちのこもった「おもてなし」ができるレストランにするためには、日本人のパートナーを見つけるしかないと思っている。
──日本の企業を見ていて、ビジネスをする上で参考になることはありますか。
日本では、企業のあり方もソウルが大切にされているのではないだろうか。日本のビジネスモデルを学ぼうと、様々な米国企業がリサーチにきていたとも聞く。
例えば、最近米国で成功を収めている起業家たちは、昔ながらの大企業の社長のように、隔離されたオフィス内の社長室にこもるようなことはない。フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグも自分のオフィスにこもったりはしていない。これは日本のオフィスのあり方、つまり寄り合い所帯的な、コミュニケーションをとりやすい環境を参考にしているのだろう。
夢を持つことに制限もルールもない
――あなたはキャラクタービジネスの可能性にいち早く気づき、KISSのライセンス商品や権利管理、分配などを自ら手がけました。今ではコミック、アクションフィギュア、テレビゲームからコンドーム、棺桶(かんおけ)に至るまで、5000以上のアイテムを商標登録して、KISSビジネスを広げています。成功の秘訣を教えてください。
ビジネスを成功させ続ける秘訣は、夢を持つことに大胆になり、かつ強気でやり続けることだ。若ければ若いほど無邪気に夢を持てるものだが、大人になるにつれ、夢を小さくする環境になってしまうものだ。現実に即した夢を、というように。そして最後には、夢が死んでしまう。
でも、ライト兄弟は人間が鳥のように空を飛ぶという夢をあきらめなかった。人は努力することができるんだ。偉大なことは全部同じだ。夢を持つことには制限もなければ、ルールもない。大きな夢を見続けられた人物こそが、偉大なことを成し遂げている。それはビジネスに限らない。科学、芸術、音楽といったジャンルを問わない真実だ。
1949年イスラエル・ハイファ生まれ。ナチスの強制収容所を生き抜いた母親のフローレンスさんと共に1958年に米国に移住。当初は英語がまったく話せず、経済的にも厳しかったが、厳しい学校生活やテレビ、マンガを通じて話せるようになった。やがてポップカルチャーに精通するようになり、ビートルズに憧れて、学生時代に音楽活動を始める。1973年にギタリスト、ボーカリストのポール・スタンレーらとKISSを結成し翌年デビュー。ド派手なステージパフォーマンスを繰り広げながら、現在まで活動を継続。これまでに発売したシングル、アルバムの総売り上げは1億3000万枚を超える。実業家としても知られ、キャラクタービジネス、ブランドビジネスの可能性にいち早く気づき、ライセンス商品、権利管理、分配などを自ら担当。音楽関連以外にも自己レーベル「シモンズ・レコード」、ファッションブランド「Moneybag(マネーバッグ)」、ブランドマーケティング会社「シモンズ・アブラムソン・マーケティング」など数々の事業を手がけている。10月13~31日東京・ラフォーレミュージアム原宿で開催される「KISS EXPO TOKYO 2016 ~地獄の博覧会~」にあわせて来日した。
(ライター 山田真弓)
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