起業した後に妊娠 社長が第1号のママに

2016/7/15

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日経DUAL

起業するまでの経緯や仕事と家庭の両立についてなど、多くの壁を乗り越えてきた女性起業家や社長にインタビューする。今回は、下着やコスメの企画・開発を中心に女性の美を応援するシルキースタイルの代表取締役、山田奈央子さんです。

盛岡生まれ、サウジアラビア育ち。上智大学卒業後、大の下着好きだったことから、大手下着メーカーに入社。下着の企画・開発・MDを行った後、国内メーカー・インポートランジェリーの販売も経験。Silky Styleを2006年に大学時代の友人である上田美央と設立。下着を着たときに素肌がきれいに見えるためのボディーケア商品やコスメ商品を扱い、女性の内面美と外見美のトータルビューティーコーディネートも行っている。著書に『下着の品格』(カナリア書房)

海外での経験で、自分らしい生き方を考えるように

小学校に入るまでサウジアラビアに住んでいた山田さん。世界各国から人が集まる環境で幼少期を過ごしたことで、人生の価値観形成がされたといいます。

「黄色人種ということで、クラスメートから人種差別を受けていました。暑い国なので毎日プールがあり、そのたびに『プールに入ると水が黄色くなるから入るな』と言われて。いじめられてつらかったけれど、そのときに自分の中で負けず嫌いが芽生え、人種や性別で人に左右されない生き方がしたい、と思うようになりました」

一方、母親の教えも起業家マインドにつながったそう。

「海外のママ達は働きながら育児をして、ボランティアもして、とマルチにこなされていて。うちの母だけが専業主婦で、肩身の狭い思いをしていたんでしょうね。『これからの時代は、自分の好きなことを見つけて一生働き続けないと世界で生き残っていけない』と母から強く言われました。それから何をするか分からないけれど、自分ならではの生き方を見つけよう、と考えるようになりました」

大手下着メーカーに入社。社内に託児所を作って欲しいとプレゼン

山田さんが社会人として一歩を踏み出したのは、大手下着メーカーの商品企画でした。

「女性共感企業という経営理念に引かれて2002年に入社したのですが、当時は男性社会で。配属された開発部は私以外全員男性。商品企画を提案しても男性上司に却下される日々に、『ブラジャーを着けていない人に何が分かるの』と思っていました」

やりたいこともできないし、働く女性のロールモデルもいない、という状況にもんもんとする日々。そんな中、入社1年目にして人事に社内託児所を作ってほしいとプレゼンしたそう。

「私が結婚し出産したときに、このままではこの会社で働き続けられないと思ったんです。そうしたら、新入社員は生意気なこと言うな、おまえはまず会社のことを覚えろ、と言われました。今思うと、私もまっとうなことを言っているんですが、人事の言うこともまっとうでした(笑)」

社内で新規事業を立ち上げ。他社の先輩女性がロールモデルに

次第に自分の企画が通るようになり、社会人4年目のときに一人で新規事業を立ち上げた。

「Hime&Companyの社長だった平舘美木さんとコラボレーションをしてルームウエアを開発しました。企画して商品を作り、プレス発表会をして……。一人でやろうと思えばできる、こういう仕事を自分でやりたい、と思うようになりました」

当時は、小室淑恵さんが資生堂で新規事業を立ち上げた後、会社を辞めたころ。社内にいなかったロールモデルを他社の先輩女性に見いだしたといいます。

「たまたま大学生のときに経沢香保子さんを紹介してもらったり、社会人1年目のころに小室淑恵さんと知り合ったりして。自分の生き方を貫く女性はかっこいいと思い、自分の中で起業という選択肢が芽生えてきました」

当てもないまま会社を退職

そのころ、山田さんはペンネームで下着に関するブログを書いていた。

「ラグジュアリーブランドの開発を担当していたのですが、全然売れずに大赤字。周りの友人に何で売れないのか聞いてみると、下着なんて何でもいい、ブラジャーなんて3日間同じものを着ける、などと言われて驚きました。私は、学生時代にアルバイトでためたお金を全部つぎ込むくらい下着が大好き。それなら下着の大切さをみんなに伝えようと思ったのがきっかけです」

