中村江里子さん 進路で母と1カ月の「冷戦」
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はフリーアナウンサーの中村江里子さんだ。
――大家族で育たれたそうですね。
「明治生まれの曽祖母と大正生まれの祖母、両親と私たち3人兄弟の同居。大家族の良いところは、私が両親にしかられた時は祖母が守ってくれるなど、皆が色々な場面で補ってくれることです。にぎやかで楽しい家でした」
「両親は『ありがとう』と『ごめんなさい』をきちんと言える人でいてほしいと常に話していました。そういうことには厳しかったですが、箸の上げ下ろしや学校の宿題について細かく言われた記憶はありません」
――学生時代に家族でディスコに行かれたとか。
「信じてもらえないんですが、私は外出が嫌いなんです。大学時代も夜の6時に帰宅して10時には寝ていました。全く夜遊びをしないので逆に両親が心配して、母に『朝帰りしてもいいのよ』と言われたくらい。ある日、母に無理やり都内の芝浦にあるディスコに連れて行かれたのです」
「両親と私、妹の4人で行ったのですが、私と父はウーロン茶を飲みながら、母と妹が楽しそうに踊っているのを見ているだけでした」
――アナウンサーに内定が出たときのご両親の反応は。
「いざ内定が決まると、猛反対されました。母には『プライバシーがなくなるから考え直してほしい』と言われましたし、寡黙な父は口にはしませんでしたが、内心では反対していたようです」
「ただ私は楽しそうな仕事だと思って、どんなに反対されても譲れないと思いました。1カ月間、母と口をききませんでした。生まれて初めての大げんかです。それまでとても仲が良くて、毎日話していたので、最後には2人とも参ってしまって体調を崩したほどです」
「最後に父が『本人が決めたんだから、いいんじゃないの』とひと言。父はここぞというときには明確に答えを出してくれるんです」
――アナウンサーになった後はどうでしたか。
「両親とも応援してくれました。母はよくスタジオに遊びに来ていましたね。活力になりましたよ。母も仕事をしていたので、働く女性同士、仕事の悩みを聞いてもらうこともありました」
――お子さんが3人。今だから分かる親の思いも?
「両親は子どもの前で一度も言い争いをしませんでした。いざ自分が親になると、子どもの前でもカーッとなって夫とけんかすることがあります。私たちのために努力してくれていたのだと分かりました」
――これから親御さんとなさりたいことはありますか。
「父は亡くなりましたが、母とはお互いに今考えていることをゆっくり話す時間を持ちたいですね。昔みたいに、2人で向き合いながら過ごしたいです」
[日本経済新聞朝刊2016年9月13日付]
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