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「失格」寸前からの大逆転 上野の美術館、世界遺産に 仕掛け人、山名善之・東京理科大教授が語る舞台裏(下)

2016/7/17

東京理科大学 山名善之教授(国立西洋美術館で)

国立西洋美術館(東京・上野公園)の世界文化遺産への登録が17日決まった。20世紀を代表するフランスの建築家、ル・コルビュジエ(1887―1965)の作品、同館を含む7カ国17点の一括登録で、大陸にまたがる遺産登録は初めてとなる。しかし、15年がかりのプロジェクトの道のりは険しく、あわや「登録不可能」という場面もあった。立役者の一人、東京理科大学の山名善之教授(近代建築史・意匠)にその舞台裏を聞いた。

<<(上)上野の西洋美術館、最後まで難産の世界遺産登録

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1階部分を柱だけにした「ピロティ空間」。国立西洋美術館は展示空間を追加していく「無限成長美術館」構想に基づく(東京都台東区)
世界遺産の登録には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会の審議の前に、ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコモス)による学術的な審査を経る。

イコモスが世界遺産委に出す勧告は4種類ある。
「登録(記載)」=世界遺産リストに載せるべき
「情報照会」=追加情報の提出を求めた上で次回以降に再審議
「登録延期(記載延期)」=推薦書の本質的な改定が必要なため登録を見送るべき
「不登録(不記載)」=登録にふさわしくない

■まさかの最低評価 諮問機関の“反乱”

紆余(うよ)曲折を経ながらも1回目の推薦から3年、仏を中心とする6カ国は2011年2月に2回目の推薦書を世界遺産委に再提出しました。しかし、5月にイコモスが出した勧告は「世界遺産にふさわしくない」とする「不登録」でした。

「ル・コルビュジエ作品が近代建築に大きな影響を与えた」とする推薦国の主張に対して、イコモスは「近代建築に貢献したのはル・コルビュジエだけではない」などとしました。

「まさか不登録とは」というのが正直なところでした。そもそも「情報照会」という世界遺産委の決議に応じて、追加情報を出したにもかかわらず、4段階のなかの最低評価の「不登録」。理解できませんでした。

ただ、よくよく考えてみれば、イコモスの1回目の勧告は「骨格をつくり直せ」でした。ですから、我々が情報の追加にとどまり、骨格自体を見直さなかったことに対して、「勧告に従わないのなら登録は認められない」ということだったのです。

逆にいえば、世界遺産委で政治的な判断があまりにも先行していることに対するイコモスからのメッセージだったのです。

イコモスにしてみれば、世界遺産委の方針に従い、審査を厳格にしたにもかかわらず、世界遺産委にかけると、推薦国のロビー活動をうけて登録を認めていく。イコモスが「我々の仕事はなんなんだ」となるのも道理でしょう。

国立西洋美術館(日本) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016

■状況打破の思いは共に

ただ半面、イコモス自体も官僚主義に陥っていた点もあります。上位組織に従うばかりで、学術的に判断する柔軟性を失っていました。それに対して仏が正面からぶつかっていったため、完全なガチンコ勝負になったのです。

勧告の後、イコモスの関係者に勧告の理由を聞きました。「言えないけど、この状況は打破しなければならない」という答えでした。ということは、向こうもこちらも同じことを思っているということです。この言葉を信じました。

翌6月、パリで世界遺産委が開かれた。結果は「登録延期」。イコモス勧告の「不登録」から評価ランクを1つ引き上げて、4段階で下から2番目とした。委員会で「不登録」となると、再推薦できなくなるところだったが、再挑戦の道は残された。

実は、いくつかの国からは「推薦書を引き下げよう」という声もありました。二度と推薦できなくなることを恐れたためです。世界遺産委の直前に開いた対策会議でのことです。しかし席上、私はあえてこう主張しました。「引き下げるのはよくない。突っ込もう」と。

問題点を明確にするためです。「推薦理由の骨格をこの機会にやり直そう。イコモスだって我々の主張に耳を傾けるはずだ。ひとつひとつ話し合い、解決していかなければ、また同じ過ちを繰り返すことになる」と話しました。幸いこの主張は受け入れられました。

■もう無駄な時間はすごしたくない

当然、ロビー活動も展開しました。落としどころとしてねらったのは「登録延期」。「推薦書は引き下げないけど、今後は意見交換をして、擦り合わせをしていきましょう」ということです。

結果、世界遺産委の決議は「登録延期」となりました。「骨格のどこに問題があるのかをもう一度見直して書類を出し直しなさい」というものです。この決議で最も重要なのは「イコモスと推薦国が対話をしなさい」ということを盛り込んだ点です。

これまでイコモスと我々が公に接触することは許されていませんでした。この決議で、初めてそれが可能となったのです。

サン・ディエの工場(仏) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016 
フィルミニの文化の家(仏) Photo:Olivier Martin-Gambier (C)FLC/ADAGP,2016
バイセンホフ・ジードルングの住宅(独) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
レマン湖畔の小さな家(スイス) Photo:L.Delachaux (C)FLC/ADAGP,2016

