毎月のイライラ損失1兆円? 「知る」だけで症状改善
日経BPヒット総合研究所 黒住紗織
生理前は感情が高ぶって人に八つ当たりしてしまい、後でいつも自己嫌悪に陥る。イライラを抑えきれずに強い言葉を使ってしまい、職場や家庭で人間関係がこじれる……。思い当たる人はいない? もしくは、身近な女性の中に毎月、ある時期だけ機嫌が悪くて付き合いにくいな、と思う人がいないだろうか。
これらは多くの女性が悩むPMSと呼ばれる症状の一例だ。
PMSは、毎月、生理が始まる1週間ほど前からイライラや気分の落ち込みがあって感情のコントロールが利かなくなったり、集中力が低下するなど精神面の変調が起きたり、過食や眠気、むくみ、頭痛、乳房痛、ニキビなど身体面での不調が出る疾患。仕事を休んだり、定職に就くのを諦めざるを得なくなったり人も少なからずいる。しかしこうした症状は、大概、生理が始まったとたんに消失してしまう。発症には女性ホルモンが関わるが、メカニズムは明らかになっていない。
「女性ホルモンが関連する心身の不調には更年期症状もあるが、そのつらさは長くても10年程度。対してPMSは早い人では10代から発症し、閉経までの約40年間続く人もいる。長期間、生活の質が落ちるという意味で、PMSはより深刻だろう」と近畿大学東洋医学研究所所長で婦人科医の武田卓教授は話す。
日経ヘルスが2016年に女性292人に行ったPMS調査で、悩みのトップはイライラ・怒り(73.2%)で次が眠気(59.8%)、そして情緒不安定の52.5%が続く。身体症状より精神症状の悩みが強いと答えた人が多く、46.9%だった。ゼリア新薬工業の調査では、症状を自覚する人の55.1%が身近な人に八つ当たりした経験があり、 生理前にパートナーとのケンカが増える人は約6割。そこから破局に至った人もいる。ホルモンケア推進プロジェクトの調査では、「ミスが多くなる」「集中力が低下する」など仕事への影響を挙げる人が半数以上いた。
驚くのは、「管理職や責任のある仕事への昇進を打診されたが辞退した」という人が253人中17%もおり、辞退を考えた人も合わせると62.5%にのぼる点だ(ホルモンケア推進プロジェクト2014年12月調査)。
未治療の人180万人。経済損失は1兆円
もし、昇進を打診された女性が、不調の原因がPMSだと知っていたとしたら、婦人科に治療法を相談してみよう、との考えも浮かぶだろう。しかし、PMSのせいと知らず、集中力が低下したり、感情が制御できなかったりするのは自分のせいだと思い込んでいるなら、自分の仕事ぶりに自信が持てず昇進を断ったとしても不思議ではない。ゼリア新薬工業の調査では、症状がある人のうち自分がPMSだと認識するのは53.4%で、半数近くは症状がありながら、それをPMSと結び付けて理解していなかった。また症状があるのに、何もしていない人は42.3%もいた。
不利益を被っていることを自覚していない、不調を解消する手立てを講じていない――。女性の活躍がますます進む今後は、こうした問題を放置することが女性自身にとっても、社会にとっても大きな損失だ。「日本ではPMSについての理解が女性でも十分には進んでいるとはいえない。医療者における認知度もまだまだ低く、男性や企業を含めた社会的な認知に至っては他の先進国に比べて格段に遅れている」と武田教授。武田教授の推定では、治療が必要な症状レベルなのに未治療の女性は180万人。「米国では一人年間少なくとも50万円の損失という研究報告があり、この数字を基にすると日本の経済損失は年間1兆円程度と試算できる」(武田教授)
翻って欧米では「生理がある女性にはPMSがある」という社会的な認識は高く、症状は個人で異なることも男性を含めてよく理解されている。また、PMSによる就業中の事故多発、作業能力低下などに起因する社会的損失についての研究も進んでおり、PMSが女性の生活の質に及ぼす影響や、それによる社会的損失についても広く知られている。たとえば、米国では、女性がボーイフレンドや夫に"I'm PMSing"(いま、PMSの最中だから)というと理解してもらえるほど、一般に認知されているという。
そんな中、日本でもようやくPMSに着目した製品が登場した。日本初のPMS治療の市販薬「プレフェミン」がそれ。
ゼリア新薬工業が2014年に発売したこの薬は、1999年にスイスで発売して以来、10カ国以上で販売されている「チェストベリー」という西洋ハーブのエキスに由来する。参入して1年半。同社のPMSの啓発サイトや製品サイトへのアクセス数は伸びており、SNSなどでの口コミも広がっているという。徐々にではあるが市場は着実に成長している様子だが、今後さらに市場を伸ばすカギは、PMSという疾患自体の啓発と、それを改善する薬があるということを、いかに多くの女性に知らせるかにかかっているといえそうだ。
