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リーダーの母校

「山嵐」に一蹴された福岡・修猷館時代 長谷川閑史・武田薬品工業会長が語る(上)

2016/10/24

1784(天明4年)創立の藩校に遡る歴史を持ち、政官財に数多くの人材を輩出してきた名門、福岡県立修猷館高校。卒業生の一人に、武田薬品工業会長で、昨年まで経済同友会代表幹事を務めた長谷川閑史氏(70)がいる。外国人を後任社長に据えるなど、前例にとらわれない大胆な経営を進めてきたが、その思考や行動の根本には、修猷館時代の体験があった。

(下)福岡・修猷館時代の寄宿生体験 海外事業で生きる >>

■生まれは山口県。だが、小学校卒業後、福岡市内の中学校に進学した。

山口の田舎の小さな村に生まれましたが、小学校卒業後、父親に、当時、修猷館に進学する生徒が多かった福岡市内の中学校に無理やり入れられました。父は福岡で大学時代を過ごしたので、おそらくその時に修猷館の評判を知り、自分の息子をぜひそこに入れたいと思ったのでしょう。5歳年上の兄も中学から福岡で下宿生活を始めていました。

母親は、末っ子の私を心配し、泣きました。でも、父親に逆らうことはできず、小学校を卒業したばかりの私は、実家から100キロ以上も離れた見知らぬ街で、兄と一緒に下宿生活を始めることになるのです。

仕送りはしてもらいましたが、身の回りの事は、掃除も洗濯も、すべて自分でやらなくてはなりませんでした。食事は、朝と夜は下宿先の大家さんがつくってくれましたが、弁当までは世話してくれないので、自分でパンを買って食べたりしていました。最初は寂しくて、よく泣いていました。父親を恨みましたね。

人口わずか7000人の村からいきなり大都会に出て、カルチャーショックも受けました。博多弁もよく理解できない。例えば、博多弁では「この指とまれ」を「この指かたれ」と言います。まるで、英語でも聞いているような感覚で、慣れるまでとても苦労しました。

でも、振り返ってみると、12歳で親元を離れ一人で暮らし始めたことは、その後の私の人生にとって貴重な経験になったと思います。確かに当時は父親を恨みましたが、今はむしろ感謝しています。

■無事に中学を卒業し、晴れて修猷館に入学。しかし、勉強はそっちのけだった。

「修猷館時代の思い出は授業よりも、それ以外のほうが多い」と話す

修猷館には、私のようないわゆる越境入学者が結構いました。越境入学で下宿している生徒は「寄留生」と呼ばれていました。校風は、校歌にもありますが、質朴剛健。下駄(げた)ばきで通学するバンカラな生徒も結構いました。

同時に、自由放任で、生徒の自主性をできるだけ尊重しようという雰囲気がありました。象徴が、「もうかり」と呼ばれる“授業”。修猷館では、中間試験や期末試験の前になると、生徒が先生のところに行き、「試験勉強したいから授業は自習にしてください」と掛けあう伝統がありました。先生も仕方ないなあという感じで応じるのですが、でも生徒は自習なんかせず、「もうかった、もうかった」と叫んで、校庭でソフトボールに興じたり、勝手に学校を抜け出し、近くの浜に遊びに行ったりしてしまうのです。

そんな感じなので、勉強はあまりせず、友達と遊んだり、自分の好きなことをしたりして過ごした時間のほうが圧倒的に長かった。ですから、修猷館時代の思い出は、授業よりも、それ以外のほうが多いですね。

例えば、映画が大好きだったので、下宿近くの商店街の親しくなったお店の人から洋画の3本立てのタダ券をもらい、毎週のように映画館に行っていました。毎週違う作品を上映するので、卒業するまでにものすごい数の映画を見たと思います。マリリン・モンロー主演の「お熱いのがお好き」に抱腹絶倒し、「ヨーロッパの夜」のザ・プラターズに衝撃を受け、モンゴメリー・クリフト主演の「地上より永遠に」に涙するなど、思い出は尽きません。本も大好きで、むさぼるように読んでいました。特に冒険小説や歴史ものが好きでしたが、一時はSFにもはまりました。

■勉強はしなかったが、クラスのまとめ役は買って出た。

自主性を重んじる校風なので、体育祭や文化祭の運営は生徒に全面的に任されます。そういった時には頼まれてリーダー役を引き受けました。性に合っていたのだと思います。

「もうかり」交渉が得意だったので、クラス委員もやりました。ある時、クラスの席を朝学校に来た生徒が自由に座れるようにしたら面白いのではないかと思いつき、クラス委員の権限で、クラスに提案し実行に移しました。自由放任なので問題ないだろうと考えたのですが、担任の「山嵐」に一蹴されました。山嵐とは、担任の髪形を見て生徒がつけたあだ名です。

来たばかりのころはカルチャーショックを受けた街も、徐々に慣れ親しみ、高校時代は楽しい思い出もいっぱいありました。

修猷館に入ってからも相変わらず下宿暮らしでしたが、中学時代と違って賄い付きではなかったので、朝昼晩とも外食でした。その分、大変さが増しましたが、捨てる神あれば拾う神あり。顔見知りになった近所の駄菓子屋のおばちゃんが、こちらの窮状を見かねたのか、時々、ご飯を食べさせてくれたり、差し入れしてくれたりして、とても助かりました。また、通学路にあったラーメン屋にはずいぶん親切にしてもらいました。

ビジネスで大変なことがあっても、最後は何とかなるという、楽観的というか、たくましい思考が持てたのも、元をたどれば、高校時代の経験にいきつくのかもしれません。

インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)

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