松下幸之助、前回五輪時の教訓「同じこと続けるな」パナソニック「経営理念実践伝道師」古望高芳氏に聞く(1)

松下幸之助氏
松下幸之助氏

2020年の東京五輪・パラリンピック後の「post2020」はどんな時代になるのか。開催時までは建設や観光により景気も支えられるだろうが、post2020には大きな反動が来るとの見方は根強い。1964年の前回東京五輪の後も日本は「昭和40年不況」に見舞われ、山陽特殊製鋼など大型倒産が相次いだ。そんな時期に「今までと同じことをやっていてはいけない」と語ったのが、「経営の神様」松下幸之助氏だった。post2020を幸之助氏ならどう生きるか。パナソニックで「松下幸之助の経営理念伝道師」を務める古望高芳氏に、話を伺った。(聞き手は編集委員 渋谷高弘)

――まず古望さんの業務内容について聞かせて下さい。

対談するパナソニックの古望高芳パナソニックAISカンパニーCSセンター主幹(左)と日本経済新聞社編集委員の渋谷高弘

「1982年に松下電器産業に入社し、23年間は営業マンとして自動車メーカーを担当しました。その後、経営企画部門を経て現在パナソニックAISカンパニーCSセンター(グローバルサービスと国内顧客相談センターを統括)の仕事を担当しています」

――そういった業務を担当する傍ら、「松下幸之助の経営理念伝道師」として活躍しているとお聞きしています。

「はい。松下幸之助の伝道師というのは、正式には当社の『経営理念実践伝道師』という社内資格のことを意味します。2008年10月に松下電器産業からパナソニックに社名変更した際、世代を超えて松下幸之助氏の経営理念を継承していくための仕組みとして経営理念伝道師制度が制定されました。これまでに伝道師の資格を得た人は53名、現在も現役で活動している人は16名います」

――経営理念実践伝道師は、具体的にはどんな活動をするのですか。

「当社の課長候補者や係長候補者に対する研修での講師や、CS(顧客満足)職能研修カリキュラムでの経営理念研修講師を務めることが主です。当社で次世代を担う従業員たちに、幸之助氏の経営理念への理解と実践を促進する役割を担っています」

「研修に参加する従業員たちは、講師から幸之助氏の言葉や行動をひな型として学びます。それだけでなく、そこで学んだ内容を自分たちの日々の業務や人間的な悩みにひき付け、自分なりに肉付けしてゆき、研修後にリポートを書くなどして自分の腹に落としていく、というのが研修の内容です」

――興味深いですね。ところで前回の東京五輪は1964年(昭和39年)10月に開催されました。その際、幸之助氏は有名なエピソードを残していると聞きますが、それはどんな内容だったのですか。

事業部制を説明する1933年当時の松下幸之助氏

「64年の東京五輪の年から翌65年にかけて、深刻な不況が日本を襲いました。企業の倒産は63年が約1700件、64年が約4200件、65年には5600件超と悪化の一途をたどりました。幸之助氏は会長に退いて3年余りが過ぎていましたが、状況の深刻さを察知して64年7月9日、全国の松下電器系列の販売会社・代理店の経営者を静岡県熱海市にある熱海ニューフジヤホテルに集め、懇談会を開き、意見交換を行いました」

「集まったおよそ 170社の経営者からは、『経営が苦しい』という切実な訴えと、『その原因は松下電器の製品や販売政策、若手社員の態度に問題があるからだ』という批判の声が続々とあがりました。その経営者たちの態度が自立経営の気概に乏しく、あまりに松下電器に依存する姿勢が感じられたため、幸之助氏は『松下にももちろん改善すべき点はある。だが、皆さん方にも改善していただくべき点があると思う』といった趣旨の言葉を伝えたところ、反対意見はさらに強まり、議論は紛糾し、意見のやり取りは3日間におよびました」

――それで事態は収拾したのでしょうか。

「激論を目の当たりにする中で幸之助氏は創業間もない頃のことを思い出し、『新参の電球メーカーが短期間に一流メーカーと肩を並べるようになったのは、ここにいらっしゃる全国の販売店・代理店が全力をあげて販売に取り組んでくださったからであり、今の松下電器があるのも皆さんのおかげであることを忘れてはならない』との思いに至り、次のように話しました」