すると、ブログを見た女性誌の編集者から下着の特集を監修してほしいと依頼され、会社にいながらペンネームで活動することに。その後も各社から依頼が舞い込み、ついに出版のオファーも来たそう。

「さすがに本を出すなら上司に言わないとまずいと思って相談したら、却下されたんです。好きなことさえ書けないならもう会社を辞めようと決意し、辞表を提出。26歳なら失敗しても転職できるだろうと思ったので、とくにやることは決めていませんでした」

■偶然の出来事をきっかけに、大学時代の友人と起業

ちょうど同じころ、大学時代の友人が外資系証券会社を退職。2人とも化粧品が大好きで、自分達が欲しいと思うものがない、とよく話していた間柄だった。

「静岡の温泉へ遊びに行ったときに、良いマッサージソルトに出会って。その友人にお土産として買っていったら、たまたま彼女もちょっと前に同じ温泉に訪れていて、同じものを私にお土産として買ってかえっていたんです! 偶然の出来事に盛り上がり、こんな商品を作りたい、という話になりました」

2人とも化粧品を作ったことがなかったため、まずは商品パッケージに書いてある製造元に電話すると、商品を広めてくれる女性をちょうど探していたところで、まずは代理店からやりませんかと提案されたそう。そこで、代理店業務を行うため、「シルキースタイル」を立ち上げたという。

■順調に滑り出すが、お金もなく、人もいない中でキャパオーバー

起業してまず最初に行ったのは、求人広告を出すこと。

「先輩経営者に、『お金はなくてもいいから最初から絶対に人を雇いなさい。人を雇うと必死に売り上げを立てようとするから』とアドバイスされたんです。そうしたら、たった1人だけ求人広告を見て電話してくれた女性がいて。電話番にもならないかもしれないけれどいいですか、とお願いして働いてもらうことになりました」

最初は電話が1本もならない状態だったが、彼女の給料を払わないといけないと思い、必死に飛び込み営業を続けていたそう。そんな矢先に目に留まったのが、新聞に掲載されていた生活雑貨を扱う「LOFT(ロフト)」の記事だ。

「今までは本部にバイヤー機能があり、そこで商品が決まったら支店に下りていくという流れだったのが、規模が大きい池袋店と渋谷店は各店舗のバイヤーが決定権を持つ、という内容でした。『これだ!』と思って電話をしたら、電話をかけてくれたのは君だけだから来てと、渋谷店のコスメ担当の営業部長に呼んでもらえました」

すぐに会いに行ったところ、商品を気に入った営業部長が本部に伝えてくれ、ロフトでの全国展開がいきなり決定。4月に起業したのもつかの間、GW前から全国展開をスタート、順調な滑り出しのはずだった。

「『ロフト』の場合、最初の販売時は各店舗の店頭イベントやキャンペーンなどに行かなければなりません。北海道や仙台、福岡などにも店舗があり、さすがに全店は行けないと思ったので、人材派遣の会社を探して販売をお願いしました。すると派遣スタッフの商品知識がない、遅刻してくる、など各店舗からクレームが来てしまって。結局クレーム対応で謝りに行くために全国を回らなければいけなくなり、ついでに販売にも立つという生活をしていたら、体を壊しました」

お金もなく、人もいない中でキャパシティーを超えたことをやってしまったのがよくなかったと反省。全国展開をやめて首都圏だけに絞って販売することにし、ようやく仕事が回るようになったという。

国際的に活躍したい女性経営者や女性リーダーと在日大使館を繋げる「大使館プロジェクトport」の代表も務める

アイデアを提供し、メディアを使ってヒット商品を生み出す

会社が安定してきたのは、起業して4~5年目のころ。テレビショッピングや女性誌の通販など、メディアを使って商品をヒットさせていくというスタイルに変えてから業績が向上した。

