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post 2020~次世代の挑戦者たち

幸之助流哲学「激動時のよりどころ、古来日本に学べ」 パナソニック「経営理念実践伝道師」古望高芳氏に聞く(2)

2016/8/10

松下幸之助氏

2020年の東京五輪・パラリンピック後の「post2020」はどんな時代になるのか。1964年(昭和39年)に開催された前回東京五輪後は不況が日本を襲ったが、「経営の神様」松下幸之助氏は「今までと同じことをやっていてはいけない」と語り、変化に対応できる組織づくり、人づくりを推し進めて経営難を切り抜けた。やはり激動が見込まれるpost2020を生き抜くビジネスマンに求められるスキルは何か。パナソニックで幸之助氏の言葉や行動を次世代社員に伝える「経営理念実践伝道師」を務めている古望高芳氏に話を伺った。(聞き手は編集委員 渋谷高弘)

――post2020も大きな時代の変化が見込まれます。この時代を生き抜く人材に必要なスキルとはどんなものだと思われますか。

パナソニックの経営理念実践伝道師認定証を持つ古望氏

「人のスキルを大きく分けると、実務を遂行する上で必要とされる専門知識や技能などの『テクニカル・スキル』、仕事のやり方・進め方・役割分担などの工程を最適化し、成果に導く『プロセス・スキル』、そして対人関係の能力と、その前提となる価値観・職業観・歴史観・人間観などが含まれる『ヒューマン・スキル』に分けることができます。このヒューマン・スキルこそが、post2020において、より重要なスキルとなると考えます」

――それはなぜでしょうか。

「激動の時代には、新しい挑戦が求められます。新たな環境に飛び込んでいかなければならないことも増えるでしょう。新しい環境で、たくましく生き抜いていく個人には自分を見失わないための『軸』や『アイデンティティー』が必要になり、それを確固たるものにするために精神的なよりどころである価値観・職業観・歴史観・人間観などが問われるからです」

「例えば現在でも、海外に赴任している当社の社員たちは、人種・言語・歴史・文化などが異なる部下や同僚らを抱えてチームを統率する環境の中で、苦悩の日々を過ごしています。海外のように人種・言語・歴史・文化などが異なる環境の中では、『自分の軸』や『アイデンティティー』を持たないと、多様な価値観に翻弄されて自分を見失い、行動や発言が消極的になり、周囲から相手にされなくなります。そういった環境でも存在感を示し、成果を出すために、彼らは幸之助氏の経営理念を必死で学ぼうとします。そこから精神的なよりどころとなる基本的価値観・職業観・歴史観・人間観を見出し、自らの『軸』や『アイデンティティー』を確固たるものにしようと努力しています」

――なぜ、幸之助氏の経営理念を学ぶことがヒューマン・スキルを磨くことになるのですか。

従業員個人の成長の先に会社の成長があると考えていた松下幸之助氏

「幸之助氏は『人生は経営だ』『経営の基礎は人である』『ものをつくる前に人をつくる』と説きました。つまり従業員個人の成長の先に会社の成長があると考えていたのです。だから私は社内研修の中で、幸之助氏の経営理念は『会社を経営するための理念』であると同時に、我々一人ひとりの『人生経営の手引書』でもある、と伝えています。しかも幸之助氏の経営理念は、彼が一人の人間として徹底的に自己と向き合い、時代と向き合い、悩み、苦しむ中で、彼が日本古来の伝統精神を学びながら創り上げたものです。だから我々が幸之助氏の経営理念を人生の手引書として学び、その内容を体現すれば、実は日本人古来の生き方や考え方をも理解できるのです」

――幸之助氏の経営理念が「人生経営や日本人古来の生き方の手引書」というのは興味深いですね。日本人の考え方が反映された幸之助氏の経営理念には、どんな特徴がありますか。

「『企業は社会の公器』という考え方が大きな特徴です。私企業であっても個人のものではなく社会のものという考え方であり、企業の社会的責任を重視していたのです。利益は社会の役に立てた『お役立ち料』と位置づけ、会社の活動目的は社会の役に立つことであって、利益を得ることを一義的な目的としているのではない。自己より先にお客様のことを優先し、自己より先に相手のことを考える、といった考え方です。こんなことを言えば、周りからは『きれいごと』に聞こえるかもしれません。ところが、これを『きれいごと』ではなく、徹底して『自分ごと』としたのが幸之助氏でした」

