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私を変えたMBA

東大卒の銀行マン、MITの金融授業には歯が立たず 佃秀昭・エゴンゼンダー社長に聞く(上)

2016/8/29

上場企業の間でコーポレートガバナンス(企業統治)強化の動きが広がっている。経営者の手腕が一段と問われる時代だ。企業統治コンサルティングやエグゼクティブサーチを手掛けるエゴンゼンダーの佃秀昭社長(52)は、自らの経営学修士(MBA)留学経験を踏まえ、経営者を目指す若手ビジネスパーソンに海外経験のすすめを説く。

■もともとは国家公務員志望。しかし、OB訪問での「留学したいなら、うちにこい」の一言で、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に就職した。

高校の時に読んだ城山三郎の小説『官僚たちの夏』に感銘を受け、天下国家のために仕事をしたいと思っていました。それで東京大学法学部に進学し、経済官僚を目指しました。

ところが、社会勉強のつもりで銀行にOB訪問していた時、三和銀行の先輩から「三和に入れば、留学もできる、好きなこともできる」と猛烈に口説かれ、一転、銀行に就職することに。当時は、バブル経済の真っただ中で、邦銀の絶頂期。中でも三和は攻めの経営で定評があり、ここなら大きな仕事ができるのではないかという期待を抱きました。

留学を希望したのは、国際化という時代背景もありましたし、経済をしっかり勉強したかったからです。

会社は希望を聞き入れてくれ、入社1年半後には、支店の営業から本店の国際部に異動し、海外の買収案件を担当しました。留学のための選抜試験にも通り、留学に向けて着々と準備。入行4年目の1989年、念願のMBA留学を果たしました。

■留学先は、難関の米マサチューセッツ工科大(MIT)ビジネススクール(スローン)。だが、本当は不合格だった。

留学までの道のりは、けっして平たんではありませんでした。願書を出した学校からの合格通知を待っていたら、ひそかにすべり止めと考えていた学校から不合格通知が届きました。社内選考に受かり、英会話学校まで通わせてもらったのに、どこも受からなかったでは、済まされません。

焦り始めたころ、スローンの副学長が、日本人の受験者を面接するため、来日するという情報を得ました。ところが、会社の同僚には届いていた面接日時の通知が、私には届いていませんでした。スローンに留学中の先輩に連絡して調べてもらったら、私は面接者リストに入っていないことが判明。つまり書類審査の段階で落とされていたのです。

必死だった私は、なりふり構わず、何とか副学長と連絡を取り、無理やり会う約束を取り付けました。時間は早朝の30分。無我夢中で自分自身をアピールしたら、後日、合格通知が届きました。

積極的な姿勢が評価されたのだと思うと同時に、米国という国は、自分から行動を起こせば道が開けるところだということを、身を持って学びました。この経験は、強烈な原体験となって、その後の私の考え方や行動のベースになっているような気がします。

■授業が始まって、再びショックを受けた。

スローンのファイナンスの授業は専門的過ぎて「ほとんど歯が立たなかった」と話す

1年目の1学期にとった統計学は、テストと提出したリポートの出来で成績が決まるという授業でした。評価はABCDで、Dだと単位がもらえません。テストの手ごたえがあったので、成績は悪くてB、ひょっとしたらAかなと勝手に予想していたのですが、結果はなんとD。ミクロ経済学の授業も、AかBとの予想が、合格ラインギリギリのC。スローンは理系の出身者が多いので、理数系の授業は平均点が高いのだろうと推測しました。

スローンは全体で一定以上の成績を取らないと卒業できません。私の1学期の成績がそのまま続いたら、確実に落第でした。危機感を抱き、必死になって勉強しました。

もうひとつのショックは、選択科目でとったファイナンス系の授業でした。もともとスローンを志望したのも、ファイナンスに強いビジネススクールに行き、銀行員としてのキャリアに生かそうとの考えがあったからです。

ところが、より専門的な選択科目のファイナンスの授業は、私にはほとんど歯が立ちませんでした。例えば、中学校の理科で学ぶブラウン運動と株価の動きは同じであることを証明せよと言われても、さっぱりわからない。この授業は途中であきらめ、落としました。ノーベル賞をとった教授のオプションセオリーの授業も難解を極めました。

スローンに入るまでの私は、現役で東大に合格し、三和銀行に三顧の礼で迎えられ、同期の中では真っ先にMBA留学と、トントン拍子の人生。それが、スローンで鼻をへし折られるような経験を次々と味わい、自分の限界を思い知らされました。

インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)

「私を変えたMBA」は原則月曜日掲載です。

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