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日本マイクロソフト会長の樋口泰行氏。普通のサラリーマンだったという同氏は、米国留学を経て3つの会社の経営トップを経験、プロの経営者の先駆けとなった。外資系のIT(情報技術)企業のほか、再建の渦中にあったダイエーなど流通大手も率いた。激しく経営環境が変化するなか、リーダーには何が求められるのか。樋口氏の連載4回目は「リーダーの自己変革」をテーマに語る。

完全な自由裁量のないなか、社員にどのような夢を与え実績を創造するか

日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏

日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏

私は三つの会社の社長を務めたが、それぞれに抱えていた任務は異なっていた。日本HPではM&A(合併・買収)後の「ポスト・マージャー・インテグレーション(PMI=買収後の統合)」で合併効果の最大化を任務とし、ダイエーでは経営再建を軌道に乗せる「ターンアラウンド(事業再生)」に努め、日本マイクロソフトでは持続的な成長に向けた「トランスフォーメーション(事業の構造的変革)」を担ってきた。

それぞれの状況に応じてマネジメントの手法は異なっている。それでもなお根底にある経営への取り組みは同じものだったのではないかと思っている。それは、「完全なる自由裁量のないなかで、社員にどのような夢を与え実績を創造するか」である。

「完全なる自由裁量がないなかで」というのがミソで、そこにオーナー社長とも生え抜き社長とも違う立場があった。誤解されないように書いておけば、日本HPでも日本マイクロソフトでも経営トップとしての裁量は十分に確保されていたが、それは現地法人社長としての裁量にすぎない。ダイエーでは、官民ファンドに招へいされた雇われ社長であり、成果を求められれるがゆえに自由度は大きかったが、資本が変われば「そこまで」という首の皮が薄皮1枚つながっているだけの自由度だ。

そうした制約のなかで、いかに社員に夢を与え実績を創造するのか。そこにこそ私なりの取り組みがあった。

「負け癖」の連鎖を断ち切ることを狙ったダイエー再建

「夢を与え実績を創造する」とは、「社員にめざすべき状態と、そのための具体的な仕事を用意し」「リーダーとしての素の姿を見せながら一緒に実現する」ことである。

社員が朝起きたときに「さぁ、今日も仕事だ。頑張るぞ」と前向きな気持ちになれるのは、「自分の努力が、少なくとも会社を明日へとつなげている」と実感できているかどうかだろう。

経営破綻したダイエーでは、どんなに努力をしてもなすことのすべてが前向きにならず、後ろ向きの回転が加速するばかりの日々が続いていた。流れに楔(くさび)を打ち込めるのは、経営トップの"権力""裁量"しかなかった。それが分かると、社長直轄プロジェクトを通じて楔を打ち込むのを決意した。

プロジェクトは、「これをやってみよう。その結果として私たちに欠けているものが見え、同時に突破口が見えてくる」という具体的な目標を示し、リーダーが自ら率先して成功体験をつくり、「負け癖」の連鎖を断ち切ることを狙った。

なかでも全力を注いだのが「新鮮野菜宣言プロジェクト」だ。野菜はスーパーの「顔」とさえ言われているのに、ダイエーでは本部主導のセントラルバイイングの弊害で、価格は高く、売れないから鮮度も落ちていた。

そこで本部の青果部門だけでなく営業戦略、人事、物流、情報システム、そして店舗従業員など20人を集めてプロジェクトを立ち上げた。その目標は、「競争力のある新鮮な野菜を、収穫から1日で店頭に並べる」というシンプルなものだった。

しかし、その実現はきわめて難しい。セントラルバイイング(本部集権型の集中仕入れ)の体制を変えて店舗ごとの直仕入れの比率を高め、そのための仕入れネットワークをつくらなければならない。3カ月をかけて準備したプロジェクトでは、地元から仕入れる野菜の比率を20%から50%に高め、売り場の人員も2割増強した。

そしてダイエー全店で始まった「新鮮宣言キャンペーン」は、お客さまの評価を大きく変えた。それまでは、野菜をひっくり返して裏側を確認していたお客さまが、野菜をほとんど見ずに買い物かごに入れてくださるようになった。こういうお客さまの姿、また「この前のレタスおいしかったわ」というお客さまの何気ない一声。これが現場に自信を取り戻させ、お客さまに満足を提供するという夢と喜びを呼び覚まし、新たな好循環を生むのである。

