ゴキブリ60万匹の恐怖、世界最大級の研究所を見た
編集委員 小林明
みなさんはゴキブリ60万匹がザワザワと一斉にうごめく光景を見たことがあるだろうか? 「ゴキブリが大嫌い」という人は閲覧するのに少々、覚悟がいるかもしれない。殺虫剤やヒット商品「ごきぶりホイホイ」などで知られるアース製薬の研究所(兵庫県赤穂市)では実験・研究のために国内外に生息する様々な種類のゴキブリを飼育しているという。
そこで今回は人間の住環境にはとても身近な存在だが、嫌われ者の代表格でもあるゴキブリの習性や歴史、地域分布のほか、意外にユーモラスな珍種のゴキブリの生態などについて調べてみることにした。
ゴキブリは約3億年前に登場、大きさ・形は変わらぬ「生きた化石」
アース製薬研究所を訪れたのはまだ蒸し暑さが残る9月半ば。山陽新幹線の相生駅を降りて自動車で20分ほど走ると、工場と研究所の近代的な施設が目の前に姿を現した。入り口の左手にはカキなどを養殖する瀬戸内海(坂越湾)が広がる風光明媚(めいび)な立地だ。「赤穂の塩」で知られるこの地に創業者の木村秀蔵氏が工場を建設したことで同社の歴史が始まったとされる。
研究所の内部を案内してくれたのは研究開発本部の有吉立課長。1998年に入社して以来、18年間、ゴキブリや蚊、ハエ、ダニなどの飼育・研究に携わってきたエキスパートで、ゴキブリだけでも約20種類は飼育しているそうだ。「ゴキブリは約3億年前の古生代・石炭紀に地球に登場した最古の昆虫のひとつ。生きた化石ともいわれ、実は大きさも形も当時とほぼ変わっていないんですよ」。様々な種類の写真や説明文を印刷したパネル展示の前で有吉さんの声が響く。
夜行性・雑食性……、疫病やアレルギーをもたらす嫌われ者
ゴキブリは基本的に夜行性で集団で生活し、湿気が多くて暖かくて暗くて狭い場所をよく好む。繁殖力が旺盛でなんでも食べる雑食性。食べかすはもちろん、壁紙や本の表紙、仲間の死骸やフンまで平気で食べてしまうらしい。
最も困るのはサルモネラ菌、赤痢菌など有害な病原菌をまき散らすこと。「フンや死骸がアレルギーのもとにもなるし、電気コードをかじってショートさせるので火事の原因になることもある」。ゴキブリ自身に"悪意"はないのだろうが、長年、人類を困らせる厄介者として嫌われ続けてきたわけだ。
まずクロゴキブリとチャバネゴキブリの飼育室を見学させてもらった。
「厚紙を蛇腹状に折り畳んでゴキブリにすまわせています。狭い場所にいるとゴキブリは落ち着くみたいなんです」と有吉さん。書庫のような金属製の本棚にプラスチック製の容器が整然と並んでいる。箱の中は見られないが、クロゴキブリだと1箱に400~500匹程度がすんでいるらしい。そうしたプラスチック容器が何百個もある。あまり物音もせず、なんだか無人倉庫のような無機質な雰囲気だ。
60万匹のワモンゴキブリに戦慄、思わず足がすくみ、背中がゾクゾク
「では次にワモンゴキブリの飼育室を見ていただきましょうか」
そう案内されて隣の飼育室の中をガラス越しにのぞき込むと、思わず足がすくんでしまった。6畳ほどの部屋一面に茶褐色のゴキブリがひしめいている。その数、なんと60万匹! 「おそらくこれだけのゴキブリがいるのは世界の研究施設でも最大級でしょう」という。
紙製の筒は「ゴキブリのすみか」で、ところどころ穴があいているのはゴキブリがかじった跡だという。いまにもゴキブリの大群に襲われるような気がしてあやうくパニック状態に陥りそうになった。
しばらくは言葉が出ない……。背中がゾクゾクと寒くなる。じっと目をこらすと、4センチほどの成虫に交じって無数の小さな幼虫もさかんに動き回っているのが見えた。
オス・幼虫は外、メスは内、共食いも起きる弱肉強食の世界
有吉さんの説明によると、オスとメスの割合はほぼ半々。外で活発に動き回るのはオスと幼虫。一方、メスは紙製の筒の中にこもりがちで特に下の方の筒ほどメスが多くなる。だから、実験でメスを採取するときには苦労することが多いそうだ。
ゴキブリは雑食性だというが、エサは何を与えているのだろうか?