なぜ正面突破を主張したかというと、これ以上、無駄な時間をすごしたくなかったからです。それができたのは、私が共同推薦国の専門委のメンバーで、イコモスのメンバーでもあったことに加え、このプロジェクトの中心となっていた仏関係者から信頼されていたからでしょう。ただ、仏側のイコモスに対する不信感は根強いものでした。

決議から5カ月後の11年11月、パリでイコモスの総会が開かれた。ここで山名氏は「20世紀建築の世界遺産登録について考える」と題したシンポジウムを開く。これにイコモスと共同推薦国、双方の関係者が出席。1回目の推薦のときのユネスコ日本政府代表部公使で、当時、国立西洋美術館の副館長だった秋葉正嗣氏も駆けつけた。これが転回点となった。

シンポの最後に秋葉副館長に登壇してもらったところ、「この場での議論を具体化するために、ル・コルビュジエ財団や仏文化省もコミットしながら対話を続けていきましょう」と呼びかけてくれました。翌年12年12月に国立西洋美術館が同じテーマでシンポを開いたところ、イコモスの会長をはじめとする幹部が参加、ル・コルビュジエ作品の一括登録をめぐる問題点を、共同推薦国の専門家を交えて議論することができました。

■「対決」から「対話」へ

みんなそれぞれの思いを語り、会議の雰囲気はすごくよかった。しかし、双方の考え方の隔たり、根の深さが明らかになり、みんな「ああ困ったなあ」という感じでした。ただ、締めくくりの声明で「対話を継続して課題を1つずつ解決していこう」となりました。

シンポをきっかけに、イコモスと推薦国の専門家たちが年に4、5回、定期的に話し合うようになりました。この時はル・コルビュジエ作品についてだけでしたが、これを契機に、イコモスと推薦国の対話が重視されるようになりました。ある意味、仏側が「問題点がないと時代は進まない」といっていたことは正しかったのです。

対話を繰り返すなかで、推薦理由の骨格をつくり直した。1回目の推薦書は「ル・コルビュジエの建築と都市計画」とのタイトルで、ル・コルビュジエ個人に焦点を当てて価値を強調していた。2回目は「ル・コルビュジエの建築作品 モダンムーブメント(近代建築運動)への顕著な貢献」としたが、3回目の推薦では、この「顕著な貢献」を具体的にどう示すかが課題となった。
イムーブル・クラルテ(スイス) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
ギエット邸(ベルギー) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
クルチェット邸(アルゼンチン) Photo:Olivier Martin-Gambier (C)FLC/ADAGP,2016
チャンディガールのキャピトル・コンプレックス(印) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016

そこで私が提案したのは「20世紀は情報や技術が国境を越え、大陸をまたいで共有するようになった初めての時代」という視点です。特にル・コルビュジエが活躍した1930年代のパリには、19世紀の植民地的な支配構造を超えて、世界が同じ文化を共有し始めたコスモポリタン(世界市民)な雰囲気がありました。

■コスモポリタンとして生きる

「ル・コルビュジエがコスモポリタンとして20世紀文化をつくり上げていったというのなら今、我々は何をしているのか。ル・コルビュジエの時代を世界遺産にしたいのなら、その精神に従い、互いに意見を交わして互いの文化を尊重することが必要なはず。我々はそれができているのか」と会議で主張しました。これがフランス人の心に刺さったようでした。それからイコモスとの対話が進み始めました。

推薦書の骨格の見直しにあたっては、「20世紀最大の建築の潮流『モダンムーブメント』を通じた国際化によって地球規模の文化が確立されていった。その潮流自体を世界遺産と位置づけて強調すべきではないか」と提案しました。さらに「そうした文化のメカニズムを明らかにする中で、ル・コルビュジエの建築遺産の重要性を訴えよう」と主張しました。

そもそも「ル・コルビュジエ」はペンネーム。一つの文化的マークです。そのマークを演じていたのが本名、シャルル=エドアール・ジャンヌレ=グリ。ル・コルビュジエという「システム」が近代建築での世界文化をつくりあげたのではないでしょうか。

こうした考え方が認められ、ようやく世界遺産に登録される見通しとなりました。最大の勝因は「矛盾を受け止める」ということかな。「世の中は1つの原理では動いていない」ということです。それぞれの社会、組織には原理原則があります。その原理に敬意と警戒心をあわせ持ちつつ、自分の中にどのような課題を設定するかが重要でしょう。もし、ひとつの社会から排除されたら、ほかの社会に引っ越せばいいじゃないですか。

◇   ◇   ◇

山名善之氏(やまな・よしゆき)
東京理科大学理工学部建築学科教授
1966年生まれ、東京都出身。90年東京理科大卒業。香山アトリエ/環境造形研究所、仏パリ・ベルビル建築学校DPLG課程(仏政府給費留学生)、仏パリ大学パンテオン・ソルボンヌ校博士課程修了。仏アンリ・シリニア・アトリエ(パリ・文化庁在外派遣芸術家研修員)、仏ナント建築大学契約講師などを経て、2002年から東京理科大勤務。ICOMOS(国際記念物遺跡会議)、近代建築保存の国際学術組織DOCOMOMOのメンバーとして活動。妻はフランス人建築家で長男、次男の4人家族。

(聞き手は平片均也)

前回掲載の「世界遺産登録の舞台裏(上)」では、15年前に遡り「前例なし」の壁に挑んだ軌跡を紹介します。

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