通販会社が自前のスタジオをつくったわけジャパネットたかた前社長 高田明氏(5)

通信販売大手、ジャパネットたかた。その成長の礎となったのが自前スタジオでの自社制作番組でした。しかし、その実現には多額の投資と専門技術を備えた人材の確保が不可欠。当時の業界の常識からすれば異例の挑戦に踏み切った背景には、時代の「変化の芽」を巧みにとらえる高田明氏ならではの嗅覚がありました。

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今日はジャパネットたかたが自前のスタジオをつくったことをお話しましょう。

ジャパネットの最大のターニングポイントはスタジオを2001年に本社(長崎県佐世保市)に設けたことです。スタジオで自主番組をつくっていなかったら、ジャパネットはとっくに消えていたでしょうね。

既存のシステムでは時代のスピードに追いつけなかった

なぜ当時では珍しい自社スタジオをつくる気になったか。それは、時代が求めたからです。1990年代半ばにパソコンの人気に火がついたと思ったら、4カ月に1回、新商品が出る開発ラッシュが起こりました。外部の制作会社に発注して編集してテープを完パケ(編集部注:収録して編集が完了した「完全パッケージ」の略称)にして放送局へ送っている間に次の新商品が登場してしまう。放送するころにはもう「新商品」ではなくなっているのです。店頭の実売価格もとっくに下がっているから、適正な価格設定も難しい。「これじゃ勝てない」と思ったわけです。出てきた答えが番組制作のスピードアップでした。

私は当時の郵政省(現総務省)に行って、2001年3月からスタートする約束で、CS(通信衛星)放送の認可を受けました。放送しないと認可は取り消しになります。このような状況の中、自社スタジオを佐世保につくるんだという強い信念の下、技術者も出演者も誰もいない中で、2000年9月にスタジオの建設を始めたのです。

ジャパネットたかた前社長 高田明氏

スタジオをつくってもそれで一件落着ではない。スタジオ自体は投資すればできる。むしろ、スタジオで通販番組を制作する人材がいないことが本当の問題でした。ジャパネットが今日まで生き残ってこられたのは、人材を自社で養成したことにあると思います。今ではカメラマンからビデオ編集、出演者もあわせて総勢100人ほどの制作スタッフがいます。

当時、社内にテレビ番組の制作に関わったことがある社員は一人もいませんでした。当然、スタジオを運営することは不可能と周囲から言われました。「カメラマンを独り立ちさせるだけでも何年もかかるよ」、「スタジオをつくっても動かないよ」と助言してくださる人もいました。いざスタジオが完成しても「技術者はどうするの?」と誰もが心配しました。私は「やってみればどうにかなるでしょう」とまさしく見切り発車をしたんです。

最初に社内から10人を選抜しました。現在、MC(司会)として活躍している中島一成君もその一人です。彼らを技術スタッフ要員として東京のテレビ制作会社に数カ月間、勉強に行かせました。ところが、彼らが戻ってきてもとても放送できるレベルではなかった。そこで「次はどうしようかな」と考えたら、「そうだ派遣会社から制作スタッフを派遣してもらえばいいんだ」と思い付いたんです。

そして3月の放送開始時は10人程度の派遣会社からの応援組を置いて、当社の10人と一緒にスタートしたのです。応援組の助けを借りて放送を続けながら、その間に社員を育て、また新たな人材を制作部門に投入していく。そうこうするうちに、自分たちの手で放送できるようになったわけです。

当時と今を比べると今昔の感がありますね。不可能と思えることも、できると信じて考え尽くし、行動していけば不可能も可能になるんですね。

「TVスター経営者」の誕生

さて、番組制作を外注していた頃は、お笑いタレントのダチョウ倶楽部さんやモト冬樹さん、大東めぐみさんたちが一緒に出演されていました。しかし、佐世保まで毎回、タレントさんも来られないし、そもそも出演料がかかるタレントさんをやすやすとは呼べません。だから、自然に私の「独りしゃべり」のスタイルが生まれたわけです。

