米国人と渡り合うディベート術とは?米シリコンバレーで活躍するナンシー・ヤマグチ弁護士に聞く(2)

ナンシー・ヤマグチ弁護士
ナンシー・ヤマグチ弁護士

2020年の東京五輪・パラリンピック後の「post 2020」はどんな時代になるのか。英国がEU離脱を決めるなど、世界で人種や経済格差による“人々の分断”の芽がある。厳しい現実を受け止めながら日本人が力強く生き抜くには、どんな姿勢が求められるのか。米国シリコンバレーで活躍するビジネス弁護士のナンシー・ヤマグチさんは1970年代に渡米、今の地位を築いた。ただ道筋は険しかった。子供時代には激しい人種差別に直面、「知性による勝利」を目指した。ロースクール(法科大学院)に入学、対話力と論理力に磨きをかけた。「日本人が最も苦手とする討論(ディベート)で米国人を打ち負かす」彼女のノウハウはpost2020を生き抜く日本人の参考になるかもしれない。(聞き手は編集委員 渋谷高弘)

――ナンシーさんが渡米した経緯を教えて下さい。

「私は横浜市生まれで、両親は日本人です。父は日本の工作機械メーカーの社員で、海外転勤が多かったのです。3カ所目の転勤地であるシカゴには、母と私、2人の妹も連れていくことになりました。でも70年代末から80年代にかけての米国、特に中西部のシカゴは日本人にとって、決して住みやすい街ではありませんでした」

――どういうことですか?

「当時の日本は高度経済成長期で、極端な円安の恩恵もあって自動車や半導体を米国に大量に輸出して貿易黒字を稼いでいました。逆に米国は巨額の赤字を抱え、不況にあえいでいたのです。米国では『日本は円安を利用して大量の製品を売りつけてくる。それなのに自国の市場は閉鎖的だ』『日本はずるい』との反日感情が高まっていました」

「特に中西部は、ビッグ3と呼ばれる大手自動車メーカーの本拠で、大リストラに追い込まれるなど壊滅的な打撃を被っていました。つまりシカゴは、いわゆる『ジャパンバッシング』のまっただ中にあったのです。私のような子供でも、偏見に基づくひどい人種差別といじめを受けました」

最初は学者になろうと考えたという

「米国の小中学生は皆スクールバスで学校に通うのですが、私の隣に座ってくれる友達はいませんでした。クラスでも仲間はずれ。『ジャップ!』『イエロー・モンキー!』『自分の国へ帰れ!』と言われ、髪を引っ張られました。体力で勝つのではなく『知性で勝つしかない』と思いました。

――これからも日本人が活躍すれば、人種問題に突き当たるかもしれません。外国人の中でたくましく生きていくには、どんなスキルや考え方が必要ですか。

「根性も大切ですが(笑)、対話力、論理力を磨くことだと思います。日本人は技術力を磨くのは得意で、今でも世界の人から一目置かれていると思いますが、対話力や論理力は、最も苦手とするところだと思います。しかし私はこの対話力と論理力を徹底的に磨き、弁護士になりました。体力では白人にかないませんが、民主社会なら対話力、論理力を磨けば、白人に勝つことができます」

「磨いた対話力を生かして、幅広い人脈を作ることも大切だと思います。日本人の中だけにとじこもるのではなく、海外でネットワークをつくって友人や親類をもち、自身の理解者を増やしていくのです。そうすることによって自分も身を守ることができ、海外でもたくましく生きていけるようになると思います」

――学生時代から弁護士になろうと思っていたのですか。

「いいえ。まず学者になろうと考えました。ハーバード大学院に進み、博士を目指したのです。自分の家族や子供時代を巻き込んだ『貿易摩擦』をテーマに修士論文を書いていました」

「ただ大学院では、教授になるまで10年、15年と研究員として過ごさねばなりません。3年間くらい誰とも交流しないで、論文を書いているだけの人もいました。そんな人を見て『自分は学者になっていいのだろうか』と心が揺らぎました。2年で大学院を辞め、縁のあったシンクタンクに研究員として就職したのです」

