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上野の西洋美術館、最後まで難産の世界遺産登録 仕掛け人、山名善之・東京理科大教授が語る舞台裏(上)

2016/7/16

国内で唯一、ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館本館(東京・台東)

20世紀を代表するフランスの建築家、ル・コルビュジエ(1887―1965)が設計した国立西洋美術館(東京・上野公園)が、トルコ・インスタンブールで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で、世界文化遺産に登録される見通しだ。16日の委員会で決まる予定だったが、現地でのクーデター未遂による混乱の影響で、審議入りが遅れた(17日に登録決定)。登録は同館を含む7カ国17点の建築作品で、複数の大陸にまたがる初めての世界遺産となる。プロジェクトは15年がかり、2度の落選を経た「三度目の正直」。仕掛け人の一人、東京理科大学の山名善之教授(近代建築史・意匠)に舞台裏を聞いた。

(下)「失格」寸前からの大逆転 上野の美術館、世界遺産に >>

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東京理科大学 山名善之教授

仏国立大で教職に就いていた2001年、ル・コルビュジエの生地、スイスで開かれた研究会に参加した際、パリのル・コルビュジエ財団のディレクター、ミシェル・リシャールから「ル・コルビュジエの建築作品を世界遺産にしたいと考えているのだが、どう思う」と持ちかけられました。傑作とされる作品はあまたあります。「どれを推薦にするのか」と尋ねると、「全て」との答えでした。

■前例のない登録 前例のない重文指定

20世紀につくられた「20世紀建築」は1980年代から世界遺産として登録されるようになった。しかし、特定の建築家の作品群をまとめて世界遺産とされたのは、スペインの建築家、アントニオ・ガウディがバルセロナに残した作品群など、ある地方の固有の文化に根ざした建物に限られる。国境をこえ、大陸をまたいだ「文化圏」として世界遺産に登録された例はなかった。

「前例がない。新しいことをやるのか」と尋ねると、「前例がないからやるのであって、新しい考え方を切り開くことに意味がある。そもそもル・コルビュジエの活動もそうだ」。こうして、日本国内唯一のル・コルビュジエ建築、国立西洋美術館本館の参加を求められたのです。

02年3月に帰国して、文化庁関係者にあたりましたが、答えは「無理」。世界遺産は行政による保存・保全の保証が必要です。このため、重要文化財の指定が不可欠でした。重文は完成からおおむね50年以上のものが条件。国立西洋美術館の完成は1959年。43年しかたっていませんでした。

渡仏した機会にル・コルビュジエ財団のリシャールに伝えると、「だったら、規則を変えればいい。なぜ議論をしていないのか」と言われ、考え方の違いを痛感しました。打つ手もなく、それから数年間は膠着状態となります。

国立西洋美術館(日本) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016

■動き出した国立西洋美術館

転機となったのは06年。森美術館が07年に開くル・コルビュジエ展を私が手伝うことになり、準備のためル・コルビュジエ財団に通うことになりました。各国の研究仲間が世界遺産登録へ向けて議論しているとこにも何回も出くわしました。06年の9月ごろ、財団から「最終的な推薦書を06年12月までにまとめる。日本は本当に参加しなくていいのか。最後にもう一度、関係者に聞いてくれ」と言われました。

そこで、国立西洋美術館を訪ね、05年4月に館長となった青柳正規さん(13年7月から16年4月まで文化庁長官)に話をしました。その反応はこれまでの関係者とは正反対のものでした。「まず話を始めることが重要だ。いろいろ障害は出てくるだろうが、進めていきたい。美術館にとっても悪くない話だ」と盛り上がりました。

一方、仏を中心とする6カ国による共同推薦へ向けた作業は大詰めを迎えていた。06年11月には最終的な推薦書のとりまとめを終え、仏文化省の承認をえた。世界遺産の推薦は各国年1件と規定されているが、その年の仏国内の候補は2つ。最終的には大統領府、ジャック・シラク大統領が12月に決めることになった。

翌年の07年1月はじめ、ル・コルビュジエ財団を訪れるとプロジェクトの責任者、リシャールの元気がありません。「大統領はル・コルビュジエを選ばなかった」というのです。ただ、「来年は必ず推薦すると約束した。これで日本もやりやすくなるのではないか」と持ちかけてきました。

「もしかしたら、いけるかな」と思えてきました。帰国するとすぐさま国立西洋美術館の青柳館長に連絡をとりました。そこから、急に現実感のある動きとなりました。ただ課題は山積みでした。まず、07年末までに、世界遺産の推薦書をまとめる必要がありました。事前の手続きとして、世界遺産の暫定リストにも登録しなければならない。さらに重文指定という難問もありました。

まず何よりも必要だったのは、国立西洋美術館の歴史的価値を証明するための調査でした。1月から、同館のありとあらゆる倉庫の扉を開けて、図面や写真を集めて整理しました。なんとか3月末までに1次調査を終え、仮報告書をまとめることができました。さらに4月からは本格的な文化財としての歴史調査が始まりました。

ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸(仏)Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
サヴォア邸と庭師小屋(仏) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
ペサックの集合住宅(仏) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
カップ・マルタンの休暇小屋(仏) Photo:Olivier Martin-Gambier (C)FLC/ADAGP,2016

