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カリスマの直言

日銀が「総括検証」でやるべき重大事(加藤出) 東短リサーチ社長チーフエコノミスト

2016/9/5

「日銀が9月21日に発表する金融緩和の『総括的な検証』で最も重要なのは、インフレ目標の達成時期を事実上中期化することだ」

9月21日に日銀は現在のマイナス金利付き量的・質的金融緩和策(QQE)の効果に関する「総括的な検証」を発表する。

金融市場では「黒田総裁はどういった追加緩和策を行うのか?」といった関心が高い。しかし、本来的に最も重要なのは、追加緩和の技術論ではなく、インフレ目標の達成が難しい状況を認めて、達成時期を事実上中期化することだと考えられる。このチャンスを逃すと、日銀の政策は持続が困難になる悪循環に陥っていく恐れがある。

前回のコラム「日銀に米国発『物価異変』のリスク」で触れたように、今の日本で物価上昇率を短期間に2%へ押し上げるのは容易ではない。日銀自身も既に7月の展望リポートで、(1)公共料金や家賃・帰属家賃は日本では上昇しにくい(それらは消費者物価指数のウエートの36%を占める)(2)日本では実際のインフレ率が上昇しないと人々のインフレ期待が上昇しにくい――と苦しい胸の内を明かしている。原油価格が低水準にあり、かつ(1)の要因があると(2)の傾向が強まることになる。

また、全体として持続的な物価上昇を実現するには、しっかりとした賃金上昇が必要だが、それを日銀の金融政策で短期に実現することは困難である(グラフ1と2参照)。

現実に早期の目標達成を阻む障壁が存在するのに、それを見て見ぬふりをして、「インフレ目標の早期達成のためには、躊躇(ちゅうちょ)なくあらゆる追加緩和策を行う」と言い続けたら、市場に追加緩和を催促され続けてしまう。市場の失望を恐れて無茶な追加緩和を行うと、日銀は長期的に見て深刻な副作用をもたらす政策にますます突き進んでいくことになる。

7月の金融政策決定会合がその典型例だろう。追加緩和のカードが限られる中で何らかの対応が必要になった日銀は、上場投資信託(ETF)購入額を年間6兆円へと増額した。しかし、この6兆円という額は株式市場の健全な価格形成機能を破壊する力を持っている。日銀が筆頭株主となる企業が多数現れそうだ。

あまりに露骨な株価操作であり、長期投資を重視する海外の投資家は日本株を敬遠し始めている。海外からやって来るのは鉄火場のような相場を好む投機筋ばかりとなってしまう(ちなみに、主要国の中央銀行で株やETFを購入しているのは日銀以外に存在しない)。

民間企業の場合、弱気になっている営業部隊のマインドを鼓舞するために、経営陣がわざと高い売り上げ目標を設定するというケースはあり得るだろう。しかしながら、営業現場は奮闘したものの「やはり無理な目標だったな」という現実が見えてきたときは、民間企業であれば何らかの変更を行うと思われる。目標自体を修正するか、あるいは目標に向けての戦略に見直しを加えるだろう。

日銀もそれでよいと筆者は考える。国民のマインドは以前に比べれば明るくなった面はあり、それをアピールしながら、インフレ目標の運営に修正を加えていくべきである。とはいえ、2013年1月に日銀が政府と発表したインフレ目標に関する共同宣言との関係で、「できるだけ早期にインフレ2%を達成する」という文言を変えることは難しいと思われる。また、米連邦準備理事会(FRB)など海外の主要中央銀行が2%のインフレ目標を引き下げる可能性は低いため、日銀だけが目標を引き下げると円高が進んでしまう。

このため、日銀が取るべきコミュニケーション戦略は、今後も早期のインフレ目標達成を目指すとの基本方針を表向き示しつつも、短期間に価格が上昇しない品目が現実に多数あることを国民や市場に丁寧に説明して、目標達成期間を事実上中期化していくことにあると思われる(実際のところ、インフレ率を無理矢理2%に引き上げてほしいと思っている国民はほとんどいないだろう)。

