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「私の履歴書」今語る

サントリー中興の祖 佐治敬三氏

2016/7/25

佐治敬三氏
「やってみなはれ」――。サントリーの佐治敬三氏が関西弁で語るその言葉は、明朗快活で社員の挑戦心を常にあおった。無謀といわれながら、ビール事業に進出したほか、清涼飲料水など新規事業に次々参入した。

敬三氏は1919年に創業者の鳥井信治郎氏の次男として大阪で生まれる。鳥井氏が起こした祖業はぶどう酒、そしてウイスキー事業に乗り出す。敬三氏は子供のころ、養子縁組して「佐治」性となったが、そのまま実父母の元で暮らし、大阪帝国大学理学部を卒業。1945年、サントリーの前身の寿屋に入社。61年に社長に就任する。2代目のボンボン社長ではなかった。わずか2年後の63年にサントリーと名前を変え、ビール事業に参入した。既存のビール大手3社の壁は厚く、同事業は不振が続いた。しかし諦めなかった。

一方で、「文化のサントリー」も創った。社長に就任した61年にはサントリー美術館、そして86年にはサントリーホールを開館。友人の音楽家カラヤンが「音の宝石箱」と称した日本を代表するクラシック音楽の殿堂となった。作家の開高健、山口瞳両氏も敬三時代の同社の出身。「広告」のサントリーを盛り上げた。

サントリーはウイスキーとビールを核に総合飲料メーカーに躍進、80年代には就職先人気企業ナンバーワンに。敬三氏は中興の祖となった。

関西財界の顔でもあった。85年に大阪商工会議所会頭に就任した。地元財界人の友人が多く、歯にきぬ着せぬ発言で話題を呼んだ。時には失言もあった。90年にサントリー会長になり、1999年に80歳で死去した。その2年後の2001年、長男の信忠氏がサントリー社長に就任。グローバル化を推し進め、売り上げを拡大した。サントリーの「親子鷹(だか)」は日本のファミリービジネスの成功例とされている。

(代慶達也)

28日から元サントリー会長、佐治敬三氏の「私の履歴書」復刻版を連載します。

敬三氏の長男、サントリーホールディングス(HD)会長のインタビュー記事「佐治氏、父を語る」もあわせてお読みください。

「『私の履歴書』今語る」は随時掲載です。

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