そのうちに私だけしゃべるのでは、追いつかなくなりました。若手に声をかけて「しゃべってみるか?」と言って、カメラの前に引っ張りだしたのです。ディレクターをやっていた中島君や塚本慎太郎君などです。女性MCも最初から司会するために入社した人は誰もいないのです。私が日々の仕事を観察する中で「この子だったら、伝え切るな」と思った人を抜てきしました。

こうして自社スタジオから自社の社員たちによって、世の中の変化と商品の変化に、スピーディーに対応できるようになったのです。一番大事なのはスピードでした。

スタジオづくりは「人づくり」でもありました。

先ほど私は「伝え切るかどうか」で人を選んだと言いました。これはその人の持つ人間力とか、人を感じる力とかの意味で使っています。その人のちょっとした時に見せる表情から他者に対する優しさとかがカメラを通じてお茶の間のテレビに出てこないと消費者は安心できません。私は常に僕の目でそれを見てきました。そういう人を選んできました。実際、今のジャパネットのMCを見てください。悪そうな人はいないでしょう(笑)。そこが大事なんです。その期待に抜てきした人が応えてくれて、懸命にやってくれていると思います。もちろんまだまだ修行は足りていませんけどね。

「本物」は「つもり」を絶対に許さない

次に番組の中身について、お話ししましょう。いつも新商品を初めて手に取る時に思うのですが、商品ってどう伝えるかが大事なんですね。私は商品をどう伝えていけば、買っていただけるかにかけてきました。それが私の29年間の戦いでした。そこで分かったのは、売れなかった時は「伝えたつもり」になっていたという事実です。

例えば、番組で「伝えた」と手応えを感じた時に実際は売れないってことがたびたびあるのです。世の中は「つもり」になっていてその「つもり」で自己満足しているケースが少なくないのではないでしょうか。「本物」というのは「つもり」を絶対に許さないのだと私は思っています。俳優さんでも能の舞い手でも歌舞伎役者でも同じで、常に自分との戦いだろうと思うのです。「うまく舞った」と思った瞬間にその人の成長は止まるのではないでしょうか。

だから、私がジャパネットのMCを見る目は厳しいです。番組を見ていて気になることがあったら、「自分の主張ばっかりしている」とか、「あの表情は変えなさい」と注意します。やっぱり、人に感じてもらえる伝え方というものを学ばなければいけない。それは人間力であり、ふとした会話の中に垣間見える、人間の謙虚さとか真面目さです。そうしたものを持つ人でないと、どの世界でも通用しないと思うわけです。

私自身がそういう部分が足りないから、何歳になってもまだまだ修行だと感じています。繰り返しになりますが、「できた」と満足したところで、その人の成長は止まります。能の世界で世阿弥が言っている「時分(じぶん)の花」と「まことの花」の違いですよ。「時分の花」を己の本当の力量と勘違いした時に成長が止まるというわけです。

「まことの花」になる努力を一途に続けていく人が「一流」と周囲から言われる人物になっていく。だから「一流」になっても限界はないのです。常に自分を高めていく人でないと、本当に他人に感動は伝えられません。

私が通販番組に出ていた時も「これは100点」を満足できることはありませんでした。死ぬまで100点はないでしょう。100点だと自分で思った時にその人の成長が止まってしまうからです。修行して少しでも自分を成長させられるというところが人間の面白いところでもあるのでしょうね。番組づくりは人を育てる最前線です。

高田明(たかた・あきら)
1971年大阪経済大経卒。機械メーカーを経て、74年実家が経営するカメラ店に入社。86年にジャパネットたかたの前身の「たかた」を設立し社長。99年現社名に変更。2015年1月社長退任。16年1月テレビ通販番組のレギュラー出演を終える。長崎県出身。67歳

(シニア・エディター 木ノ内敏久)

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