訪問理美容、心でカット
働き手に優しく 利用者は楽しく
高齢だったり障害があったりで外出が難しい人などを対象に、理容師や美容師が自宅や施設に出向く「訪問理美容サービス」が広がっている。急速な高齢化で在宅サービスの一つとして需要が高まっているためだ。理美容師側にとっても訪問理美容は店舗に比べて拘束時間が短く、仕事と家庭が両立しやすいという利点も。いったん現場を離れた理美容師が復帰して働く受け皿にもなっている。
「こんにちは」。10月中旬、美容師の下辻理江さん(36)は、東京・北区の津山ケイ子さん(68)の自宅を訪れた。津山さんは脊髄の血管が詰まる病気で昨夏から自宅で介護を受けている。通っていた理容室に行けなくなり、訪問理美容に取り組む理容師や美容師などでつくるNPO法人の日本理美容福祉協会(同・北)に依頼した。
訪問理美容サービスでは、携帯用のシャンプー台のほか、はさみなどの道具を持参し、体の不自由な高齢者や身体障害者の自宅でカットやヘアカラー、パーマ、メーキャップなどの注文に応じる。津山さんは担当のケアマネジャーから同協会のサービスがあると聞き、昨年8月から2カ月に1回利用している。
美容師の下辻さんは部屋に上がると、寝たままの津山さんの枕と背中の間にタオルを敷き持参したカット用の布で体を包む。慣れた手つきで髪にはさみを入れる。カットだけだと20分以内だが「話をするのが大切」(下辻さん)と、たいていは40分ほどかけて丁寧に仕上げる。
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津山さんは「寝たままでカットしてもらえるので助かる。快適です」と満足げだ。料金は5250円。出張交通費は無料だ。
同協会は2000年に設立。理美容師を対象に、寝たきりの人の髪を洗ったり切ったりするための技術や知識を講習してきた。訪問理美容の申し込みは全国に33カ所ある同協会のセンターで受け付け、自宅や福祉介護施設などへ派遣する。
下辻さんは都内の美容室で働いていたが「福祉関連の仕事をしたい」と、昨年4月に同協会に入会した。現在は北区と周辺区を中心に高齢者の自宅や施設に出向く。月に100人前後のカットをする。「髪を整えることで、気持ちが前向きになってもらえるのが何よりうれしい」と話す。
訪問美容の先駆け的な存在が、美容師の藤田巌さん(74)。施設などを訪問してサービスを手掛ける。01年から始め、07年には会社「出前美容室 若蛙」(わかがえる、東京・世田谷)を設立。約50人の訪問美容師を抱え、関東1都3県の160施設と120人がサービスを利用する。カットの料金は、施設が2900円、在宅が3900円。
東京・世田谷の特別養護老人ホーム、第2有隣ホームは藤田さんが定期的に訪れている施設の1つ。10月上旬のある日には、川原愛子さん(98)ら入所者数人の髪を切った。川原さんの部屋の前の廊下に鏡や椅子を置いて、車いすの川原さんを迎える。
「愛子さん。よろしくお願いします」。青いカットクロスをまとった川原さんの髪を霧吹きで湿らせてからカットし、襟足は電気カミソリで整え、最後はドライヤーで仕上げる。事前に川原さんの体調を聞いているが、散髪中に顔色や表情に異変がないか確認することを欠かさない。
「愛子さん、とってもおきれいになりましたよ」。川原さんはほとんど話せないが、鏡を見てほほ笑む。藤田さんは「技術はもちろん、ホスピタリティーはもっと大切。『腕でカット』より『心でカット』」と力を込める。
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地域を挙げて訪問美容に取り組むのは山形県美容業生活衛生同業組合(山形市、小山幸子理事長)だ。加盟約60店舗の経営者や美容師がメンバーとなり、今年2月に県家庭訪問美容師会を発足した。会員美容師の高橋美枝子さん(65)は、「年を重ねてもおしゃれを忘れない人たちの役に立ちたい」と意気込む。
20年以上高橋さんの美容院に通っていた加藤聿子さん(83)は、足を悪くしたため、高橋さんに訪問美容を頼んでいる。訪問するのは金曜日の午前中。カット料金は店と同じ3500円。加藤さんは「おしゃべりするのが楽しみ。訪問してくれる日が待ち遠しい」と言う。
規制緩和でサービス広がる
訪問理美容は従来、ボランティアとして無料のことが多かった。ビジネスとして広まりだしたのは2000年代からだ。全国訪問理美容協会(東京・世田谷)の推計では、全国で訪問理美容を手掛ける事業者は約3000。ただ、美容師でみると今働いている約50万人のうち訪問美容師は1%に満たないとされ、「不足している」(同協会)。
料金は担当する店舗ごとに異なり、カットが3000円から、ヘアカラーが4000円からなど。出張費を加算する事業者もある。利用者の住まいのある自治体によっては、福祉利用券などで助成も受けることができるという。利用するには、同協会や地域の理美容組合などに問い合わせるといい。
高齢者や障害者のカットは高い技術が必要なため、訪問理美容師は「経験10年以上でコミュニケーション力がある40代以上が多い」(藤田さん)。もともと美容室で働いていた人が結婚を機に仕事を辞め、子育てが一段落した後に、訪問美容で働く例が少なくないという。「美容室に比べて拘束時間が短く、働く日時も選びやすい」(下辻さん)
規制緩和もサービス拡大の背景にある。理美容業は衛生的な環境が整った店舗での施術が基本とされる。訪問は病気や障害で理容室などに来られない人、高齢者福祉施設に入所している人などと、これまで法律や条例で限定されてきた。しかし、昨年6月の規制緩和で、子育てや介護で出かけられない人もサービスを受けられるようになった。
(大橋正也)
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