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半世紀以上続く日本経済新聞朝刊文化面のコラム「私の履歴書」。時代を代表する著名人が半生を記した自叙伝は、若い世代にどう響くのだろう。「大企業病」などの言葉を生むなど異色の経営者として知られた、制御機器・電子部品大手、オムロンの創業者、立石一真さんの「私の履歴書」を、38歳の元オリンピック陸上選手、為末大さんに読んでもらった。

立石一真氏

立石一真氏

【立石一真 たていし・かずま】1900年熊本県生まれ。熊本高等工業学校(現在の熊本大学)電気科を卒業、兵庫県庁技師、配電盤メーカーなどを経て33年にオムロンの前身、立石電機製作所を設立した。79年に会長に退くまで技術開発志向の経営を貫き、独自のベンチャー哲学を実践。「大企業病」という言葉を生むなど異色の経営者でもあった。91年に90歳で死去。

【為末大 ためすえ・だい】1978年広島県生まれ。五輪、世界選手権を通じて男子陸上トラック種目で日本人初のメダリスト。400メートル障害で2001年に47秒89の日本記録を樹立。五輪はシドニー、アテネ、北京に連続出場。世界選手権では01年、05年に銅メダル。02年法大卒、大阪ガス入社。03年退社してプロ転向、12年引退。著書に『走る哲学』(扶桑社)など。現在はスポーツと社会、教育に関する活動を行う。

アスリートは「早い意思決定」のスペシャリスト

――私の履歴書から
 まだどこもやっていないので冒険ではあるが、やりがいのある仕事であると考えて、会社員に「ゴー!」の号令をかけた。今にして思えば、これこそが「企業の決定的瞬間」だったのである。
(立石一真「私の履歴書」第23回)
為末大さん

為末大さん

「決断」には2種類あって、「早い意思決定」と「遅い意思決定」があると思います。アスリートは早い意思決定のスペシャリストなんですよ。遅い決定は皆、得意ではないのです。頭がぴたりと止まるんです。来たボールに対してどう返すかというのには秀でていても、自分は次の人生で何をやるべきか、というのには頭が働かないというか。戦略的に、自分は何をすべきかと考えるというのは得意ではない。

僕自身も引退したときに、すごく悩みました。人生で自分は大きな決断をあまりしてきていないのだな、と。(高校時代、スプリント種目の成績が思うように伸びず)ハードルに転向するとか、会社を辞めてプロになるとか、陸上選手としての決断はあっても、自分の人生を大きく捕らえた上で「これから何をやっていきていきたいか」を考えたことは初めてでした。

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