「『お互いに言い分もあり理屈もあるが、2日間十分に言い合ったのだから、もうこのような議論はやめよう。よくよく考えれば、松下電器が悪かった。この一語に尽きる。本来、自主自立の経営を進めていただかなければならない皆さんに、松下電器に依存する体質に生ぜしめたのは、われわれのお世話の仕方に当を得ない点があったからであり、心からおわびしたい。今日松下電器があるのは本当に皆さんのおかげである。これからは、皆さんに安定した経営をやっていただけるよう、抜本的に考えたい。それをここにお約束する』」

「限界をつくってしまえば一歩も進歩することはできない」との松下幸之助氏の言葉を紹介する古望氏

「話しているうちに幸之助氏の胸にはせまるものがあり、最後の5分間は涙声で絶句しながらの話となりました。会場も粛然とし、多くの出席者はハンカチを目に当てていたといいます。そして出席者も『われわれも努力が足りなかった。これからはお互いに心を入れ替えてしっかりやろう』と激励し合い、懇談会は終了しました。こうしたやりとりは『松下幸之助小事典』(PHP研究所刊)に収められています」

――壮絶なやり取りがあったのですね。その後、幸之助氏は具体的にどのようなアクションを起こしたのでしょうか。

「幸之助氏は現場に復帰し、64年8月から半年間、営業本部長の職務を代行し、全国的な販売会社網の確立、営業所を経由しない事業部直販制、新月販制の改革を行い、不況に対応できる組織づくり、人づくりを強い態度で進めていきました。65年3月には幸之助氏は次のような言葉を残しています」

「『今までと同じことをやっていてはいけない。世界は非常に進歩が激しいのだから、絶えず新しい道、新しいやり方を考えて、そこに興味をもっていかないといけない。人間には、少しうまくいくと、新しいことを求める熱意が欠けてくるきらいがある。われわれは、常に新しいものを呼び起こし、それに取り組んでいかなければならない。われわれの身辺において、今日はこれで最善と思っていたことでも、これはまだ最善ではない、まだ他に道があるかもしれないというふうに考えれば、道はやはり無限にある。<それはなぜか>、という一つの疑問というか、そういうものを自ら持てば、それは発見されていく。しかし、<これはこんなものだろう>と、自ら限界をつくってしまえば、一歩も進歩することはできない。進歩は無限であるというように考えて取り組んでいけば、際限なく進歩していくと私は思う』」

「幸之助氏は、『今は自らに限界をつくっている場合ではない。常に限界を超える努力をしていかなければ激動の時代は生き残れない』という強いメッセージを発信し続けました。これは、まさに今の時代にもそのまま当てはまる言葉だと思います。2020年の東京五輪・パラリンピック後も、このとき以上に激動の時代が予想されます。この時代にビジネスの世界で勝ち残っていくためには、どんな考え方が求められるか。次回以降も幸之助氏の言葉を引きながら、考えていきたいと思います」

まつした・こうのすけ 1894年和歌山県和佐村(現和歌山市)生まれ。幼少時に父親が米相場で失敗、1904年小学校4年で学業を断念。大阪の火鉢店で奉公に。17年、大阪電灯を退職、18年松下電気器具製作所を創業し独立。30年、ラジオの生産・販売を始める。35年、株式会社に改組、松下電器産業発足、社長に。61年、松下電器社長から会長に。PHP活動を再開。64年、不況乗り切りのため営業本部長代行として陣頭指揮。73年、会長から相談役に退く。80年、松下政経塾を開塾。87年、勲一等旭日桐花大綬章を受章。89年4月、94歳で死去。
こもう・たかよし 1957年静岡県生まれ。82年、早稲田大学商学部卒業、松下電器産業入社。以来、自動車メーカー担当営業を中心として23年間、車載機器関連事業に従事。2009年、社内資格の「経営理念実践伝道師」を取得し、社内人材育成の一端を担っている。

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