「セブン―イレブン・ジャパンと仕事をするようになったのですが、そこで(当時のトップだった)鈴木敏文さんが作り上げたセブンの近代的なインフラに驚嘆しました。売れる商品を分析し、適切な時間に素早く配送して在庫を最小化する、企画・開発・製造・販売を見事に統合したシステムなんてセブン-イレブン・ジャパンだけだった。小売業は140兆円の市場があるのだから、伊藤忠でも小売業を起業しないといけないと考え、室伏社長に直接手紙を書いたんですよ。課長級のペイペイがトップに直談判したわけです。上司や周りの人は慌てていました」

「そしたら室伏さんはそいつは面白いと、5人のチームと予算をもらい、無我夢中で小売りの起業案を作成した。(日本マクドナルドの)藤田田さんとか、小売りで成功している経営者に聞き回りましてね。ただ商社は取引先も多く、いろんなしがらみもあるからなかなか上司からゴーサインが出なくて。事務用品などを販売する会社であれば、他の事業部門に影響しないと思って提案したが、結局却下でした。じゃ、辞めて自分でやろうかと考えました。実はその頃、私はマンションを買って住宅ローンがあったんですが(笑)。転職を決めたとき、偶然紹介されたのが柳井正社長率いるファーストリテイリングでした」

――当時はファーストリテイリングはまだ中堅の衣料品チェーンでした。よく転職を決断しましたね。

ファーストリテイリングの柳井氏

「実は柳井さんは、ただの小売りではなく、アパレルの企画から製造・販売を統合的にやろうとしていた、市場は15兆円ぐらいあるのにちゃんと開拓できていないと。すごい情熱だったし、意気投合しました。ただ、当時の会社の売り上げ規模は300億円ぐらいでした。柳井さんと最初に会ったのも、(本拠地の)山口の本社の倉庫のようなところでした。さすがに入るべきなのかと迷いましたが、店長候補として入社しました」

――そこでとんとん拍子に出世し、柳井氏の右腕になりました。「フリース」ブームを仕掛け、ユニクロを全国的な企業に飛躍させました

「いや、有能なメンバーが続々入り、次々改善している時期でしたからね。入社してまもなく経営企画室の責任者となり、商品本部長になった。そのころ、東京進出のシンボルとして原宿店をつくろうと柳井さんが言うんです。どんな商品戦略を仕掛けようかと悩み、七転八倒しました。失敗したらどうしようと、考え抜いた。そんなとき、ふとフリースがいいんじゃないかと、頭に降りてきたんですよ。フリースで徹底的にキャンペーンして『原宿ジャック』をした。PR予算をオーバーして柳井さんが叱られました。そしたら、オープンの日に長蛇の列ができ、社会現象になっていったんです。感激しました」

――ファーストリテイリング社長になる玉塚さんを柳井さんに紹介します。どこで玉塚さんと知り合ったのですか

「玉塚さんは、私が伊藤忠の化学部門にいた頃からの付き合いだから、30年以上の友人関係です。彼は慶応義塾大学のラグビー部出身で旭硝子にいたんです。私はアメフトをやっていて2人とも体育会系。年下ですが、明るくていい男だったのですぐ仲良くなりました。実は柳井さんに玉塚さんを紹介したのは原宿店がオープンしたその日ですよ」

――もともと柳井さんは沢田さんに次期社長就任を打診したといわれます。なぜ断ったのですか

「正直言って自信がなかったんです。カリスマの後の経営者なんてできないなと。それに自分で起業をやりたかった。自分でやるための勉強をしようと思っていました。それで柳井さんの会社を辞めて再生ファンドを立ち上げ、ダイエー再建を手掛けようとしました。結局、最終段階で選ばれませんでしたが」

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