幸之助流部下の信頼獲得術「叱責もフォローも全力で」パナソニック「経営理念実践伝道師」古望高芳氏に聞く(3)

松下幸之助氏
松下幸之助氏

2020年の東京五輪・パラリンピック後の「post2020」はどんな時代になるのか。「経営の神様」松下幸之助氏は1964年(昭和39年)の前回東京五輪後の不況で経営難に直面したが、変化に対応できる組織作り、人づくりを進め切り抜けた。それを可能にしたのは「時に部下を全力で叱咤(しった)し、しかもやる気にさせる」という幸之助氏ならではの振る舞いだった。リーダーは時に部下を叱ることも必要だが、幸之助氏の場合、叱られた部下たちがそのことを人生の勲章とするほど、叱り方に魅力があった。post2020に求められるリーダーの叱り方とは。パナソニックで幸之助氏の言葉や行動を次世代社員に伝える「経営理念実践伝道師」を務める古望高芳氏に聞いた。(聞き手は編集委員 渋谷高弘)

――前回の東京五輪後、幸之助氏は不況に対応するため陣頭指揮をとりました。大きな変化を促すには、時に部下を叱ることもあったと思いますが、どんな叱り方をしたのでしょうか。

「幸之助氏の叱り方には叱られた者の心をわしづかみにし、叱られた者がその後の人生の勲章にしてしまうほどの魅力がありました。その叱り方の一例を示す話として、松下電器に20年以上勤めた後に三洋電機創業に加わり副社長まで務めた後藤清一氏の事例を紹介しましょう。当時、松下従業員の給料には本社と工場との間で決める『歩合制度』というものがありました。本社側の後藤さんは他の工場長との間で歩合の値上げを相談し、それを幸之助氏に報告せずに頬かむりしていたことがあったのです。2~3カ月して、それがばれてしまい、『首謀者は誰や? 後藤か』ということになり、後藤さんは夜の9~10時に幸之助氏の部屋に呼ばれたのです」

谷井ビデオ事業部長(左)から製品の説明を受ける松下相談役(右)(1978年5月、肩書は当時)

「その時の季節は冬でした。幸之助氏は部屋の石炭ストーブの火箸を持ちながら後藤さんにこう言いました。『君の値上げのことは何とも言わん。しかし、何故わしに相談せんのや。君はいつからそんなに偉くなったんや! 大将はわしやで!』。幸之助氏は、怒る時は全力を集中して怒ります。その時も、いすに腰を掛けて火箸を持って、その火箸が曲がるほど石炭のケースをたたいたそうです。後藤さんは直立不動で、震え上がったに違いありません。幸之助氏の叱責が終わったのは、夜中の12時前でした。後藤さんが外に出ようとしたところ、『ちょっと待て』と言ったのだそうです」

「ここからが幸之助氏のすごいところです。手に持った火箸を差し出し、『君がわしを怒らすから、この火箸、曲がってしもうたやないか。どないしてくれるんや。ちょっとこれ真っすぐして帰り』と。後藤さんが受け取った火箸をトントンとたたいて真っすぐに戻したら、『君はなかなか上手やなあ、真っすぐになったなあ』と褒めたそうです。これだけでも、人の気持ちはコロッと変わります。さらに後藤さんが外へ出ますと、そこには秘書課長が待っていました。車で家まで送り届けるというのです。後藤さんが家に着いたところ、秘書課長が迎えに出てきた後藤さんの奥さんにひそひそ何かを伝えました。後藤さんが『何を言われたんや』と奥さんに聞いたところ、『幸之助さんがあんたのことをあんまり叱り過ぎたので、ショックで自殺でもしよったらかなわんから、よく気を付けて優しくしてあげてくれ』と言われたというのです。しかも、さらに次の日の朝6時には幸之助氏から家に電話がかかってきて、機嫌の良さそうな声で『後藤君、どうや!』と一言あったというのです。幸之助氏は怒っても、その後のフォローを徹底していました。しかもフォローにダメ押しがあるのです。後藤さんは、改めて『この人についていこう』と強く思ったそうです」

――心をつかまれる話ですね。他にもそういった話はありますか。

「松下電池工業(現パナソニック)元専務の上田八郎さんは自分の上司だった企画課長が幸之助氏から叱られていたことをこんな風に述べています。幸之助氏が同社を訪問した際、企画課長のところに行き、そこに置いてあった自転車ランプを手に取ってスイッチをパチパチやっていたそうです。そして、おもむろに企画課長に『君、今のスイッチはどないなっとるねん』と聞いたそうです。企画課長は『はい、今でもこのスイッチを使わせてもらっています』と答えました。すると幸之助氏の顔色がみるみる赤く変わっていきました。上田さんが知っているのは、いつもニコニコと優しい幸之助氏でしたから、その変わり方を見てビックリしたそうです。そして幸之助氏は事務所中に響くような声で怒り出しました。『君! このスイッチはわしが作ったやつや。わしが考え出したスイッチや。君が考えたのはどれなんや! 君、何もやってへんのか!』。そしてパッと立ち上がったかと思ったら、手を差し出して『返してくれ、返してくれ』と言うのです。何を返せと言っているのかと思ったら、月給を返せということなのです」

