石丸幹二が歌う武満徹 美しい日本語、まれなる美声
クラシックCD・今月の3点
石丸幹二(うた&口笛)、つのだたかし(リュート)ほか
石丸は劇団四季のミュージカル俳優として1990年にデビュー、2007年に退団後はテレビや映画にも活躍の場を広げている。昨年、東京フィルハーモニー交響楽団をバックにミュージカルの名曲を歌ったデビュー25周年記念アルバムをリリースした際にインタビューすると、「これからは美しく深い日本語の歌詞と一体になった、日本の作曲家の作品と向き合い、自分の声を究めたい」と抱負を語っていた。
鮫島明子(ピアノ)
最初に収められた、「ソナチネ」の愛称で知られるハ長調のソナタK.(ケッヘル作品番号)545をほんの数小節聴いただけで、極上のモーツァルト録音であると確信する。少し前に流行した言葉である「品格」が隅々まで備わり、貴婦人の優雅さを思わせる一方、「アマデウス君」のちゃめっ気にも事欠かない。鮫島は子どものころモーツァルトのオペラに魅了され、「こんな楽しい音楽、人生を幸福にしてくれるものがこの世にあるのか」と直感した。ピアノを学ぶ日々を通じ「ピアノ曲の中にもオペラの要素がすべて入っている」と確信、「アマデウス君と会話しながら生きてきた」という。パリに留学して「明子が『こう弾きたい』という、自分の感性を大事に弾けばいい」と恩師に励まされ、自分を正直に出す演奏に大きく踏み出した後にはウィーンの名器、ベーゼンドルファーとの出会いがあった。円熟期にさしかかった今、その楽器で奏でられた6曲には日本人の繊細、パリの華麗、ウィーンの味わいなど「すべてのエッセンス」が香り高く混ざり合い、「ピアノも総合芸術」と自負する奏者の実力を強く印象づける。(ナミレコード)
シャルル・ミュンシュ指揮日本フィルハーモニー交響楽団
しばらく前まで、小中学校の授業にも使われていたアルフォンス・ドーデのフランス小説「最後の授業」を覚えているだろうか? 普仏戦争でフランスがドイツに敗れ、アルザス地方がドイツ領となった時代を描いていた。ミュンシュはその時代のストラスブール(シュトラスブルク)で1891年、ドイツ人カール・ミュンヒとして生まれた。最初ヴァイオリニストとして頭角を現し、1926年には大指揮者フルトヴェングラーがカペルマイスター(楽長)を務めていた時期のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに就いた。フランス国籍に転じたのはナチス政権が台頭した1940年代とされ、パリで指揮の仕事を続けながら、ドイツへの抵抗運動(レジスタンス)にも加わった。戦後の49~62年は米国のボストン交響楽団でも音楽監督を続け、後にこのポストを得た小澤征爾の師の一人ともなった。62年12月には創設間もない日本フィルを客演指揮するため、単身で来日。20日、東京文化会館での交響曲と27日、日比谷公会堂での変奏曲を収めたライブが保存状態の良いステレオ録音で再発見され、今回のCD化が実現した。かつて出ていたDVDでは長い指揮棒を激しく振り、有無を言わさず楽員を熱狂へと導く姿が圧巻だったが、音だけで聴いてもすごさは十二分に伝わる。コンサートマスターのルイ・グレーラー、フルートの峰岸壮一ら当時の首席奏者たちのソロも全力でミュンシュの指揮にこたえており、「熱い昭和」の見事な一瞬を今によみがえらせる。(オクタヴィア)
(池田卓夫)
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