西川美和 「これじゃないとダメ」な創作ノートの条件

愛用のノートと筆記具について語る西川さん
愛用のノートと筆記具について語る西川さん

『ディア・ドクター』『夢売るふたり』などの映画で知られ、小説やエッセーでも高い評価を受ける映画監督の西川美和さん。深い人間描写で心を揺さぶる西川さんならではの物語は、どのようなモノから生み出されているのでしょうか。自らの直木賞候補作を映画化した『永い言い訳』の作り方は? 注目クリエイターの「私のモノ語り」をお届けします。

すべてはここから生まれる!秘密の創作ノート

西川さんが使い続けてきたGクラッセ「MONOCHROME」のリングノートと油性ボールペン「JETSTREAM」
Gクラッセ「MONOCHROME」のリングノート。表紙が厚手でPP(ポリプロピレン)加工されているため、耐久性に優れる。紙は120枚、方眼は4ミリ。サイズはA5とA6の2種類があったが、西川監督は大きめのA5を使用。リングに刺さっているペンが油性ボールペン「JETSTREAM」。なめらかな書き心地が特長。新しい色材と顔料を組み合わせ、従来の約2倍のくっきりと濃い描線を実現。速乾性もあり、描線で手が汚れるストレスも軽減している。ペン先のボールを押さえることで、インクの直流(漏れ出し)も防ぐ。

私、あんまりモノに対してこだわりがなくて。唯一「これじゃないとダメ」と思っていたのが、このノートなんです。

アイデアを書く「ネタ帳」みたいなものですが、まず、この方眼がいいんですね。絵を描いたりもするので、横のケイ線がない方が自由になる。とはいえ真っ白なページだと文章が書きづらいので、方眼がいい。

なおかつ、リングノートがいいんです。取材に行って立ったままメモする時、ひっくり返せるほうが書きやすいので。かつ、これは表紙が固くて形崩れしづらく、さらにゴムバンドが付いており、リングの径にペンが入る。私にとっては完璧です(笑)。

いろんなノートを試してきましたが、10年くらい前にとある文房具屋さんからインターネットで購入してから、ずっとこのノートを使ってきました。だいたいひとつの作品を書くために2冊半くらいは使いますね。最近は連載のアイデアなどもこれに書いているので、もう10冊目ぐらいはいってるんじゃないでしょうか。切れると当惑するので、買う時は何冊か、まとめ買いしてきました。

そんな私の仕事道具が、なんとこのたび、まさかの絶版になりまして(笑)。今まさに当惑してます、私。こんなシンプルなノートなんてほかにもありそうですけど、ないんですよ。Loftとか東急ハンズとか、渋谷中のお店を探してみたんですが、ない。白のタイプはあるんですよ。でも、白だと汚れが目立ちますからね。

モレスキンのノートも格好いいしあこがれるんですけど、ペンが入らなくて、ひっくり返せないのが玉にキズです。それに(リング式ではない)とじたノートだと、開いたときに山が付いちゃいますよね? 1ページ目でも途中のページでも、最後まで書き味が変わらないっていうのも、けっこう大事なんです。そういうわけで、当惑しているこの頃でございます(笑)。

映画のアイデア、リサーチしたメモもこのノートに書き留めていく

ペンはコンビニでも買える、書きやすいものを

書き味といえば、ペンもずっと同じものを使ってきました。「JETSTREAM」(三菱鉛筆)という150円のボールペン。私は0.7ミリが好きなんですけど、本当に書きやすいです。

購入のきっかけは、コンビニで手に入ったこと。もしインクが切れても、また手軽に買えるというのが魅力です。あと、万年筆は「いつインクが切れるか」という心配がありますが、油性ボールペンはインク持ちが圧倒的にいい。ペン先がダメにならないのもいいですね。ペンが変わると、書ける文章も意外と書けなかったりするので、これももう、10年以上使っています。

実はこのペン、『永い言い訳』の中で、主演の本木雅弘さんに使ってもらってるんですよ。本木さんの役柄が小説家なので、知り合いの編集者の方にリサーチをかけてもらったら、案外、作家さんたちも安価で使いやすいペンを使ってらっしゃることが多いと。であればと、文房具屋さんやコンビニで手に入りやすいペンをいくつか用意して、本木さんに書いてもらったら、「あ、これ、書きやすい」ということでした。

本木さんが演じる「衣笠幸夫」はこだわりの強い、美意識の高いキャラクターだったので、もしかしたら万年筆でもよかったのかもしれないけれど、逆にそれだと、嘘っぽく見えるかもしれないと思いました。一つくらい、人の目を気にせずに、“書く”ということに対して飾りなく誠実でいる部分を残しておいてやりたかったですし。小説家の役というと、映画人はついモンブランやウォーターマンの万年筆を持たせたくなる(笑)。そこをグッとこらえて、今回はこのペンを使わせていただきました。

