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日本航空の大西賢会長(61)が振り返る「リーダーの母校」。先生も生徒も個性派ぞろいの灘校で3年間過ごした大西氏は、東京大学工学部に進み、日航に就職。順調に出世を積み重ねていくも、突然、会社の破綻というキャリアの一大事に直面する。

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JAL入社後はずっと整備畑を歩み、2010年、初の整備畑出身の社長となった。

中国の易経に「窮すれば即(すなわ)ち変ず、変ずれば即ち通ず」という言葉があります。JALに入ってからは、苦しいこともたくさんありましたが、いつもこの言葉を胸に秘めて仕事をしてきました。これも、灘校時代の体験がベースになっているような気がします。

個性派ぞろいの灘校では、学究の世界でもずぬけた生徒もいます。天才というのか、自分のはるか上を行く人間がいることを初めて知った時は、愕然(がくぜん)としました。そうした環境の中、「自分は、歩みは遅いかもしれないが、一生懸命歩み続ければ、いつかは追いつくことができるかもしれない」との思いで、日々、勉強に打ち込みました。そして、努力は必ず報われるということも学びました。

JALに入ってから一番大変だったのは、やはり、2010年に会社更生法を申請して前経営陣が総退陣した直後に、社長に就任した時です。会長に就任した稲盛(和夫)さんから、檄(げき)を飛ばされ、自分のできることはとにかくあきらめずに努力し続けることだとの思いで、無我夢中で職務に当たりました。

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