「魚、肉、野菜などをバランスよく配合したペットフードのようなものをエサとして与えています」と有吉さん。ゴキブリも同じ食材ばかり食べているとストレスがたまり、人間と同様に健康を壊すことがあるらしい。これだけの密度で飼育していると共食いもよく起きるという。やはりゴキブリの世界も弱肉強食。厳しい生き残り競争があるのだろう。
内部は無数の足音と不快な臭い、「人間とゴキブリは互いに怖がっている」
「よろしければこのまま室内に入ることもできますよ。いかがですか?」
有吉さんがニッコリと微笑みながら勧めてくれたが、さすがに中に入る勇気はなかった。ガラス越しに見るだけで精一杯だ。「中はどんな感じなんですか?」とたずねると、「60万匹ものゴキブリがゴソゴソガサガサと一斉にはい回る無数の足音が聞こえ、なんとも形容しがたい不快な臭いが漂っている」という。それを聞いて、なおさら中に入る気持ちがうせてしまった。
ただゴキブリは決して人間に襲いかかってくるようなことはなく、むしろ人間を避けるように逃げ回っているのだそうだ。「もともと私も虫が大の苦手だったんですよ……。でも飼育を担当して研究を続けているうちに、ゴキブリの方も人間を怖がっていることがわかり、それ以来、次第に親近感が持てるようになりました」。有吉さんはこう話す。
ゴキブリにも様々な個性、社交派・一匹おおかみ・知能犯……
たしかに恐怖心を封印してゴキブリの様子を1匹1匹観察してみると、エサや水の密集地帯にもぐり込んで「裸祭り」のようなモール状態を楽しんでいる社交派タイプもいれば、天井近くの壁でひたすら静かに自分だけの時間を楽しんでいる"一匹おおかみ"タイプもいる。ようやく唾液で溶かして食べやすくした仲間のエサを横からかすめ取る知能犯もいるらしい。
人間と同様に、ゴキブリにも様々な個性があるというわけだ。
そう考えて観察を続けてみると、徐々にだが恐怖心が薄らいでくるのが自分でもわかった。
研究所には変わり種のゴキブリもいる。マダガスカルオオゴキブリ――。成虫の体長が7センチもあり、「世界最大のゴキブリの一種」ともいわれている(諸説あり)。アフリカのマダガスカル島にのみ生息する珍種のゴキブリだ。
興味深いのは体を手で触ると、腹部の気門から「プシュー」「プシュー」と空気を出して威嚇すること。ゴキブリには気の毒だが、おもちゃのようで少し楽しい。羽が極端に退化した形状でどことなくユーモラスな雰囲気も漂う。世界には愛好者も多く、最近はペットとしても人気が高まっているそうだ。また昆虫食マニアには「肉厚で美味」だと高く評価されているらしい。
クロとチャバネが二大勢力、チャバネが薬剤抵抗性を持つ仕組みとは?
ここでゴキブリの種類について基礎知識をざっくりと押さえておこう。
日本で主に生息しているのはクロゴキブリとチャバネゴキブリ。これが現段階では二大勢力だという。クロゴキブリは一般家庭でよく見かける典型的な種類。成虫の体長3~4センチでツヤツヤと黒光りする褐色の体に長い触角。見ただけでもグロテスクで多くの人が毛嫌いする風ぼうだ。
一方、チャバネゴキブリは成虫の体長が1.5センチほどとやや小ぶり。色もやや薄い茶褐色でクロゴキブリほど強いインパクトはない。こちらはビルや飲食店などでよく見られるゴキブリだという。
「実は殺虫剤(ピレスロイド系)に抵抗性を持ってしまうのはこのチャバネゴキブリの方なんです」。同行した男性研究員の阿部練さんが説明してくれた。
理由はこうだ。チャバネゴキブリはライフサイクルがかなり短い。卵で20~25日、幼虫期が2~3カ月(1~6齢幼虫)、成虫期が4~5カ月。たとえばクロゴキブリだと卵が35~45日、幼虫期が8~12カ月(1~9齢幼虫)、成虫期が6~7カ月だからその半分程度しかない。「そのため、変化する環境に即座に適応できるなど生命力が圧倒的に強い」と阿部さん。
見た目はほとんど変わらないのに、殺虫剤がまったく効かないタイプが生まれてしまうのだ。
エメラルドに輝くゴキブリ、ブローチ型のゴキブリ……
研究所ではクロゴキブリ、チャバネゴキブリ、ワモンゴキブリ、マダガスカルオオゴキブリに加えて、ヤマトゴキブリ、トウヨウゴキブリ、キョウトゴキブリなども飼育している。
"ゴキブリっぽさ"がかなり薄いゴキブリもいる。
淡いエメラルドグリーンに輝くグリーンバナナローチは中南米に生息。白と黒の模様で丸いブローチのような形をしたドミノローチはインド原産。ダンゴムシのように丸くなるヒメマルゴキブリなどもいる。こうしたタイプならば観賞用ペットとしてもなんとか楽しめそうだ。
予防策は「整理整頓とこまめな掃除」、フェロモンで仲間を呼ぶ習性も
最後に有吉さんは、ゴキブリの発生を防ぐ効果的な方法を教えてくれた。
(1)食品や食器を放置しない(2)物陰などもこまめに掃除する(3)整理整頓を心がける――。意外に単純なことだが、整理整頓とこまめな掃除が有効というわけだ。ゴキブリはなんでも食べるし、物陰の隙間が大好き。でも清潔で整頓した部屋にはゴキブリは近寄りにくい。ゴキブリにはほかのゴキブリを引き付けるフェロモン(集合フェロモン)があり、一匹でもすみ着いたらどんどん増える傾向もある。
近年は寒さに弱いゴキブリでも冷蔵庫やテレビ、電話など家電製品の陰に隠れていれば温かいので越冬できるようになってきた。人間の生活環境に巧みに住み着くゴキブリの習性や生態をよく知ったうえで、より効果的な予防策を講じたいものだ。
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