NOVA取得も会社売却 一敗地から反転攻勢NOVAホールディングス社長 稲吉正樹氏(下)

そこから1年間で100億円ほどを返済しましたが、いよいよ資金繰りが厳しくなってきました。リーマン・ショックのピークなので、支援してくれる先はなく、スポンサーとなってくれるところもありませんでした。唯一、手をさしのべてくれたのが日本振興銀行です。そして09年10月、ジー・コミュニケーションを日本振興銀行のグループ企業に売却しました。

会社としてはまずまず堅調でしたので、私がオーナーシップを譲り、融資さえ受けられれば会社は全く問題の無い状況でした。ですから、断腸の思いで売却を決断し、私一人で会社を去りました。

その後、ジー・コミュニケーションは日本振興銀行グループの1社として、10年4月に経営破綻した英会話教室大手「ジオス」を引き受けます。日本振興銀行から支援を受けられるというのが前提でした。ところが、その年の9月に今度は日本振興銀行が経営破綻。ジー・コミュニケーションの教育事業子会社、ジー・エデュケーションは経営が非常に厳しくなり、私のところに引き受けてくれないかという話が持ち込まれてきました。私にとって教育は創業事業でもあるので、「であれば、引き受けましょう」と買い戻しました。売却から1年後のことです。

ジー・コミュニケーションは売却にあたり、それなりの価値を認めてもらえました。当時はその資金を元に「いなよしキャピタルパートナーズ」という会社をつくり、「これから何をやろうかな」と悩んでいるところでした。はじめから買い戻す条件で、会社を売却したということはありません。ジー・コミュニケーションにしてみれば、当時の売り上げの9割は外食。教育事業はごく一部。そこだけを買い戻したかたちです。

赤字となっている事業ですが、立て直す自信はありました。まず、引き継いだばかりのジオスのオペレーションには大きな課題がありました。例えば、同じ駅前にNOVAとジオスの校舎が隣り合わせにあったりしました。全国でそんな感じでした。事業譲渡で会社が混乱していたのです。そこを整理していけばプラスにしかならないと。買い戻したその年は若干赤字でしたが、翌年には黒字化を実現しました。

「失業」で大いに反省 自らの未熟さ思い知る

1年間の失業時代は本当につらかったです。自分一人で退場しなくてはいけなかったということがつらかった。当時は40歳くらいで、リタイアする年齢でもありません。「もっとやりたい」と思っていましたので、悔しい思いをしました。同時に大いに反省もしました。私は経営というものに未熟でした。一番反省するのは、財務というものを甘く考えていたことです。当時は「業績も良いのだから、事業資金はそれほど苦もなく借りられるもの」と思っていました。まさか、このようなことになるとは予想もしていませんでした。

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