篠原ともえさん 母への手作りポーチ、物作りの原点
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はタレントの篠原ともえさんだ。
――ファッションに興味を持ったのはお母さんの影響のようですね。
「母は洋裁が大好き。ミシンを使っている姿がすごく格好良かったです。よくベッドカバーを作ってくれて、1人で寝ていても母と一緒のような気がして安心できた記憶があります。幼い頃は母の針と糸で裁縫のまねごとをしました。見よう見まねで自分と人形の洋服をおそろいの生地で作って楽しみました」
「10歳の時に内緒で母のジーパンの一部を切ってポーチを作りました。母の日の贈り物を作りたくて。ジーパンをダメにしてしまったので怒られると思ったのですが、母は大喜びで褒めてくれた。それがすごくうれしくて、自信にもなりました。最近は洋服や浴衣のデザインに力を入れていますが、物作りの原点はここにあると思います」
――それでも、怒られたのはお母さんからだったとか。
「母は優しかったけれど、生活の基本を守れないとよく怒られました。門限や言葉遣いに厳しく、『他人に迷惑をかけるな』とよく言われました。一度、私が縫いかけの物をしばらくリビングに放っておいたことがあって、それを母が私の目の前でいきなり全部ほどいたのです。私はショックで号泣。母は『一度始めたことは最後までやり遂げるの。途中でやめるなんて物に対して失礼よ』と言いました。きっちり育ててもらった気がします」
――お父さんはすし職人だったそうですね。
「手先が器用で寡黙な人です。私は上に兄が2人いて、末っ子なのでかわいがってくれました。中学生のある日、父に出前に行くから一緒に行こうと誘われました。車の助手席に座ると、父が『学校はどう? 最近少し顔色が悪いよ』と言うのです。友人関係で悩んでいたけれど誰にも言えずにいたので、はっとしました。母と比べると関わりは少なかったですが、そっと見守ってくれていたんですね」
――篠原さんのファッションをまねる「シノラー」が増えて世間の注目を集めた時の反応は。
「両親がテレビで騒ぐ私を見て、うるさいとか派手すぎるとか言ったことは一度もありません。私がテレビに出ることを楽しみにしてくれ、応援してくれました。当時は高校生で、短パンにランドセルを背負って、ジャラジャラとバングルを着けて、個性的な格好をしました。手本にした人はいなくて、海外の古着などを使ってシノハラ流にアレンジしていました」
――家族の応援が大きなパワーになっている。
「テレビに出たり、デザインの仕事が成功したりすると喜んでくれます。昔は自分が一番でしたが、30代も後半になると、自分の仕事が両親の喜びになっていることが何よりもうれしいです」
[日本経済新聞夕刊2016年7月26日付]
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