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平井一夫・ソニー社長(55)が語る「リーダーの母校」。前半は、母校の国際基督教大学(ICU)で、英語を使ったアルバイトと後の音楽業界への道につながるディスコ通いの様子を語った。後半は卒業後の話に移る。ソニーグループのトップにまで上り詰めた平井氏だが、偶然にも、ICUの同窓生と仕事でタッグを組むことになった。

<<(上)ICU時代、J・カビラと六本木で青春を謳歌

ICUを卒業し、CBS・ソニーレコード(CBS・ソニー:現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に就職した。

ICUに入る前から、就職は海外転勤のない日本企業と決めていました。日本と海外を往復する生活に、疲れていたのです。転校するたびに味わった苦労が、自分の中でトラウマになっていたのかもしれません。自分の人生を自分でコントロールできたらいいなと思っていました。

とは言っても、自分の強みの一つは英語なので、自分の好きな分野で、英語を活かせるような仕事に就こうとも考えていました。

実は、ICUからCBS・ソニーに入る人は結構多く、仲良しのジョン・カビラさんも一足先にCBS・ソニーで働いていました。OB訪問というよりは、友達に話を聞きに行くような感覚で、職場にカビラさんを訪ねて話を聞いたら、結構面白い仕事だなと感じ、様々なレコード会社を受験した結果、CBS・ソニーにお世話になることを決めました。

ソニーのブランドに愛着があったのも、理由の一つです。わが家では、父も祖父もソニーのブランドが大好きで、家の中は子供のころからソニーの製品であふれていました。また、CBS・ソニーには当時、山口百恵、南沙織、松田聖子、キャンディーズや、海外ではビリー・ジョエル、アース・ウインド&ファイアー、ボズ・スキャッグスなど、私の好きなアーティストが多く在籍しており、私にとってはごく自然な選択肢でした。

入社後しばらくは、来日アーティストの通訳の仕事もしていました。コンサートのステージにアーティストと一緒に立ち、ファンの前で通訳するのですが、マイクを握ると自分で場を仕切ってしまうこともよくありました。ICU時代の英語教師のアルバイトが、人前で話すよい経験になっていたのだと思います。今でも、人前で話すのは苦ではありません。

海外勤務が嫌でCBS・ソニーに入ったのに、海外勤務を命じられた。

「レコードからゲーム、グループ本社と実質的に転職を重ねたようなもの」と笑う

「レコードからゲーム、グループ本社と実質的に転職を重ねたようなもの」と笑う

日本に腰を落ち着けて定年まで働こうと本気で思っていたので、バブル時代、会社が新幹線通勤を認めたのを機に、ローンを組んで栃木県内に一戸建てを買い、新幹線通勤を始めました。なぜ栃木だったかと言うと、当時の給料で買える新幹線通勤圏内の一戸建ては、そこぐらいしかなかったからです。片道120キロの通勤でしたが、行きも帰りも座れるので楽ですし、楽しかったですね。

ところが、1988年、ソニーが米国のCBSレコードを買収したことで、それまで国内だけだったソニーの音楽事業が全世界に拡大。案の定、ニューヨークへの転勤を命じられました。「えーっ」と思いましたが、後の祭りでした。

しかし、結果的には、この転勤を機に、世界的な大ヒットとなったプレイステーション事業の米国での立ち上げにかかわるようになり、ソニー・コンピュータエンタテインメントの社長になり、ついには、ソニーの社長に就くことになるわけです。

ICU出身者には、日本の会社に長く勤めて管理職になるというイメージはあまりないかもしれません。その意味では、私は例外的かもしれません。でも、私も同じグループ内とはいえ、最初はレコード会社に就職し、次に家庭用ゲーム機の会社に移り、最後はエレクトロニクスを含むグループ本社と2度の大きなキャリア転換があるので、実質的に転職を重ねたようなものです。

ソニーは今年3月期の最終損益が3期ぶりに黒字に転換。6月には人工知能(AI)、ロボティクスへの参入を表明した。この参入のカギを握る一人が、6月にソニー執行役員コーポレートエグゼクティブに就任した、ICU同窓の北野宏明氏だ。

北野と初めて会ったのは、私がソニー・コンピュータエンタテインメントの社長として米国から帰国した時でした。ICUのOB会があり、そこに呼ばれたら北野もいました。年齢はほぼ一緒ですが、ICU時代は互いに知りませんでしたし、彼も元々ソニーではないので、それまでまったく面識がなかったのです。

そもそも、ICUを卒業してからは、米国での生活が長かったこともあり、ICU時代の同期と会ったり、同窓会に顔を出したりすることはほとんどありませんでした。ふだんの付き合いも、仕事で知り合った人が大半でした。

北野とはその後、社内報の企画で一度対談し、彼にお願いしていくつか新規事業も立ち上げました。その一つが、世界各国の企業や教育機関と連携して新しい教育サービス・プラットフォームを作り上げる事業を展開する現在のソニー・グローバルエデュケーションです。

北野は、ソニーコンピュータサイエンス研究所の社長として長年、ソニーに多大な貢献をしてきましたし、これからAIやロボティクスを展開していくことを考えると、その道で世界的な研究者の一人である彼がソニーにいてくれることに感謝しています。

その北野がICU出身というのはまったくの偶然ですが、これも何かの縁かなという気がします。

インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)

前回掲載「ICU時代、J・カビラと六本木で青春を謳歌」では、英語と音楽に明け暮れた国際基督教大学(ICU)での学生時代について聞きました。

「リーダーの母校」は原則月曜日に掲載します。

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