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戦後の国際通貨体制で長く続いた固定相場制
~第二次世界大戦で国力を強めたアメリカのドルが世界のお金に~

今回はどのようにして現在のような円高になっていったのか、その経緯とメカニズムをみていきます。戦後の外国為替は1ドル=360円の固定相場が長く続きました。1973年に変動相場制へ移行してから円高の時代が始まり、現在は1ドル70円台になっています。この円高により日本企業の海外流出が問題となっていますが、円高が日本経済に与える影響とは一体どのようなものか考えていきましょう。

そもそも外国為替とはどんな役割をしているのでしょうか。たとえば日本がものを輸出すると、買い手である相手国は自国の通貨で支払いをしようとします。でも相手国の通貨をもらっても、円に換えなければ日本で使うことができません。そのため相手国の通貨と円をいくらで交換するのか決まっていなければ貿易は成り立たないのです。また、相手国がとても小さな国の場合、その国の通貨で支払われても円とすぐに交換できないこともあります。そのとき、どの国にとっても喜んで受け取れる共通の通貨があるほうが便利ですよね。その世界のお金が現在はドルなのです。

第二次世界大戦前、世界のお金はポンドでした。当時イギリスは世界の海を制覇し、強い力を持っていました。ところが第二次世界大戦でヨーロッパは戦場となり、イギリスは国力を弱めていきます。そのあいだにすっかり世界で大きな力を持つようになったのがアメリカです。アメリカは戦場にならなかったため、世界中から物資の注文が殺到し、たくさんのお金や金(きん)が集まるようになりました。

そんな中、1944年7月、アメリカのニューハンプシャー州、ブレトンウッズという小さな町にあるリゾートホテルに世界45カ国の金融担当の関係者が集まり会議を開きます。もうじき戦争は終わる、貿易が再開されたときお金の支払いをどのようにするか、世界のお金をどうするかが話し合われました。当時、日本はまだ太平洋でアメリカ軍と死闘を繰り返していました。その最中、アメリカはすでに戦争後の世界経済の秩序について国際会議を開いていたのです。戦後の国際通貨体制のことを、この地名にちなんで「ブレトンウッズ体制」といいます。

この会議により、世界のお金はドルになりました。そしてドルとそれ以外の国の通貨をそれぞれいくらで交換するという仕組みができます。戦後日本も、この体制に参加します。実はこのブレトンウッズでの会議のイギリスの代表は、あのケインズでした。彼は、世界のお金をアメリカのドルだけにするとやがていろいろな矛盾が起きてくる、それはやめるべきだと主張しました。ケインズは国際決済を行うための通貨「バンコール」をつくることを提案しました。しかし、イギリスの経済力はすっかり衰え、アメリカの経済はどんどん発展していたため、ケインズの主張は受け容れられませんでした。

いま、アメリカのドルがずいぶん弱くなり、世界のお金がドルのままでいいのかと言われるようになってきています。ケインズの案を聞き入れていれば、いまのような国際通貨の混乱や不安は起きなかったかもしれないと言われるくらい、いまケインズ案は見直されています。

ドルは金の値段に固定され、世界に出回るドルは金と交換された
~経済援助と冷戦で、世界中に大量のドルが流出していった~

世界のお金がドルになった一方で、ドル自体は金の値段に固定されました。金1オンスを35ドルと決めたのです。そして、アメリカへドルを持って行けばいつでも金と交換してもらえるようになりました。たとえばフランスからアメリカへものを輸出して、フランスの企業がドルで支払いを受け取る。こうしてフランス国内にたまったドルをフランス政府がアメリカに持って行けば、いつでも金と交換してもらえるようになったのです。世界的な規模でドルを金に換えることができる、いわば国際的な規模で金本位制度が確立したことになります。それだけ世界の国々はドルに対して安心感があった、だからドルが世界のお金になったのです。

この通貨体制に伴い、各国の経済状態が悪くなった場合の混乱を防ぐため、また世界のお金の流れに混乱が起きないよう、「国際通貨基金」と「世界銀行」という2つの機関が設立されました。これがブレトンウッズ体制と呼ばれるものです。

このブレトンウッズ体制により、世界経済は安定するかにみえたのですが、やがて限界がやってきます。その原因はアメリカがドルを使いすぎてしまったことにありました。第二次大戦後、ヨーロッパは焼け野原になり、経済が大変苦しい状態になりました。このときソ連が東ヨーロッパの国々の経済再建を始めます。これをみたアメリカは慌てました。西ヨーロッパの国々が「ソ連のほうがいい」と考え社会主義の国になってしまったら大変だからです。

