オニツカタイガー 五輪代表支えた練習用シューズアシックスの記念館に眠るトップ狙った「UIライン」

2016/7/10
1964年に開発した「UIライン」のシューズ。奥は今のアシックスのシューズデザインの原型となったメキシコ五輪当時のシューズ
1964年に開発した「UIライン」のシューズ。奥は今のアシックスのシューズデザインの原型となったメキシコ五輪当時のシューズ

神戸市内にあるアシックス本社に隣接した「スポーツミュージアム」。米大リーグで活躍するイチロー選手のスパイクなど貴重なスポーツ用品が並ぶなか、歴史コーナーに足を運ぶと、1964年の東京五輪で日本代表選手に練習用として提供された往年の「オニツカタイガー」のシューズがひときわ存在感を放っていた。

このシューズの側面には、アシックスのシューズといえば思い浮かぶ縦2本と横2本のラインが交差するストライプが入っていない。その代わりに「青色のU、赤色のI」という2種類のラインが目を引く。青は冷静沈着、赤は若者の情熱や闘志を表しているとされる。社内では「UIライン」「オリンピックタイガーライン」と呼ばれ、同社のシューズの歴史を彩る。このUIラインの部分は履いた際に足の側面をしっかりと固定する役割も果たす。

アシックスの前身の鬼塚株式会社は49年の創業。シューズの製造を始めたのは50年だ。そんな新参の会社が製造開始から6年後の56年のメルボルン五輪で日本代表に練習用シューズを提供した。そこには創業者の鬼塚喜八郎氏の「弱い企業は強みを生かして一点突破する必要がある。五輪で目立ち、シューズ界のトップを狙う」という鋭いマーケティングセンスがあった。

大会ごとに新デザイン

「オニツカタイガー」ブランドの知名度を高めるため、鬼塚氏は「日本代表に提供するシューズの模様はその都度、変化させて、消費者の購買意欲を刺激する」という戦略を練った。今のスポーツ用品業界の発想を当時から先取りし、実際に五輪の夏季大会ごとにシューズのデザインを変えていった。初代のメルボルン五輪のシューズは単純な2本線、60年のローマ五輪で提供した製品は日の丸をモチーフにしたデザインを採用した。そして64年の東京五輪ではUIラインだった。

1964年当時のシューズを手にするアシックススポーツミュージアムの福井良守アーカイブ室長

当時、提供したUIラインのシューズは練習用だったが、陸上のスパイクなどではマラソンの銅メダリスト、円谷幸吉選手を筆頭にUIラインの入ったシューズを本番で使った選手も目立った。本番用に別のものを用意して着用したのだ。

UIラインのシューズは一般発売され、ヒットした。当時、同社の一般的なランニングシューズが1足890円だったのに対し、UIラインのシューズは2000円と倍以上だったが、五輪の日本代表選手の活躍を見た若者を中心に飛ぶように売れた。東京五輪の翌年の同社のカタログには「日本以外では10カ国14チームに当社製シューズを提供」「当社シューズを使用して獲得したメダル数は、金20、銀16、銅10」といった派手な言葉が並ぶ。このUIラインが当時のオニツカ(現アシックス)に飛躍的な成長をもたらし、同社を世界有数のシューズ販売会社に押し上げていった。

次の68年のメキシコ五輪では、同社おなじみの「アシックスストライプ」が登場した。72年のミュンヘン五輪でも当初は新デザインを検討したが、結果的に変更はしなかった。「当時、様々な会社がシューズの商標、意匠を登録申請しており、『他のデザインとの重複を避けながら新デザインを作成するよりも、アシックスストライプを大切にしよう』と判断したようだ」(福井良守アシックススポーツミュージアム・アーカイブ室長)。その後も基本的なデザインは変更されることなく、アシックスストライプは同社の「定番」として消費者に浸透し、現在に至る。

1964年モデルの復刻は困難

今では珍しいUIラインのシューズ。2020年の東京五輪に合わせて復刻販売すると人気を集めそうにも思えるが、「同業他社との権利関係などを考えると、復刻は難しい」(幹部)という事情があるようだ。

アシックスは今回のリオデジャネイロ五輪にもシューズを提供しており、この成果を見ながら4年後の東京五輪向けシューズを開発する計画だ。「TOKYO 2020」には、さらなるシューズの進化形が登場する可能性がある。「1964」を振り返りつつ、こんな期待を胸に抱きながらミュージアムを後にした。

(大阪経済部 林英樹)