出世ナビ

私の履歴書復刻版

文化活動――美術館、生活文化盛る さらに音楽の世界へと展開 サントリー2代目社長 佐治敬三(24)

2016/10/17

戦後もかなりたった昭和36年(1961年)にサントリー美術館を設立した。東京の皇居前にパレスホテルが建設されようとしていたころ、発起人会の席で、「またとないこの場所にふさわしい文化的な施設を」と説かれたのは、当時の三和銀行頭取上枝一雄氏、そのお話に触発されて開設したのがサントリー美術館であった。父の遺産の中には、値うちのある美術品は皆無であった。

当初のもくろみは、テーマを定めて収蔵家から美術品を拝借して展示する、いわば展示の場としての美術館であった。ところが、相談申し上げた国立博物館の先生から「美術品を持たない美術館の運営などは、正にドンキホーテにも比すべきおろかなことだ」と強いご叱正をいただいた。なるほどと「美術品ただ今ゼロ」から集め始めたわけである。

当時、戦後の嵐もすぎ、名品はそれぞれ然るべきお蔵におさまってしまって、収集もなかなか容易ではなかった。そこでいわば窮余の一策として、「生活の中の美」をコンセプトに展示も収集も一貫する。このことが後発の美術館がアイデンティティをいちはやく確立することにつながったと思う。

国宝 浮線綾螺鈿蒔絵手箱

美術品とのめぐり合いは、それぞれにドラマを秘めている。館蔵品のお職ともいうべき国宝浮線綾螺鈿蒔絵手箱(源頼朝の北の方政子愛蔵の品と伝えられる)は、大阪の某有力会社に担保として入っていたものが持ち込まれてきたのである。発足後間もない美術館にとって「国宝」のもつ重みは、はかり知れない。当時の金で3000万円は目の玉がとび出るほど破格な金高であったが、それこそ清水の舞台からとび降りる気持ちできめたことを、今でもあざやかにおぼえている。その後この宝物にすいよせられるように漆器の名品が集まってくる。不思議な引力である。

美術館の開設以後は10年毎に新しい分野に文化活動が広がって行く。

創業70周年記念に当る昭和44年(1969年)、財団法人鳥井音楽財団(現サントリー音楽財団)設立。私自身さほど音楽に造詣が深いわけではない。いうならば音楽ずきへの憧れとでもいうべきエピゴーネンであったが、民放の始まりと同時に、安川加寿子さん等の協力をえて、『百万人の音楽』(クラシック)の提供をついこの間までつづけていたのだから、まんざら因縁がないわけではない。財団を通じて多くの音楽関係者と相識るようになったことが、後年のサントリーホールの誕生につながっていった。

あるとき故芥川也寸志さん(財団の実質的な指導者、氏の没後その名を冠した作曲賞が設けられている)からこんな話があった。「サントリー音楽賞はユニークな賞としての評価を高めていて、音楽家の一人として感謝にたえないが、今東京で求められているのは本格的なコンサート専用のホールです。唯一上野の文化会館がありますが、これとてもコンサート専用ではありませんし、多くの不満があるのです。ひとつサントリーでホールを造りませんか」。まさか、と思っていたこの幻の計画が、意外なところから現実のものとなる。

森ビルの六本木アークヒルズの開発計画の中に、コンサートホールが予定され、サントリーにお話をいただくこととなったのである。何ヵ月かの熟考のときがすぎたが、考えてみると、あの都心中の都心の一等地に、コンサートホールを造る機会はまたとはなかろう。千載一遇のチャンスとはこのことか。計算してみると、年間の費用は宣伝費の数パーセントの範囲におさまる。何とか工夫をこらせない額ではないと見きわめをつけてGOのサインを出したのが、昭和57年(1982年)6月のことであった。設計は高校時代からの親友、安井建築設計事務所会長佐野正一にたのむことにした。

この連載は、1993年4月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。

出世ナビ 新着記事

ALL CHANNEL