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日本マイクロソフト会長の樋口泰行氏。普通のサラリーマンだったという同氏は、米国留学を経て3つの会社の経営トップを経験、「プロの経営者」の先駆けとなった。外資系のIT(情報技術)企業のほか、再建の渦中にあったダイエーなど流通大手も率いた。激しく経営環境が変化するなか、リーダーには何が求められるのか。樋口氏の連載7回目は深化する「IT革命」で経営者に不可欠な「ITリテラシー(基礎知識)」の本質について語る。

◇   ◇   ◇

 大ざっぱに振り返れば、いわゆる「IT革命」は現在、「第3期」に入っている。

第1期は、コンピューターが企業に導入されて業務処理の効率化が進んだ時代。第2期は、個人に「パソコン」が普及し、そこにネットワークの機能が付加されてインターネットなどの活用が進んだ時代。そして始まった第3期のキーワードは「クラウド」だ。大量の情報を蓄積し、それらを活用する技術と結びつけることでまったく新しいITサービスを提供する。

IT革命の第3期でなにが変わり、また私たちになにが求められているのか。今回と次回で、求められているITリテラシーとビジネスの変容をIT業界の競争風景も交えながら考えてみたい。

日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏

日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏

「人間への親和性が高い」ソフト比重の高まり

まず前提として話したいのがコンピューター利用における基本ソフト(OS)やアプリケーション(応用ソフト)などのソフトの位置付けの高まりだ。1990年代に入ると、インテルから性能が向上したCPU(中央演算処理装置)が発売され、マイクロソフトから新バージョンのウィンドウズOSが発売されるたびにパソコンの更新需要が湧き起こり、必ず売れた。それは同じ井戸からくみきれぬほどの水を何度もくみ出せるぐらいの需要の増加だった。

しかし同時に、CPUの性能が向上し、OSもプラットフォームとしての機能を向上させるとコンピューターのハードよりもOSやアプリケーションが果たす役割が増していった。例えば、かつては一部のプロ向けであった写真や動画の編集ソフト、楽曲ソフトなどが今や数千円で手に入ることに象徴されるように、ハードの機能向上を背景に「ソフトの時代」が本格化し、現在のスマートフォン(スマホ)の多彩なアプリケーション群へとつながっている。

最近のソフトのキーワードは、「人間への親和性の高さ」とでもいえようか。例えば、接続すればすぐに使える「プラグ・アンド・プレー」の進化。今やプリンターやルーターなど周辺機器はパソコンに接続するだけで自動的にデバイスを選び、最適状態に設定してくれるようになった。ネット利用のためにプロトコル(通信手順)やサーバードメイン(ネット上の住所)の指定など難解な作業に苦労したのがウソのようである。

インターフェースも変わった。ウィンドウズOSの対話型デジタル秘書機能「コルタナ」やアップルのOS「iOS」の会話型AI(人工知能)「Siri(シリ)」は入力された音声(言葉)を解析して関連する情報を示してくれる。これは自動翻訳でも同じ。さらに米マイクロソフトが開発した「HoloLens(ホロレンズ)」の技術もすでにOSに組み込まれている。これは拡張現実(AR= Augmented Reality)の一つで、技術的には、ヘッドマウントディスプレー(HMD= Head Mounted Display)をつけると、室内の壁にパソコンのタッチ画面が示されて作業ができ、無料インターネット通話「Skype(スカイプ)」と併用して遠くにいる相手とつながると自分の部屋を訪ねてきてリビングのソファで話しているようにさえ見えるようになる。

一連のOSや、それを利用したアプリケーションの登場の背後には、やはりクラウドや膨大なデータがある。これらの連携によりITはユーザーに新たな体験や業務革新をもたらす。

デジタル化=ミッションクリティカル度の上昇を理解しきれないCEO

それはとりもなおさず、ビジネスにおけるIT活用の重要度や緊急度も高まっていることを意味している。いわば、システム障害が許されない「ミッションクリティカル」の度合いが増しているのだ。デジタルマーケティング、デジタルプロダクツなど立場の違いこそあれ、ビジネスのすべてのバリューチェーン(価値の連鎖)がデジタル化を前提にしたものになっていく。

でありながら仕事の現場を見ると、いくつも気になることがある。まず指摘したいのが、最高経営責任者(CEO)と最高情報責任者(CIO)の認識のギャップがいっこうに埋まらない状態が続いていることだ。CIOは、「自分たちは技術系なので経営課題の優先順位はあまり分かっていない」と平然と言うし、そもそも「システム課題が、あまたある経営課題のなかでどれぐらいの優先度に位置づけられているのか」さえ不明瞭だ。

CEOはITが経営にどのような貢献をもたらしてくれるかのCIOからの説明が不十分だと感じている。結果的にCEOとCIOの間で、経営の観点から見てITをどのように位置づけるべきかの踏み込んだ議論ができていない。

なかには「IT分野のことはよく分からない」と公言してはばからないCEOもいる。「いや、補完してくれる参謀がいるから」と言い訳をする。しかしIT時代でかつ変革の時期のリーダーには、あらゆるテーマで自分なりに自己完結できるだけの素地が不可欠である。また素地があるかないかで事業の展開はまるで変わってしまう。そこを理解しきれていないCEOはまだまだ多い。また、理解はしているが、勉強するに至っていないことも多い。

