消えるビルヂング、増えるテラス ビル名の栄枯盛衰
オフィスビルの建設ラッシュが続く東京。「グランキューブ」「ミライナ」「ガーデン」「テラス」など、最近できたビルの名前は一昔前とは様変わりだ。はやりの名前の一方で、減り続けているのが「ビルヂング」。大正時代から使われてきた名前だが、丸の内周辺では20年で半分以下に減った。流行の裏には何があるのか。ビル名の盛衰を追った。
人気の名前は「テラス」「フロント」「ガーデン」
「東京ガーデンテラス」「テラススクエア」「東京スクエアガーデン」……。ここ数年、東京にできたオフィスビルや複合施設の名前だ。それぞれどこにあるか、わかるだろうか。
答えは順番に、紀尾井町、神田錦町、京橋。東京ガーデンテラスは正式名称が「東京ガーデンテラス紀尾井町」だが、紀尾井町を省くこともある。
似たような名前のビルやマンションは多い。例えば「東急スクエアガーデンサイト」は東京・田園調布にあるショッピングセンターだ。「ガーデンスクエア」や「テラスガーデン」という名前のマンションもあちこちに見つかった。何ともややこしい。
オフィス仲介大手、三幸エステート(東京・中央)執行役員の林幹夫さんによると、最近のビル名で増えてきたのは「テラス」「フロント」「ガーデン」だという。
林さんは同社の膨大なデータベースを使って、オフィスビルの名称分析を行った。ビル名に使われている言葉を分解し、どの言葉が多いかを年代別に検証したのだ。対象にしたのは東京23区内のビルで、基準階の貸室面積が200坪以上の大規模ビルと、50~199坪の大型・中型ビル。ここでは主に大規模ビルについてみていこう。
90年代限定の流行、「ポート」と「ピア」
まず目に付くのが「ビル」の減少だ。1980年代までは8割以上が「○○ビル」だったが、90年代から多様化が進み、2010年代には半数を切った。
「ビル」以外の名称をみていくと、80年代までは漢字名が多い。「会館」「本館」「第一」「新」「国際」などだ。丸の内にある「新国際ビル」が典型だろう。
90年代になると、ビル名は一気に多様化した。この時代を彩るのが「ポート」「ピア」といった名前だ。それぞれ00年代以降は大幅に減っており、「この時期ならではの名称」(林さん)という。
90年代といえばバブル末期。林さんは「ウオーターフロントがはやったことで、湾岸のイメージがある言葉が好まれたのではないか」と分析する。
このころから増え始めたのが「タワー」だ。80年代まではほとんどなかったが、90年代には全体の9%、00年代と10年代には18%を占めるなど、高層ビルの代名詞として定着した。「六本木ヒルズ森タワー」や「ミッドタウンタワー」が登場したのも00年代だ。
「東京」ってどこ? 世界意識した命名も
10年代は「フロント」「シティ」「テラス」「ガーデン」が伸びた。データには地名は含まれていないが、林さんによると「東京」を冠したビルも目立つという。東京の人には場所が分かりにくいが、海外への発信を意識しているようだ。
ビルの名前はイメージ戦略でもある。林さんは「名前の意味に合わないものも一部にある」と苦笑する。「もともとフロントは駅前の意味だったが、最近は違うケースも出てきた。テラスがないのにテラスを名乗るビルもある」
例えば11年に完成した「新宿フロントタワー」。新宿駅からはやや離れているが、「新宿エリアの最前線に立地し、地域のランドマークとなる」ことからフロントと命名された。
林さんが最近注目しているのが、日本語をベースにした造語の名前だ。「ヒカリエ」「ミライナ」が代表格。ビル名ではなく商業施設名だが「キッテ」や「オーテモリ」もこの路線だ。イメージしやすく、かつ覚えやすい。まねをされる心配も少なそうだ。
丸の内の「ビルヂング」、残り11棟に
ビルの名前が多様化する中で、姿を消そうとしている名称もある。「ビルヂング」だ。主に三菱地所が所有するオフィスビルに付けられてきた。その多くは東京・丸の内周辺に集中している。
「東京ふしぎ探検隊」では以前、「なぜ消える? 丸の内のレトロな名称『ビルヂング』」(11年12月2日公開)で経緯をまとめた。当時は丸の内周辺に15棟、ビルヂングを冠したビルが残っていた。
あれから5年近くがたち、ビルヂングはどうなったのか。改めて調べたところ、さらに3棟がなくなり12棟になっていた。「東京銀行協会ビルヂング」も再開発が決まっており、残るは11棟だ。
ビルヂングの名称変更が始まったのが02年。当時はビルヂングを冠したビルがまだ30棟ほどあった。わずか14年でほぼ3分の1に減ることになる。
三菱○号館→ビルヂング→ビルディング 丸の内の転機に名称変更
なぜ名前を変えるのか。三菱地所によると、それは丸の内再開発の歴史と密接に関係している。
丸の内で最初のオフィスビルは1894年(明治27年)にできた「三菱第一号館」だ。その後、第二号館、第三号館と続いた。
英国の建築家、ジョサイア・コンドルが設計した赤れんがの建物が並ぶエリアは当時、「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれたという。街区がちょうど1丁、つまり100メートルだったからだ。
ビルヂングが登場したのは1923年(大正12年)、「丸ノ内ビルヂング」が最初だった。それまでの欧州式とは違う米国式の大規模ビルで、先にできた「東京海上ビルディング」と合わせて「一丁紐育(ニューヨーク)」と呼ばれたという。欧州式から米国式への転換点という意識が、ビルヂングの名前に込められているのだ。なぜビルヂングという表記だったかについては、前回の記事(「なぜ消える? 丸の内のレトロな名称『ビルヂング』」)を参照してほしい。
今回の名称変更も丸ビルからだった。02年、旧丸ビルを建て替えた際、それまでの「丸ノ内ビルヂング」から「丸の内ビルディング」に変えたのだ。三菱地所によると、丸の内再開発の新たなステージとして、名称変更に踏み切ったという。
最後に残るのは「大名古屋ビルヂング」だけ?
同社は基本的に、再開発時にビルヂングをビルディングに変更する方針だ。例外は「大名古屋ビルヂング」。ここも変える予定だったが、地元の強い要請を受けて名前を残した。名古屋駅前のランドマークという事情も考慮したようだ。
東京の場合、「○○ビルヂング」というより「○○ビル」として認識されることが多く、名古屋のような要請はほとんどない。ビルヂングの名は、徐々に消えゆくことになりそうだ。
(生活情報部 河尻定)
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