井田寛子さん 「好きなこと貫く」、父の教え
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は気象キャスターの井田寛子さんだ。
――子どものころから自然に興味があったそうですね。
「埼玉県春日部市で育ちました。まだ自然が豊かで、よく虫取りをしました。家族も生き物が大好きで、家ではザリガニやカエルを飼っていました。将来は獣医になりたいと大学を受けたんですがだめで。自然に携わりたいという気持ちがあり、筑波大学の自然学類化学科に進みました」
「父は建築士です。ただ、私は建築には関心がなかった。父は家で図面を引いていましたし、女性設計士を取り上げた新聞記事を切り抜いて私に見せたりもしました。でも、それは建築士になってもらいたいというよりも『女性も手に職をつけてほしい』と言いたかったのだと思います」
――大学を卒業して製薬会社に就職しました。
「研究者として試験管に向き合うのは無理だなと感じていました。テレビの科学番組を見ているうち、自分が好きな自然について伝えることに興味がわき、テレビの仕事がいいなと思い始めました。アナウンス学院に通い、放送局を何局か受けましたが、すべて不合格でした」
「フリーのアナウンサーの道を考えたのですが、父の猛反対に遭いました。『何の保証もない』と、ものすごいけんまくです。父はそれまで、私に『好きなことを貫いたらいい』と言っていましたので、驚きました。泣く泣く製薬会社に就職。でも、ここでMR(医薬情報担当者)として電話のかけ方から始まって社会の仕組みを学べたのは良かった」
――気象予報士を目指したのはなぜ。
「テレビの仕事を諦めきれず、製薬会社を辞めてNHK静岡放送局のリポーターになりました。台風や地震訓練などの報道に携わるなかで、気象予報士への関心が高まりました。通信教育で勉強しましたがなかなか受からない。横浜の専門学校に、週末、新幹線で静岡から通いました。5回目の受験でようやく合格。両親が心配するので、すべて事後報告でしたが」
――NHKの「ニュースウオッチ9」の気象キャスターとして注目されました。
「ちょうど東日本大震災の直後で、気象に対する意識が高まった時期です。ニュースウオッチ9は5年間務め、今年4月からTBSの『あさチャン!』に舞台が移りました。テレビのほか講演会でお天気の話をすることも多いのですが、両親は『すごいね。あんなにしゃべれて』なんて言ってますね」
「いまは午後7時には就寝し、午前2時に起きて3時にはスタジオ入りする生活。気象情報を伝えるのには準備が大変なんです。でも全然、苦になりません。父親から『興味あるものを納得いくまで掘り下げる』という気質を受け継いでいるからでしょうか」
[日本経済新聞夕刊2016年8月16日付]
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