実は、PMSの症状緩和のためにも「知る」は重要なキーワード。「自分の症状は女性ホルモンの変化のせいで、これはPMSという疾患」と知っているだけで、症状そのものが軽くなるとの研究があるからだ[注]。宮城県でPMSの講義をした高校と講義をしなかった高校を対象に東日本大震災後のストレスによる症状の変化を調べた武田教授の研究でも、講義を受けなかった高校の生徒では症状が悪化したが、講義を受けた生徒は悪化が認められなかった。これは、不調の正体を理解していれば、不必要な不安を抱えずにすみ、ストレスも増えない、というということだろう。
「疾患を知ること」の次に有効な対処法は、数カ月間、自分の症状日誌をつけてみること。どんな症状がどのタイミングで出るのか生理との関係を記録してみると、自分のPMSパターンが把握でき、生理前には重要なスケジュールをいれないようにしたり、人になるべく会わないようにしたりするなど、トラブルを回避する策が打てる。さらに、職場仲間やパートナーなどに「私は今、イライラしやすい時期だから、ごめんなさい」と先回りして、協力や理解を取り付けておくこともできる。こうしたことに加え、チェストベリーの市販薬のほか、漢方薬やホルモン剤、SSRI(選択的セロトニン再取込阻害薬=抗うつ薬の一種)などを婦人科などで処方してもらうのも有効な治療法だ。
女性特有の不調に関する認知の低さからくる"損失問題"は、PMSだけにとどまらない。月経困難症、不妊そして更年期……。女性は男性と違って、毎月のホルモンの波や、一生の間の女性ホルモンの波に、心も体も大きく影響を受けながら生活しているが、こうしたテーマについて、日本の学校教育では知識を得る機会がほとんどないに等しい。そのために、無用に不安を抱えたり、予防策を講じなかったり、必要な治療を受けずに我慢する人が出てくるのだ。
こうした問題点に目を向け、女性の健康の啓発活動をしているのが、大塚製薬。希望する企業を対象に講師を派遣し、PMSや更年期などの女性特有の健康問題をテーマに健康セミナーを行っている。当初、企業からの依頼は「女性社員が対象」という声ばかりだったが、最近は様子が変わってきている。男性にも聞かせたいという動きが出てきたのだ。
その第一号がブリヂストン。同社は、一度女性従業員向けセミナーを実施した際に、参加者から「女性特有の不調とひとくくりにした一般常識ではなく、もっと深い内容を男性にも知ってほしい」との声が挙がり、2016年6月に男性も参加する会の実施に至った。1時間の昼休みに前後15分ずつをつなげて1時間半の時間を設定、人事部門主導で女性の不調改善の助けにもなるという大豆などを多彩に取り込んだ弁当も用意した。募集枠の60人はすぐに満席となり、その中に9人の男性も含まれていた。その後、8月にも、同社は九州で男性管理職に限定して同じセミナーを実施。35人が参加したという。
参加した43歳の管理職の男性は、「女性には月単位で感情面の起伏がある、更年期などステージによっても変化があることを再認識でき、妻と娘の理解の助けにもなった。また、女性がベストパフォーマンスを出せるように周囲も理解し、フォローすることが、会社のためにもなるのだという気づきにもつながった」と話してくれた。
同社労務部の青木健部長は、「女性が活躍できる企業になるためには、会社としてもそれを下支えするような環境をつくらなくてはいけない。今回は女性だけでなく、管理職やグループ会社の男性の参加を得られた。こうした機会を作ることが、目指す環境づくりの一助になることを期待している」と企画意図を話す。
女性が長く、快適に働ける社会にするためにも、「女性特有の健康」に着眼したさらなるサービスや製品の登場が待たれる。
日経BPヒット総合研究所主任研究員。90年、日経BP社入社。『日経レストラン』『日経ベンチャー』などの記者を経て、2000年より『日経ヘルス』編集部。その後『日経ヘルスプルミエ』編集部 編集委員、プロデューサーなど。女性の健康、予防分野の中で、主に女性医療分野を中心に取材活動を行う。女性の健康とワーク・ライフ・バランス推進員、共著に『わたしのカラダは、私が守る 女性ホルモンの教科書』がある。
日経BPヒット総合研究所(http://hitsouken.nikkeibp.co.jp)では、雑誌『日経トレンディ』『日経ウーマン』『日経ヘルス』、オンラインメディア『日経トレンディネット』『日経ウーマンオンライン』を持つ日経BP社が、生活情報関連分野の取材執筆活動から得た知見を基に、企業や自治体の事業活動をサポート。コンサルティングや受託調査、セミナーの開催、ウェブや紙媒体の発行などを手掛けている。
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