プロデュースする商品は、女性の美容や健康にまつわる領域に特化。ママ向けのシルクランジェリー「la port(ラポール)」など、オリジナル商品の企画・開発・販売も行っている。その経験を生かし、メーカーの企画段階から入って一緒に売れる商品を作り、シルキースタイルがテレビショッピングなどで販売する、という形が多いという。

「製品開発力はあるけれど、アイデアがなくてうまく商品化できない、という相談をよくいただきます。そこで、バイヤーが欲しいもの、世の中に受け入れられるものを前提に商品を企画すると、ヒットの確率が上がります。そのためには日ごろからお付き合いのあるバイヤーに話を聞いたり、雑誌やテレビでトレンドをチェックしたり、常に情報収集を行っています」

取引先には妊娠したことを告げず、出産3日前まで全力投球

現在、従業員数は14名。そのうちママは4名いて、山田さんは社内で初めて出産した第一号ママだ。

「結婚は創業してすぐの27歳のとき。それから仕事も楽しく、日々忙しかったので子どもをつくろうと思っていませんでした。34歳まで一度も産婦人科に行ったことがなく、知人に一度ちゃんと見てもらったほうがいいと言われて受診したんです。そうしたら子宮の病気が見つかって。医者から出産すると症状が軽くなると言われて、初めて妊娠を真剣に考えました」

その後、めでたく第1子を妊娠。すると社内は不穏な空気に包まれた。

「小さい会社なので、みんなが今後どうなるのか不安になってしまって。共同経営者からも『会社はどうするの? 辞めるの?』と詰め寄られて。みんなを食いっぱぐれさせてはいけない、とりあえず1年分の売上げを立てようと思い、今までにない会社の売り上げを実現しました」

それからも取引先には妊娠したことは告げず、いつも以上に働いたそう。

「一度、取引先の男性担当者に妊娠を告げたら、イベントをやめようと言われたのがものすごくショックで。その方に悪気はなかったと思うのですが、それにより会社の売り上げが立たなくなると死活問題。なるべくだぼっとした洋服を着て、かばんでおなかを隠して。出産3日前まで働きました」

産後3週間で仕事復帰。子どもを連れて会社へ

産院も電話やPCが使えるよう、個室を予約。出産当日もメール対応をし、産後3週間で子どもを連れて出社しました。

「仕事をしていたせいか、産後の肥立ちが悪いとか寝不足とか、全然ありませんでした。気絶したように寝ていたので、子どもが泣いていたのにも気づいていなかったかもしれません(笑)」

保活を頑張ったけれど空きがなく、6カ月のころにようやく保育園に入ることができた。

「保育園のお迎えの時間に間に合わないということもしょっちゅう。仕事を取るか、子どもを取るか、という選択を迫られることもありました。そこで勇気を振り絞って、友人からシッターを紹介してもらいました。多少お金はかかってしまいますが、1人いただけで心のゆとりが全然違う。自分の時間も気持ちの余裕も手に入ったし、家もきれいになったし、すべてがハッピーになりました」

2015年、第2子も誕生。ベビーシッターに加え、港区が行っている「子むすび」という育児サポートも利用しながら、2人の子育てと社長業を両立させている。

「自分のやりたいことが手に入るなら、アウトソーシングをどんどん活用したほうが良いと思います。また、夫のサポートも大切。夫はもともと家事や料理が大好きで、おまえが稼いでくれるなら、俺が主婦になるよ、と言うのが口癖。育児にも協力的で助けられています。今後の目標は、“女性のビューティーとキャリアを継続できる社会をつくる”という会社のミッションを実現すること。育児や介護などで、様々な働き方をしながら活躍する女性を応援したいです。一緒に商品開発を行ったり、メディアでプロデュースをしたり。これからも輝く女性を応援していきたい」

(ライター 平野友紀子)

[日経DUAL 2016年5月25日付記事を再構成]