この調査の責任者を務めた鈴木博之先生(建築史家、東京大学名誉教授、2014年死去)が、重文指定の「50年問題」でこんなことを言い出しました。「重文の下位に位置づけられる登録文化財については『竣工後50年』という規定が明文化されている。しかし、重文についての法文を読み直すと書いていない。つまり解釈の問題だ。法律的には通せる」。重文指定にも光がみえてきました。

■大きな流れの中で、まずは船に乗る

5月には森美術館のル・コルビュジエ展が始まりました。開幕記念シンポジウムの席上、国立西洋美術館の青柳館長が「わが美術館を世界遺産にします」と公の場で宣言しました。シンポにはル・コルビュジエ財団のジャン・ピエール・デュポール理事長にも出席してもらいました。この理事長、実は仏国務院(行政訴訟の最高裁に相当)の重鎮で政治的な影響力を持っていました。このシンポの後、仏大使館で会議を行い、駐日大使が文化庁に検討を求めることに。これを受けて文化庁も「やりましょう」ということになりました。

この年の9月、国立西洋美術館が世界遺産の暫定リストに掲載され、12月には重文に指定されました。私は共同推薦国の専門家でつくる仏文化省の専門委員会の正式メンバーになりました。

このプロジェクトが動き出した当初から、専門家としては書類の骨格について、疑問を持っていました。「こんなに新しい考え方が急に通るのだろうか」と。しかし、まずは大きな流れの中で船に乗ることを優先しました。

08年2月、6カ国(途中で参加を取りやめたインドを除く、フランス・ドイツ・スイス・ベルギー・日本・アルゼンチン)による推薦書をユネスコの世界遺産委員会に提出した。登録されるには、世界遺産委の審議の前に、ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコモス)による学術的な審査を経ることになる。

イコモスが世界遺産委に出す勧告は4種類ある。
「登録(記載)」=世界遺産リストに載せるべき
「情報照会」=追加情報の提出を求めた上で次回以降に再審議
「登録延期(記載延期)」=推薦書の本質的な改定が必要なため登録を見送るべき
「不登録(不記載)」=登録にふさわしくない
ポルト・モリトーの集合住宅(仏)  Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
ユニテ・ダビタシオン(仏)  Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
ロンシャンの礼拝堂(仏) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016
ラ・トゥーレットの修道院(仏) Photo:Cemal Emden (C)FLC/ADAGP,2016

09年5月、イコモスはル・コルビュジエ作品について「登録延期」を勧告しました。

「書類の骨格を再考して出し直せ」というものでした。そもそもの考え方、「大陸をまたぎ、国境をこえてル・コルビュジエがつくり上げた文化が世界中に広がっている」ことを真っ向から否定したわけです。「今の世界遺産の運用規定では、こういう書類は通らない」と。半面、「何を一つ一つ出していくのか」という示唆もありました。

翌6月に世界遺産委がスペイン・セルビアで開かれました。この直前、パリに共同推薦国の専門家が集まり、イコモスの勧告に対する対応を検討しました。日本の関係者は「勧告はごもっとも。もう登録はむりだ」という反応。一方、仏は「だからイコモスはだめなんだ。世界遺産委に働きかけ、逆転だ!」と正反対のものでした。

結果は「情報照会」でした。ギリギリまでのロビー活動も奏功したのか、「登録延期」から1段階、押し戻すことができました。

■世界遺産委と諮問機関との内部対立

ただこの決議は矛盾を含んでいました。イコモスは我々の考え方自体を否定したはずなのに、世界遺産委はその入り口部分を認めたかたちです。つまり、世界遺産委がイコモスを否定したわけです。

世界遺産は当時、登録件数が1000件に近づこうとしていた。世界遺産委はこれを問題視し、登録の抑制を基本方針としていた。イコモスはこれに従い審査を厳格化していた。しかし、推薦国の働きかけで、世界遺産委が勧告をくつがえすことも少なくなく、政治と学術との間で矛盾をきたしていた。

私はイコモスのメンバーでもあり、共同推薦国の専門委のメンバーでもありました。推薦国の会議で「イコモスの考え方なら、こうしなくては通らないのではないか」と発言すると、「おまえはイコモスの人間だ」といわれるし、イコモスで推薦国側の議論の内容を紹介すると、「おまえはイコモスの体質にそぐわないんじゃないか」といわれました。双方、互いに分かり合おうとしないので、「らちがあかないなあ」と思っていました。

この不安は的中することになります。

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山名善之氏(やまな・よしゆき)
東京理科大学理工学部建築学科教授
1966年生まれ、東京都出身。90年東京理科大卒業。香山アトリエ/環境造形研究所、仏パリ・ベルビル建築学校DPLG課程(仏政府給費留学生)、仏パリ大学パンテオン・ソルボンヌ校博士課程修了。仏アンリ・シリニア・アトリエ(パリ・文化庁在外派遣芸術家研修員)、仏ナント建築大学契約講師などを経て、2002年から東京理科大勤務。ICOMOS(国際記念物遺跡会議)、近代建築保存の国際学術組織DOCOMOMOのメンバーとして活動。妻はフランス人建築家で長男、次男の4人家族。

(聞き手は平片均也)

「世界遺産登録の舞台裏(下)」では、ユネスコ世界遺産委員会とその諮問機関、イコモスの対立、さらにイコモスと推薦国との断絶をいかに乗り越えたかを紹介します。

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