アメリカは資本主義のほうがいいということをかたちにする必要がありました。そして西ヨーロッパの国々に莫大な資金援助を始めたのです。これを推し進めたアメリカの当時の国務長官の名前をとって、この計画を「マーシャルプラン」といいます。注ぎ込まれたのは4年間で総額140億ドル、現在のお金でおよそ37兆円です。こうしてアメリカから大量のドルが出て行きました。この仕組みは、西ヨーロッパの国々の経済が復興し資金援助が不要になった後も残り、これが恒久的な国際組織であるOECD(経済協力開発機構)に発展しました。俗に先進国クラブといわれ、日本も1964年に加盟しています。

一方、ヨーロッパでのアメリカの影響力を懸念したソ連は、連合国軍によって分割統治されていた西ベルリンを封鎖し、東西冷戦が本格化しました。その結果、アメリカは1950年の朝鮮戦争、1960年からはベトナム戦争に介入し、軍隊の派遣や物資援助など大量のドルを注ぎ込みます。そしてベトナム戦争の悪化に伴い、アメリカ経済は弱体化していきました。

金とドルの交換停止により、ドルは信用を失っていった
~ついに固定相場から変動相場へ移行、お金は商品になった~
いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学特命教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)ほか多数。長野県出身。

いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学特命教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)ほか多数。長野県出身。

こうしてアメリカによって大量のドルが使われたため、イギリスやフランスは急に不安になってきました。世界中にこれほど多くのドルがばらまかれたら、アメリカが保有している金の量よりもドルのほうが多くなっているのではないかと考えたのです。やがてドルが金と交換してもらえなくなるのではないかという心配から、各国は自分たちの持っているドルを金と換えておこうしました。最初のうち、アメリカはドルを金にどんどん換えていましたが、このままでは金がなくなってしまうと気付きます。そして1971年、当時のニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表しました。つまり突然、金本位制ではなくなったのです。

その結果、アメリカのドル紙幣は単なる紙切れと同じになってしまいました。いつでも金と換えてもらえるという信頼があったからこそ、ドルの価値は高かったのです。ドルの信用はガタ落ちになり、世界中で大混乱が起きました。そのためニクソンショックと呼ばれています。ドルの信用は失われましたが、ほかに世界のお金として使える通貨がなかったので、その後もドルは世界のお金として使われます。ただし金との裏付けがなくなり、ドルの価値は下がっていきました。この直後に金1オンスは38ドルに上がり、その後も金の値段はどんどん上がります。逆にいえばドルの価値はどんどん下がっていきました。

この混乱をおさえるため、1971年12月、急遽アメリカ・ワシントンのスミソニアン博物館で緊急会議が開かれます。この会議で、世界のそれぞれの通貨を1ドルいくらにするか見直されました。このとき決まったもの、これを「スミソニアン体制」といいます。円は1ドル360円から308円に値上がりしました。一気に52円も円高になったのです。

それでも、もっとドルが下がるのではないかという世界の不安は消えませんでした。そこで固定相場をやめ、需要と供給によって通貨の値段が変わるようにしようということになります。そして1973年、ついに変動相場制へ移行しました。お金は商品になったのです。つまり、通貨の相場が変動するようになると、通貨を安く買って高く売るという商売の大原則がお金にも当てはまるわけです。ものやサービスとお金を交換すること、これを「買う」あるいは「売る」といいますが、円とドルを交換することも売買なのです。これが世界で大規模に行われているのが、外国為替市場です。

変動相場制に移行してから、1ドルは308円、300円、290円とどんどん円高になっていきました。ではなぜ、いまのような水準の円高にまでなっていったのか、そのメカニズムをみていきましょう。これまで日本は輸出国として、たくさんのものを輸出してきました。その典型が自動車です。日本は大変質のいい自動車をつくり、アメリカで大量に売りました。そして日本には大量のドルが入ってきます。日本の自動車会社はそのドルを円に換えますから「円買いドル売り」が起きます。このように輸出が増えれば増えるほど、円の需要は高まる。需要が高まれば値段は上がる。こうやってじりじりと円高は進んでいきました。

(おわり)

 今回の記事の内容をもっと読みたい人は、書籍『池上彰のやさしい経済学 1しくみがわかる』で詳しく解説しています。ぜひ手に取ってご覧ください。書籍では、イラストや図解、用語解説が豊富に掲載されており、ひと目でわかる工夫が随所にされております。読むだけでなく、目で見て楽しく無理なく「経済」が学べる1冊です。

[日経Bizアカデミー2012年6月29日付]

池上彰のやさしい経済学 (1) しくみがわかる (日経ビジネス人文庫)

著者 : 池上 彰
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 648円 (税込み)

池上彰のやさしい経済学 (2) ニュースがわかる (日経ビジネス人文庫)

著者 : 池上 彰
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 648円 (税込み)

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