今だからはまる、大人のピアノ(第3回)感動がいっぱいのピアノとの再会

今回、大人のピアノの魅力に迫るべく、お二人にお話を伺いました。小さいころに習った期間は短くても、決して無駄ではなかったこと、そして子どものときの環境は、振り返ると大きな影響力を持っていたのだと改めて感じました。

そして、お二人とも夢を描く力、将来の目標をビジュアルで表現する力が人一倍強いと思いました。それはもしかしたら、ピアノが好きという感性豊かな部分とリンクしているのかもしれません。

そして、共通の言葉がいくつかありました。「積み重ね」「目標」「小さいころとつながっている」。子どものころにピアノに触れた期間の長さにはかかわりなく、その経験はピアノを離れてもずっと自分の人生の中で生きているということだと思います。そして私を含め3人とも、これからはピアノのある生活をしたいと思っていたのも印象的でした。

ここで少し私のお話をしたいと思います。

大人になって再開した私の最初の目標は「ショパンが弾きたい」でした。ハノンから始め、そしてショパンのワルツ集を弾けるようになった時には感動でした。現在は、再開したときの一番の念願だったショパンの「革命のエチュード」を練習しています。将来、もっと上手になったら次に弾きたい曲も決まっています。

ピアノを再開して5年、念願の「革命のエチュード」を練習中です

正直、昔のようには練習できないので、ゆるいペースです。先生にも申し訳ないなと思いながら。でも5年経ってここまで戻れたのはうれしく、昔の先生にもう一度レッスンしていただいたらどうなるかな? とか、大きな発表会で弾いてみたらどうなるかなと、ちょっと思い始めています。

先日実家に帰った時に、小学校5年生の発表会の時に母が縫ってくれたドレスがピアノの部屋にさりげなく飾られていました。そのドレスは、オーケストラとピアノ協奏曲を弾いた発表会で着た思い出深いものです。思い出を作ってくださった先生と両親に感謝です。そのドレスを先日、小学6年生のめいがピアノの発表会で着てくれました。感動でした。

離島の校舎に流れるピアノの音

香川県・粟島にある粟島海洋記念館。建物は廃校になった国立粟島海員学校の旧校舎
校舎内に残されていた古いピアノ

最後に、ピアノの再開がくれたもう一つのエピソードをご紹介したいと思います。

ピアノを再開して半年ほどたったころ、香川県の離島、粟島に遊びに行きました。廃校になった学校の中でピアノを見つけ、ふと自然に「エリーゼのために」を弾きました。私にとってはその当時、暗譜で弾ける唯一の曲でした。弾けるかなとか思う前に座って弾いていた自分にもびっくりしたのですが、つたない演奏にもかかわらず、そばにいた島民の方たちがとても喜んでくれました。

「生のピアノの音を聞いたん、久しぶりや!」「めちゃよかったわ!」。そして「島の人を呼んでくるけん、もう一回弾いて」と言われて、もう一度弾きました。誰かが私のピアノで喜んでくれるというのがすごくうれしかったです。

昔だったら、完璧に弾けなくてはなどと考えてしまって、触らなかったかもしれません。そのピアノはほこりをかぶっていて調律もされていませんでしたが、窓から瀬戸内海が見えるすてきな部屋にありました。海とピアノのコラボは私にとってたまらない景色です。そのせいでしょうか、自然と鍵盤に触れていました。

私が弾く「エリーゼのために」を旧校舎の中で聞いている香川県粟島の方たち

大人になってから、同じ「エリーゼのために」も弾く人によって十人十色、いろいろな「エリーゼのために」があることにも気づきました。年齢を重ねた人が奏でるピアノは不思議と心を打ちます。技術よりも、心を打つ何かがあるのです。それを言葉で表現するのは難しいのですが。

ピアノを再開して、音を奏でる楽しみに気づけたことで、これからの人生がより豊かになる予感がします。今回インタビューさせていただいた須山さん、高畠さんと同じように、一度やめたけど、これからはずっと一生付き合っていけるものに再会できて心からよかったと思っています。小さいころのピアノは無駄ではなかった。今そう確信できます。

津田千枝(つだ・ちえ)
 大手外資系通信社でセールスマネジャーを務める。シンガポールで8年間の勤務経験がある。旅や観光、地域振興に詳しく、インバウンド向けの地方観光の広報コンサルタントも現職で行っている。小型船舶免許も保有し、瀬戸内海を自由にクルーズするのが当面の夢。香川県出身。