それは黒田総裁率いる日銀が「白旗」を上げることを意味するのではない。その程度のインフレ目標の達成時期の柔軟化は、グローバルに見て中央銀行のスタンダードだと考えられる。例えば、欧州中央銀行(ECB)の最近のインフレ見通しは目標の2%に近づいていない(6月時点の予想は17年は1.3%、18年は1.6%)。しかし、6月も7月もECBは追加緩和を行っていないし、それを市場も責めていない。「いつ2%に近づくのか?」と問われると、ドラギ総裁は「中期的に」としか答えない。

日銀は既にすさまじい勢いで国債やETFを買い続けており、これ以上の追加緩和策は本来的には不要だ。十分な効果が出ないのは緩和が足りないのではなく、金融政策だけでは問題に対処できないからである。

しかし、黒田総裁は8月30日に米ワイオミング州ジャクソンホールでの講演で、「量」(国債買い入れ策によるマネタリーベースの増加)、「質」(ETFなどの購入)、「金利」(マイナス金利政策)の3次元緩和のうち、「金利」にウエートをかけた説明を行っていた。欧州と比べてもマイナス金利を深掘りする余地があると意欲を示していた(仮にそうなら長めの国債の買い入れ額を減らして金利曲線を立たせる柔軟性を緩和策に盛り込まないと、銀行、保険会社、年金基金は強い打撃を受けてしまうだろう)。

欧州におけるマイナス金利政策の実情は日本とは大きく異なっている。同政策の金利は、スイスがマイナス0.75%、スウェーデンがマイナス0.5%、日本はマイナス0.1%だ。だが、当初10年固定の住宅ローン金利を見ると、スイスはプラス1.3%前後、スウェーデンはプラス3%前後とマイナス金利政策に比べると意外に高い。

日本は当初10年固定の住宅ローン金利は大手行でプラス0.5%という提示も見られる。つまり、日銀のマイナス金利は欧州に比べて浅いのに、市中の貸出金利は欧州より低くなっている。それだけ日本の金融機関の経営環境は欧州以上に厳しくなっているといえる。

低い貸出金利が消費を活性化するならよいのだが、残念ながら日本はそうなっていない。なぜなのだろうか?

先日スウェーデンに出張した際に痛感したが、同国は社会保障制度が手厚いため、大半の現役世代の人々が老後の生活費に対する不安を抱いていない様子だった。貯蓄は月給の3カ月分も持っていれば十分と考える人が多いという。そういった社会であれば、低金利政策で預金金利が低くても人々は不安を感じない。

しかも、スウェーデンは移民政策もあって生産年齢人口(20~64歳)はしっかりとした増加が見込まれており(グラフ3)、住宅不足と住宅価格高騰が大きな課題となっている。8月下旬から新学期が始まったが、首都ストックホルムではアパートが見つからず、テント暮らしで大学生活を始めた新入生がいるそうだ。空き家が全国的な問題になっている日本とは真逆なのである。また、生産年齢人口に対する65歳以上の人口の比率(15年)は日本は47%だが、スウェーデンは34.6%であり、若い世代が多い。

スウェーデンのように現役世代の人口が多ければ、銀行の貸出金利が(日本ほどではないにしても)以前より下がったとなれば、人々は喜んで住宅や自動車などを購入する。世界最速で労働年齢人口が減りつつあり、かつ多くの人々が将来不安を抱いている日本とは環境に著しい違いがあるのである。

今の日本では低利の住宅ローンに借り換えた人が浮いた支払利息分を消費に回すよりも、将来のために貯蓄するケースの方が多いように推測される。経済学の教科書的には、実質金利を低下させれば消費や投資は刺激されるはずだが、その効果は日本では表れにくくなっている。インフレ目標の達成時期の柔軟化とともに、そうした議論も含めた「総括的な検証」が行われることを期待したい。

加藤 出(かとう・いずる) 1965年生まれ。88年3月横浜国立大学経済学部卒、同年4月東京短資(株)入社。短期市場のブローカーとエコノミストを兼務後、2002年2月に東短リサーチ(株)取締役、13年2月より現職。マーケットの現場の視点から日銀、FRB、ECB、中国人民銀行などの金融政策を分析している。07~09年度に東京理科大学、中央大学で非常勤講師。主な著書に「日銀は死んだのか?」(日本経済新聞社、01年)、「バーナンキのFRB」(ダイヤモンド社、共著、06年)、「東京マネー・マーケット」(有斐閣、共著、02年、09年)、「日銀、『出口』なし!」(朝日新聞出版、14年)など。

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