「米政府関係者が主宰する組織でしたが、実態はロビー団体でした。自動車会社や軍事会社からカネをもらい、彼らの利益になる政策に政府を誘導する。例えば『日本は米国企業から導入した技術を盗み、自国に取り込んでいる。日本への技術供与を制限せよ』といった立法を議員に働きかける。これも自分の仕事ではないと2年で辞めました」

――仕事にこだわりがあったのですか。

「私は両親から『日本人として恥ずかしくないよう生きなさい』と言われて育ちました。日本人として誇りがもてる仕事がしたかった。シンクタンクに勤めていたとき『自分は法律を武器して身を守ろう。弁護士になろう』と思い、地元シカゴのノースウェスタン大学ロースクールに入りました」

シカゴのノースウェスタン大学ロースクールをトップの成績で修了したナンシーさん(中央)

「ロースクールでは毎日朝5時に起き、夜12時に寝るまでひたすら勉強しました。大学院とは違い、ロースクールは教員が学生に疑問を投げかけ、学生同士でディベートする『ソクラテス・メソッド』が中心です。米国のロースクールでは他の学生は友達ではありません。ライバルです。ディベートで相手を打ち負かせば、クラスの中での自分の順位は上がり、その順位によって就職先も変わってきます」

「ロースクールをトップの成績で卒業しました。差別を受けて苦しんだ子供時代、なかなか自分のやりたいことが見えなかった大学院、シンクタンク時代。そこには将来に自信のもてない自分がいました。でもロースクールでは『知性で勝利する』ための実践的なノウハウを学び、自分の生き方に自信を取り戻したのです」

――どんな工夫やスキルを使い、米国人と渡り合ったのですか。

「米国はディベートの本場で、こちらの論理や分析に弱みがあれば、彼らはそこを徹底的に突いてきます。私は2つの対抗策を立てました。第1は、十分な事前調査です。ロースクールでのディベートも、裁判所でのディベートも、教員や裁判官が審判です。審判に響く考え方、結論は何かをあらかじめ調べておくのです」

「例えば教員が書いた論文、裁判官が書いた判決はインターネットなどで調べて読むことができます。彼らがどんな思想、信念、信条をもっているかを知っておけば、彼らの心に響く主張をすることができ、ディベートに勝つことができます」

「第2は、ミスをしてもめげないことです。そしてミスをしたら、それを挽回することに全力を尽くすことです。日本人は一度失敗をすると、それを恥じて意気消沈する傾向があります。私もかつてはそうでした。しかしディベートだけでなく、事業でも、人生でも、挑戦すれば失敗するのは当たり前です。そのたびにめげていては、何もできません」

「米国人の場合、失敗しても、『次こそ頑張ろう』と考えます。周囲も失敗した人に対し『失敗を生かして次は成功する可能性が高い』と評価します。ミスをしてもくじけない、むしろ挽回してやろうと発奮する。そういう積極的な考え方が、ディベートで勝ったり、起業などで成功したりするためには、必要だと思います。この点は、日本も大いに米国に学ぶべきです」

――日本は今後、post2020で少子高齢化が加速します。多くの社会的弱者を支えていかなければなりません。偏見に打ち勝ってきた経験から、こうした社会で欠かせない考え方がありましたら教えて下さい。

「性、国籍、人種、年齢、障害者など様々な差別や偏見がありますが、私はどんな差別や偏見にも反対です。特に日本は2020年にパラリンピックも開催されるので、障害者差別と見なされないよう、障害者の方々の私生活や仕事をより豊かにするため細かいところまで気を配り、配慮しなければなりません」

「身体障害など関係なしにこの世には素晴らしく才能あふれる人がたくさんいます。『障害者だから』という安直な理由で社会から切り捨てるのではなく、皆平等に才能を開花できるような環境を作るのが日本にとってよりよい未来に繋がると思っています。今後日本はもっと世界で活躍できる人材がどんどん現れてくると思うので、その第一歩として差別をなくす取り組みは大切です」

横浜市生まれ。9歳の時に家族と共に渡米、シカゴで育つ。ハーバード大院修了、ノースウェスタン大ロースクール修了。2000年イリノイ州弁護士、01年カリフォルニア州弁護士。14年に英国本拠のウィザース法律事務所のパートナーに就任し、シリコンバレーを拠点として活躍中。専門は知的財産権、M&A、資金調達など。

「post2020~次世代の挑戦者たち」記事一覧