一緒に歩んでくれると実感できるリーダーの心こそ人を動かす

リーダーには二つのコミュニケーションルートがある。縦系列の職制を通じた「上意下達」と、職制をスキップして現場の人と直接に接触する「ダイレクトコミュニケーション」だ。私はダイレクトコミュニケーションを重視するタイプであるかもしれない。

ダイエーの「新鮮野菜宣言プロジェクト」は、リーダーの姿を具体的に現場に見せるためのプロジェクトでもあった。経営リーダーの姿が身近に見えていれば社員の気持ちは増幅され、前向きになる。リーダーの考える会社がめざそうとしているものに「触れられる実感」は、なによりもモチベーションを高めるのだ。

一方、現場との「報連相(報告・連絡・相談)」を活発にするために2週間に一度の電話会議を設けた。電話会議なので全国の店舗の従業員にも会議内容を聞いてもらえることに期待をかけた。社長の声など聞いたこともない社員たちが、スピーカーから「大事な時間なのでとにかく熱意を込めて」「申し訳ありませんが店を閉鎖します。ダイエーが生きのびるためにやむを得ない判断なのです」といった私の方針説明に触れる。

たとえネガティブな内容であっても、経営リーダーの声に直接触れて会社の前途について説明を受けられることの安心感は大きい。もっと言えば経営に参加している実感を持ってもらえ、今後の方向性に対する現場の理解は深まったように思う。

現場を支える約260人の店長にも直接に電話をかけまくった。店長名簿を持ち歩き、理由を見つけては移動中の車中などから電話をかけた。不思議なことに話をする機会の多い店長ほど、率先して心を開いてくれる。

店長にしてみれば社長との電話は単なるコミュニケーション手段にとどまらず、いつでもダイレクトコミュニケーションがとれるという安心感、本部が自分たちを見てくれているという信頼感、頑張れば評価してくれるというやりがい。そうした意識が事業を前向きなものに変えていく。

人を動かすのは戦略や論理ではない。当たり前だが、一緒に歩んでくれると実感できるリーダーの心こそ人を動かすのだ。

自らを「解毒」して、プライオリティーを決める

日本HPでもダイエーでも日本マイクロソフトでも、社長時代は社員と多くの接点を持とうと努力してきたつもりだ。ただ社長の仕事はそれだけではない。社長自らが自分の時間の最適な使い方にプライオリティーをつけられらないでいると、実はそれだけで「社長失格」になってしまう。

朝から晩まで社員と共に髪を振り乱しながら働き続けることがプライオリティーになることもあれば、数週間ほど現場を離れて市場を見て回ることがプライオリティーになることもある。なにがプライオリティーかは、その時々の会社のおかれている状況によって違うのは当然だ。

それでも一つだけ言えるのは、「どのような状況にあってもプライオリティーは必ずあるし、プライオリティーをつけなければならない」という原理・原則だ。

戦略論というと小難しく思えるが、その要諦は「なにを選び、なにを捨てるか」の一点にある。リーダーの行動では、仕事のどの部分に自分のエネルギーを集中投入するかの選択が戦略であり、プライオリティーだ。

どうやってプライオリティーをつけるか。その論理的な手法やノウハウは実はない。ただ一つだけアドバイスできるのは、「自らをデトックスする」である。

デトックスとは「解毒」の意だ。すべての経験や思いを一度白紙にして日常とは異なる環境に身を置いて考えてみる。IT業界のリーダーであれば一観光客として米国のシリコンバレーに足を運び、そこでどんな景色に心を揺さぶられるかを試してみるのもいいだろう。

そして、ここがまたリーダーの面白いところなのだが、リーダーは業務や仕事については徹底して分かっている。だからデトックスしているつもりでも、そこから湧き出てくる判断にはなんらかの根拠、必然性が必ずあるのだ。つまりプライオリティーの根拠や必然性が示される。

解毒をすると最も悪い毒が分かる。解毒の効用はここにあり、それは決して日常性に埋没していてはできないことだ。解毒もまた経営リーダーにとっては、なさなければならない作業なのである。

樋口泰行氏(ひぐち・やすゆき)
1980年阪大工卒、松下電器産業(現パナソニック)入社。91年米ハーバード大学経営大学院修了。2003年に日本ヒューレット・パッカード社長。ダイエー社長を経て、08年日本マイクロソフト社長に。15年より現職。

(撮影:有光浩治)

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僕が「プロ経営者」になれた理由 変革のリーダーは「情熱×戦略」

著者 : 樋口 泰行
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 1,728円 (税込み)

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