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スズキ会長の鈴木修氏(右)とトヨタ自動車社長の豊田章男氏

スズキ会長の鈴木修氏(右)とトヨタ自動車社長の豊田章男氏

トヨタ自動車とスズキが12日、情報や環境、安全など幅広い分野で先端技術を核に提携する検討を始めたと発表した。「中小企業のおやじ」を標榜するスズキの鈴木修会長(86)がスズキ社長に就任したのは1978年のこと。これまで、米ゼネラル・モーターズ(GM)、独フォルクスワーゲン(VW)といったトヨタのライバル企業と手を組んできたが、いずれも解消した。スズキとトヨタの本拠地はともに東海地方。修氏は「近くて遠い存在」といわれた自動車産業の世界首位、巨人トヨタとなぜ手を握ったのか。

「せっかちな質問ですな。まあ、ゆっくり考えますわ」――。将来のトヨタグループ入りもあるのかという記者の質問に対して、修氏はややぶぜんとしてこう答えた。トヨタとスズキの提携となると、「ついにスズキはトヨタの軍門に下るのか」との見方が必ず浮上する。このため見冒頭のあいさつで修氏は「(トヨタと提携しても)独立した会社であることは変わらない」と報道陣にくぎを刺した。対してトヨタの豊田章男社長(60)は「資本を含めてこれからの話、今は何も決まっていない。こちらもゆっくり考える」と応じた。

今回の提携は主に情報や環境、安全の先端技術分野が対象。そもそも今年9月、修氏は章男氏の父親にあたる豊田章一郎名誉会長(91)に技術分野での支援について相談を持ちかけたことが契機という。自動運転やハイブリッドなど、先端技術でトヨタは世界のトップを走る。スズキはこうした分野で大きく出遅れており、「危機感が高まっていた」(修氏)という。

トヨタとスズキは長年のライバル。国内の軽自動車市場で、スズキはトヨタ子会社のダイハツ工業と激しい首位競争を繰り広げている。それゆえ、修氏がこれまで提携先として選んだのはGMそしてVWだった。両社とも世界市場でトヨタと首位を争うライバル企業だ。修氏の宿敵は常にトヨタといわれきた。スズキは売上高が3兆円を超す大企業。しかし、修氏が「中小企業のおやじ」と自らを称するのは、トヨタからすれば小さな会社かもしれないが、「真っ向から戦っている」との自負もあったからこそだ。

鈴木修氏は2015年7月に社長の座を長男の俊宏氏(左)に譲ったが……

鈴木修氏は2015年7月に社長の座を長男の俊宏氏(左)に譲ったが……

しかし、GM、VWと手を切った以上、「先端技術で頼れるのは結局トヨタしかない」(スズキ幹部)。もともと個人的に修氏は章一郎氏とは親しい間柄だ。「僕から見ると、(章一郎氏は)お兄さんみたいな存在」と修氏は明かす。

実は両社の創業家、鈴木家と豊田家はよく似ている。スズキの本社は浜松市だが、浜松地方はトヨタグループの創始者、豊田佐吉の出身地だ。祖業も同じ自動織機。記者会見では章男氏も「両社とも遠州(現在の静岡県西部)」と地縁を強調した。

修氏は1958年に鈴木家2代目の俊三氏の娘婿となり、スズキに入社。二輪車メーカーを軽自動車のトップメーカーに押し上げた。さらにインドなど新興国の小型車市場を開拓。GMとも資本・業務提携を結んだ。GMが経営破綻した後、提携関係を大幅に縮小。その後、VWと資本提携したが関係が悪化し、提携関係を解消した。スズキは米国、欧州とパートナーを次々変え、地球をグルッと1周して最後にすぐ隣のトヨタを選んだ格好だ。

修氏は2015年に息子の俊宏氏に社長の座を譲った。しかし、実質的トップは今も変わらない。以前は分厚いステーキをペロリと平らげていたといわれる修氏も86歳になる。12日の記者会見での声はかすれ気味で、以前のような陽気な"修節"はみられなかった。ただ、「トヨタとの提携という大きな課題にメドついて、一段落つきましたか」と、報道陣から質問が投げかけられると、修氏は「企業経営者にこれで一段落という考え方はない。常にチャレンジするという気持ちは変わらない」を切り返した。「中小企業のおやじ」の目の黒いうちは、そう安々と巨人の軍門に下ることはないのかもしれない。

(代慶達也)

「キャリアコラム」は随時掲載です。

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