不便で楽しい イタリアの田舎 路線バスの旅日伊協会常務理事 二村高史

大騒ぎの通学バスを乗りこなす

正午ごろになると、近郊の町に生徒が帰るために、ターミナルにバスが集結する

イタリアのバスの時刻表を見ていると、「Giornaliero」「Feriale」「Festivo」と書かれていることがよくある。運転日を示すことばで、それぞれ、毎日、平日、休日という意味である。

それにもうひとつ、「Scolastico」というのがある。これは、学校の授業がある日だけ運転するというもの。言い換えれば、これが書かれている便は、通学する小中学生でごった返しているという意味でもある。

だから、「Scolastico」のバスはなるべく利用を避けているのだが、1日数往復しかない路線では、スケジュールの都合上、どうしても乗らざるを得ないことがある。そうなると、もう大変である。

毎日、同じ顔ぶれで家と学校を行き来している田舎の子どもたちにとって、外国人、それも東洋人が乗り込んでくるのだから、退屈しのぎに格好のターゲットである。

「ねえねえ、どこから来たの? 中国人?」

「どこまで行くの? 何しに行くの?」

妻と義母を引き連れて、カラブリア州の東海岸にあるトレビサッチェという町から、さきほどのカストロヴィッラリに向かうバスもそうだった。

「○○って言ってみて」

たぶん、その○○は下品な方言だと思うのだが、これもサービスだと思って、聞いた通りに発音してあげると、車内全体で大騒ぎ。騒がしさの極致であった。

バスが止まるたびに、そんな子どもたちが1人降り、2人降りして、峠越えの前には誰もいなくなって静かになった。すると、運転士がそれまで大音量でかけていたカーラジオのスイッチをプチッと切ったのが印象的だった。

どうしてこんな狭い道を通れるのか不思議になるイタリアの路線バス

もっとも最近は、イタリア人の子どもも車内でスマホのゲームで遊んでいることが多く、以前ほど興味を示されなくなってしまったのは少し寂しい。

こんなふうに、とっても不便でとっても厄介なイタリア──特に南イタリアの路線バスだが、慣れてしまえばこれほど刺激的で楽しいものはない。大なり小なり、毎回必ずそこでは“事件”が起きるからである。

最初のうちこそ、目的地に行くための手段として選んだ路線バスだったが、最近では乗ること自体が楽しみになってきた。

下校する生徒で満員の路線バス
二村高史(ふたむら・たかし) フリーライター、公益財団法人日伊協会常務理事
1956年東京生まれ。東京大学文学部卒。小学生時代から都電、国鉄、私鉄の乗り歩きに目覚める。大学卒業後はシベリア鉄道経由でヨーロッパに行きイタリア語習得に励む。塾講師、パソコン解説書執筆などを経てフリーランスのライターに。「鉄道黄金時代 1970's ディスカバージャパンメモリーズ」(日経BP社)、連載「30年の時を超える 大人のシベリア鉄道横断記」(日経ビジネスonline)などの鉄道関連の著作のほか、パソコン、IT関係の著書がある。
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