経営課題とITを結びつけられない現場

次に指摘したいのが、現場の人たちのIT活用についてだ。お客さまの経営課題の解決にITがどのように活用できるまで含めた提案が十分にできていないのではないか。それは「経営課題とITソリューション」とか、「ユーザーメリットの創造へのITを含めた提案」などと表現できるものだ。

あらゆるモノがネットにつながる「IoT」導入や顧客情報管理(CRM)解析手法の向上など、あらゆるものがデジタル化する市場にあって、自社製品がお客さまの課題をどのように解決するかを提案するならば、ITとの戦略的な連携が含まれていなければなんら意味をなさなくなってきている。

例えば物流業界を見れば、効率化提案の背景には、お客さまとの情報共有やシステム投資を削減できるITソリューションが必ず背後にある。ユニクロやニトリなどのSPA(製造小売業)がお客さまに優れた商品を提供できる背景にもITがある。こうした例は枚挙にいとまがない。あらゆる企業の経営課題をIT抜きには解決できなくなっているということだ。

現場の人たちのITリテラシーとは、単にパソコンやスマホを使いこなせるとか、統計学的なデータ分析ができるようになるといったことではなく、経営課題とITを結びつけてデジタルをベースにしたビジネスモデルをいかに提示できるかにある。

そもそも日本では、ものづくりではお客さまと一緒になって品質をつくり込んでいったり、販売では代理店と一緒になって販売促進策を考えたりする。製品やサービスをポーンと投げてくるだけの欧米とは違う。

日本のビジネスの根底にあるのは目標や価値観を共有し合いながら進める風土だ。それほど日本は、価値観や嗜好(しこう)性を共有して物事を考える「ハイコンテクスト文化」の国であり、ITリテラシーもこうした風土を前提として考えていかなければならない。そこは絶対に忘れてはならないところだ。

インテリジェンスなきITリテラシーはない

では、そのようなITリテラシーはどのように育てられるのだろうか。結論を先に書いてしまえば、実は私は、「ITリテラシーとはITのためのリテラシーではない」とさえ思っている。

今や、情報収集は実に簡単になった。ネットの書き込みなどにはデタラメも多いが、それでも収集できる情報の範囲は広がっている。そうなれば情報の取捨選択なり、整理なり、構造化なり、解釈なりの能力が個人レベルや組織レベルで求められ、それが競争力に如実に反映していく。

大学の先生たちがいつもあきれるのは、学生たちのリポートがものの見事にグーグルやヤフーなどの検索サイトで課題名を入れると最初か二番目に出てくる情報の丸写し、つまり「コピペ」(コピー・アンド・ペースト=データや文章の切り貼り)したものばかりであることだ。情報が正しいかどうかのクロスチェックをした形跡もない。情報の無批判な受容と、そうした姿勢から出てくる筋の乏しい見解。

ジャーナリストの池上彰さんや元外交官の佐藤優さんなどがニュースの解説者として人気を集めるのは、彼らが他人よりもたくさんの情報を持っているからではない。情報というものが持っている本質的な特徴、例えば内容が誰かのメリットのために改変されやすいとか、恣意的に流布されることが多いといった特徴を理解した上で、情報を読み解き、胆を示せるからだ。また。それを可能にするためのバックボーンとしての教養も厚い。

同じようなことが会社間にも、ビジネスパーソン一人ひとりにも求められている。情報の変化や本質を読み解く能力が高い会社というのは確かにあるのだ。

日本マイクロソフトの大先輩である元社長の成毛真さんは、OS「ウィンドウズ98」が発売されたころにはすでに、「コンピューター社会の進行、IT革命においてはライブ感こそが最終的な勝負どころになる」と喝破していた。情報を見極めるには、生の暮らし(ライブ)への理解や豊かさへの努力が大事になるというのである。

例えば本を読む、映画を見る、演奏会に行く、スポーツ観戦で熱狂してみるといったことだ。そうしたライブ感が情報を活用するための基礎的な素養になるのである。

日本語では「情報」とひとくくりになっているが、英語では「インフォメーション」と「インテリジェンス」の使い分けがあることはよく知られている。インフォメーションは事実関係などの単なるデータであり、一方、インテリジェンスは事実関係やデータから物事の核心的な動きを捉えた情報だ。

インテリジェンスであるためには深い教養と現場についての深い理解が欠かせない。IT革命の第3期に入り、クラウドを軸としたまったく新しいサービスが次々と実現して「Go to Market IT」の流れが強まるなかで、私たちに求められているITリテラシーとは、まさにインテリジェンスにほかならないのではないかと思うのである。

樋口泰行氏(ひぐち・やすゆき)
1980年阪大工卒、松下電器産業(現パナソニック)入社。91年米ハーバード大学経営大学院修了。2003年に日本ヒューレット・パッカード社長。ダイエー社長を経て、08年日本マイクロソフト社長に。15年より現職。

(撮影:有光浩治)

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著者 : 樋口 泰行
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 1,728円 (税込み)

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