西川さんが手にするのが愛用のボールペン「JETSTREAM」。映画「永い言い訳」の主人公にもこのペンを持たせた

取材は、壁紙や空気のようになって

リサーチや取材は、助監督さんたちと一緒になって、わりとよくしますね。たとえば『ディア・ドクター』の時は、山間の病院が舞台だったので、何日か離島や山間部の村に滞在して、へき地医療の取材をしました。診療所で見学させてもらったり、先生と一緒に往診に出かけたり。

そんな時、ノートに一番書くのは言葉です。お医者さんと患者さんのやりとりをそばで聞きながら、それを全部メモしていく。そうすることで、「先生は患者さんのことをこう呼んで、こう話すんだ」とか言葉遣いがわかりますし、会話の中に、セリフのキーとなる言葉が出てきたりもする。

『ディア・ドクター』では、笑福亭鶴瓶さん演じるお医者さんが、統合失調症のおばあちゃんの家に往診に行く場面があります。おばあちゃんが、健康な人には聞こえない音が聞こえて、その声の主が自分を襲いに来るんだ、とお医者さんに訴える。すると「そういう声も、お薬をきちんと飲んだら聞こえなくなりますよ」と、先生が諭す。でもおばあちゃんは「いや、その(幻聴の)人に、お薬は飲むなと言われてるから。厳しく言われてるんでね、こっちも」と話して、しばらく押し問答する(笑)。この場面なんかは、取材で実際に聞いた会話の焼き直しに近いです。

取材といっても、インタビューをして言葉をメモするというより、映画のようにそのシーンを観察している感じなんだと思います。インタビュアーになっちゃうと、そのシーンに入り込んで、観察ができないので。だから傍観者でいられる取材が一番いい。『ディア・ドクター』の時は、壁紙のようになって話を聞いてました(笑)。

「映画の取材、リサーチはインタビュアーではなく傍観者でいるのが一番いい」と西川さん

映画は、目に映るものがすべて

新作の『永い言い訳』で取材したのは、子どものいる生活でした。主人公の幸夫が2人の子どもの面倒を見るというくだりがあるのですが、私は独身者ですので、子どもとの生活はよくわからない。頭ではある程度わかっていても、子どもが幼稚園に行くときに何をカバンに詰めて持っていかせるのか、保育園に着いたらどういうふうに先生に子どもを預けるのか……といった具体的なことはわからない。なので、友人宅に何件か泊まらせていただいて、子どもと一緒に生活をしてみました。

そんな取材が、美術や小道具などのモノ選びにも生きてきます。たとえば、子どもの幼稚園バッグはどういう素材がいいのか、ナイロンがいいのか、キルティングがいいのか、どういう柄が入っていた方がいいのか。それは寒色なのか、暖色なのか……。幸夫が乗ることになるママチャリも、「電動機付きであってはならない」などの指定をして、色からインチ数まで、すべて相談の上で選んでいきました。

映画監督は、ありとあらゆることをスタッフに聞かれ、相談しながら決めていく。確認の連続なんですよ。その作業をおざなりにできないのは、映画は、目に映るものがすべてだからです。

登場人物はどんなメガネをかけ、部屋には何が置かれているのか。どんなバッグを持って、どんなクルマに乗っているのか……。そういうところで性格付けがされていきますし、言葉よりも「モノ」の方が、キャラクターや状況を語ってくれる。そういうことが、本当に多いと思っています。

映画「永い言い訳」の主人公、衣笠幸夫。「どんなメガネをかけ、どんなバッグを持って、どんなクルマに乗っているのか。言葉よりも『モノ』の方が、キャラクターや状況を語ってくれる」と西川さん (C)2016「永い言い訳」製作委員会 
「永い言い訳」
人気作家の衣笠幸夫は、バス事故で妻を失う。妻との間にはすでに愛情はなく、悲しみにくれる夫を演じるしかない幸夫の前に、同じ事故で亡くなった妻の親友の遺族が現れる。
出演:本木雅弘/竹原ピストル/深津絵里
原作・脚本・監督: 西川美和
10月14日(金)全国ロードショー
 

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スタッフと一緒になって、映画の中のモノ選びにこだわる西川監督。後編「私がモノを増やしたくない理由」では劇中のモノ選びの実際や、私生活でのモノ選びについて語っていただきます。

西川美和(にしかわ・みわ)
1974年、広島県出身。早稲田大学第一文学部在籍中より、是枝裕和監督『ワンダフルライフ』(99年)にスタッフとして参加。フリーの助監督を経て、2002年に『蛇イチゴ』で監督デビュー。以降、『ゆれる』(06年)はロングランヒットし、カンヌ国際映画祭に正式出品。『ディア・ドクター』(09年)は日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。『夢売るふたり』(12年)もトロント国際映画祭に正式出品されるなど、国内外で称賛を受ける。本木雅弘を主演に迎えた『永い言い訳』(アスミック・エース配給)は10月14日公開。一貫してオリジナルストーリーに挑み、小説・エッセーの執筆でも活躍中。
私のモノ語り 西川美和
「これじゃないとダメ」な創作ノートの条件
私がモノを増やしたくない理由

(取材・文 泊貴洋/写真 中川真理子)