――「自分ごととした」とは、どういうことでしょうか。

「幸之助氏が社会のお役に立つということを『自分ごと』にする大きな転機となったエピソードがあります。1932年(昭和7年)3月、当時37歳の幸之助氏は、ある宗教団体の熱心な信者で親しい友人だった方の勧めで、その本部に足を運びました。その時、幸之助氏は教団の繁栄ぶりや信者の人たちの敬虔(けいけん)な態度、また喜びに満ちて奉仕する姿に感動し、自らの経営について改めて思いを巡らせ、次のように述べました。『人間というものは心身ともに健全であってはじめて幸せになる。宗教は迷い悩める人たちに安心する言葉を施し、精神的な健全性を与えている。一方、自分や同業者は電気製品を売って、身の健全に資するものを供給している。そうすると両者に違いは出ないはずだが、教団は隆々と繁栄し、われわれの業界は破産の連続で、非常に悲惨な状況にある。これはおかしい。どこに違いがあるかと考えてみると、教団の人たちは、本当に悩める信者を救ってあげたいという強い信念に生きている。一方、我々はこれを売ってこれだけもうけようという非常に弱い信念に立っていた。結局、その尊い使命の自覚が足りなかったところに、商売が弱体化する根本原因があったと気付かされた。われわれがやっている商売が即、お客さんの利益になる、そういう信念に生きようやないかと決心した。すると得意先がすっかり変わってきて、物がグッと売れるようになったのです』。この気付きは『経営百話』(PHP研究所刊)の中に収められています」

「幸之助氏はこうした体験を経て、同年5月5日に当時の全従業員168名を集め、『第1回創業記念式典』を行いました。そこで会社が将来に向けて果たしていくべき使命を『真にお客様のため、社会のための会社に生まれ変わることである』と確信に満ちて従業員に訴えました。強い決意の表れとして、いわば2回目の創業をしたわけです。すると式典は興奮のるつぼと化して、午前10時に開会された式典は、午後6時に至ってようやく閉会したといわれています。こうした取り組みを通じ、幸之助氏は社会の役に立つことを徹底的に『自分ごと』とし、自らと従業員のヒューマン・スキルを磨いていったのです」

――商売人は「企業は社会の公器」という考え方を体現することで、ヒューマン・スキルを磨けるということですか。

近江商人「商売十訓」(パナソニックの社内研修資料より抜粋)
一、商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
二、店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何(いかん)
三、売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
四、資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
五、無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為(ため)になるものを売れ
六、良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
七、紙一枚でも景品はお客を喜ばせる、つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ
八、正札を守れ、値引きは却(かえ)って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
九、今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
十、商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ

「そう思います。『200年企業』(日本経済新聞社刊)によると、日本は創業100年超の企業が2万社超、200年超の企業も3000社を超えており、世界で断トツで老舗企業が多い国です。ちなみに創業200年超企業は世界に約7000社ですが、そのうち日本企業は3113社を占め、ドイツ企業が1563社と続き、フランスは331社、英国は315社に過ぎません。こうした老舗企業は社会的責任を事業精神に採り入れており、社会的責任を果たすことと長期にわたる企業の存続とは極めて高い相関関係があるという結果になっています」

「日本でこうした老舗企業の礎を築いたのが、近江商人や大阪商人たちです。彼らは真の商売をするためには目先の実用的な知識よりも、深い学識に裏打ちされた基礎的教養と人と社会についての深い洞察力の方が大切であると考えました。そして自らや門弟に対して倫理学・哲学・人間学にあたる学問に重点を置いて学び、教育をしました。すなわち商売をする前に、まず一人の人間として社会的責任を全うすることを強く求めました。近江商人や大阪商人はテクニカル・スキルやプロセス・スキルよりも、ヒューマン・スキルに重きを置いて教育していたことを如実に物語っています」

「このように幸之助氏の経営理念は近江商人や大阪商人の考え方の影響を強く受けていました。1936年(昭和11年)に幸之助氏が発表した『商売戦術三十ヵ条』には近江商人が残した教訓『商売十訓』がそのまま反映されています。ですから幸之助氏の経営理念を学ぶことがヒューマン・スキルの強化につながるわけです。私はグローバル化と人々の分断が共に進むであろうpost2020に向けて、日本人古来の考え方を反映した幸之助氏の経営理念を伝道師として伝える意義はさらに高まると感じています。次回は激動の時代に向けて必要となるリーダーシップについてお話したいと思います」

まつした・こうのすけ 1894年和歌山県和佐村(現和歌山市)生まれ。幼少時に父親が米相場で失敗、1904年小学校4年で学業を断念。大阪の火鉢店で奉公に。17年、大阪電灯を退職、18年松下電気器具製作所を創業し独立。30年、ラジオの生産・販売を始める。35年、株式会社に改組、松下電器産業発足、社長に。61年、松下電器社長から会長に。PHP活動を再開。64年、不況乗り切りのため営業本部長代行として陣頭指揮。73年、会長から相談役に退く。80年、松下政経塾を開塾。87年、勲一等旭日桐花大綬章を受章。89年4月、94歳で死去。
こもう・たかよし 1957年静岡県生まれ。82年、早稲田大学商学部卒業、松下電器産業入社。以来、自動車メーカー担当営業を中心として23年間、車載機器関連事業に従事。2009年、社内資格の「経営理念実践伝道師」を取得し、社内人材育成の一端を担っている。

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