「この時、上田さんは『幸之助さんという人はものすごく怒る人やな』と思ったのですが、後になって偉いと考えたのは、その次のところだったそうです。幸之助氏は座って言いました。『もうええわ。しかしな、わしは君やったらやってくれると思ってたんや。それは今でもそう思うてんねん』。そう言って、企画課長の肩をたたかんばかりにして、すっと帰っていったそうです。上田さんは『これはうまいなあ』と思ったそうです。決して叱りっ放しにしない訳です。何か救いがあるのです。部下に『そうか、それは自分が悪かった。よしこれから頑張ろう』という気を起こさせるように言う。だから声も違うそうです。ガーっと怒って、それから声を一段落として、すっと救いの言葉を残す。怒った顔が閻魔(えんま)さんで、その後は仏さんみたいな顔になるわけです。普通だったら、幸之助氏にそれだけ怒られたらガックリきます。ところが、その企画課長を見ていたら、『よし、これはやらないかん!』とファイト満々で、また周囲の人もすごい闘志を燃やしていたというのです。こうしたエピソードは『松下相談役に学ぶもの 第五集』(PHP研究所刊)で紹介されています」

――いずれの話も叱った後のフォローの大切さをしみじみと感じさせられる話ですね。

「松下幸之助氏の叱責の裏には部下の人格を尊重する姿勢があった」と話す古望氏

「幸之助氏の心の中には閻魔さんと仏さんが同居していて、その両者の絶妙な使い分けが部下の心をわしづかみにするのです。こうやって幸之助氏は部下との間に強い信頼関係を築いてゆきました。『俺についてこい』というリーダーシップではなく、部下の方が『この人についていきたい』と思うような経営者でした。たからこそ、様々な窮地を乗り越えるだけの強力なリーダーシップを発揮できたのでしょう」

――そうした幸之助氏の叱り方は、激動が予想されるpost2020でも有効でしょうか。どんな効果が期待できるのでしょうか。

「現在、あるいはpost2020の時代はコミュニケーションの手段は幸之助氏が健在であった時代とは比較にならぬほど多様化し、コミュニケーションの量も飛躍的に拡大していると思います。しかしコミュニケーションの質という面では劣化し、人の心を揺さぶり掌握するようなコミュニケーションの場は減っているというのが実情ではないでしょうか。幸之助氏は財産もなく、学歴もなく、健康な体もないという悲惨な状況から身を興した方でした。しかし、人の心を洞察する力に極めて優れ、人心を掌握し成果に導く類いまれな経営者であったと思います」

「私は、経営とはまさに人心を掌握し、いかに成果を上げていくかの営みであると思います。幸之助氏にとって、経営は常に真剣勝負であり、部下を叱る時も全力を集中して真剣勝負する場であったのだと思います。しかし幸之助氏の叱責は、決して『私憤』からではなく、常に『公憤』から発せられるものでした。また『この人はわしより偉いな、こういうところがこういうように偉いな。総合点はわしより上やな』と、常に部下が偉く見えたと言っています。従って、厳しい叱責の裏には常に部下の人格を尊重し、思いやり、育てようとする深い愛情が隠されていたと感じます」

「幸之助氏に仕え、厳しく叱られた経験を持つある部下の方は、次のように述べています。『経営や仕事の方法を教えてくれる経営者はたくさんいるけれども、人生を教えてくれる経営者はこの人だけだ。弟子としてついてゆかねばならない』と。その方は幸之助氏を生涯の師と仰いでいます。部下を叱ることも褒めることもできず、人心掌握に日々悪戦苦闘している現代のマネジャー、そして激動のpost2020を生きるビジネスマンにとって、幸之助氏の叱り方や人心掌握の術(すべ)は、大いに参考になるのではないかと思います。次回は人工知能(AI)が発達するこれからの時代をビジネスマンはどのように生き残ればいいのか、幸之助氏ならどう考えるかをお話ししたいと思います」

まつした・こうのすけ 1894年和歌山県和佐村(現和歌山市)生まれ。幼少時に父親が米相場で失敗、1904年小学校4年で学業を断念。大阪の火鉢店で奉公に。17年、大阪電灯を退職、18年松下電気器具製作所を創業し独立。30年、ラジオの生産・販売を始める。35年、株式会社に改組、松下電器産業発足、社長に。61年、松下電器社長から会長に。PHP活動を再開。64年、不況乗り切りのため営業本部長代行として陣頭指揮。73年、会長から相談役に退く。80年、松下政経塾を開塾。87年、勲一等旭日桐花大綬章を受章。89年4月、94歳で死去。
こもう・たかよし 1957年静岡県生まれ。82年、早稲田大学商学部卒業、松下電器産業入社。以来、自動車メーカー担当営業を中心として23年間、車載機器関連事業に従事。2009年、社内資格の「経営理念実践伝道師」を取得し、社内人材育成の一端を担っている。

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