パンチ・ブラザース ブルーグラスの枠破る音楽性
ステージ上に立った奏者たちの持ち楽器は、マンドリン、フィドル(バイオリン)、バンジョー、生ギター、ダブルベースという、米国のルーツミュージックによく使われるアコースティックな弦楽器群。かような編成だけを見れば、パンチ・ブラザースは正統的なブルーグラスのグループと認めることができるだろう。
パンチ・ブラザースは2006年にNYのブルックリンで結成された、5人組のグループである。訴求力を持つ歌声でリードボーカルも取るマンドリン奏者のクリス・シーリーはかつてニッケル・クリークというブルーグラスのトリオを組み、その際にグラミー賞も獲得。いうなれば、ブルーグラス界で高い支持を得た後にスタートした。
彼らはこれまでに4枚のアルバムをリリースしているが、それらを送り出しているのはパット・メセニーやウィルコといったジャズ界やロック界の先鋒(せんぽう)が在籍するノンサッチレコードだ。そういう事実からも、パンチ・ブラザースがブルーグラスという世界に留まることをよしとしない音楽的な野心を抱えているのは理解できるだろう。また、その新作『燐光(りんこう)ブルース』には現在米国ロック界きっての名声を誇るT・ボーン・バーネットがプロデューサーとして参加。現在の彼らのファンには、好奇心の強いロックリスナーも数多くついているのは疑いがない。
事実、5人の演奏が思うままに重ねられたライブは、ブルーグラスの基本を土台にしつつ、様々な音楽語彙や多彩な楽器奏法を悠々と飲み込むものだった。各奏者の雄弁な演奏にはジャズやクラシックの素養を透かし見ることができ、ドラム奏者のいない編成であるにも関わらず巧妙な楽器音のかみ合いは瑞々(みずみず)しいスピード感や現代的な響きの感覚を浮き上がらせ、楽曲は秀逸なロックを比較に出したくなるようなメロディや歌詞を抱える。また、時には一糸乱れぬコーラスを披露したりもする。そのバラエティに富んだアコースティック表現に身を任せていると、ブルーグラスという形をとった自分たちの表現の奥にちりばめられた様々な音楽の種を分析してごらんと、面々から挑戦を受けているような気持ちにもなった。
ところで、パンチ・ブラザースの実演は、もう一つ見る者をおおいに驚かせる所がある。それは、通常の公演だったらステージ上にマイクやアンプやエフェクターがいろいろ設置されるところ、彼らの場合は中央に1本のマイクスタンドが置かれているだけであること。そして、互いの顔を見ながら1本のマイクを囲んで嬉々(きき)として演奏し、歌声を重ねる。生身の個の重なりに重きを置いている事実を指し示すような、その図は間違いなく見る者にインパクトを与える。とともに、人間は生身でできることがまだまだある、人間の知恵や技量はテクノロジーを凌駕(りょうが)するという、パンチ・ブラザースの意思表示にそれはつながっていた。
純粋な音楽性の部分においても、ライブの設定や進め方という観点においても、いくつもの広がりや裏切りをパンチ・ブラザースは抱える。その様はしっかりと立脚する軸を持ちつつも枠や常識を飛び越えてこそ今の生きたポップミュージックは生まれると、彼らが言明しているように思えてならなかった。
書き遅れたが、リーダーのクリス・シーリーは現在35歳。そして、他のメンバーたちもそれに準ずる年齢だろう。働き盛りのアメリカのミュージシャンの創造への貪欲さやアイデアの確かさが、そこには山ほど横たわる。まだまだ伸びしろを持つパンチ・ブラザースの実演は、米国の大衆音楽の強さをきっぱりと示していた。
かような気鋭のアメリカンミュージックの担い手の初来日公演を見ようと、場内はフルハウス。そして、観客は熱心にパンチ・ブラザースの研ぎ澄まされた表現に耳を傾け、曲が終わると熱烈な拍手を送る。それを受けるメンバーたちも、本当にうれしそうだった。そこには、幸福な音楽の現場があったと言うしかない。8月4日、ブルーノート東京。
(音楽評論家 佐藤英輔)
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