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石油元売り国内2位の出光興産と5位昭和シェル石油との合併に、出光創業家が反対を表明しました。社員を家族と見なす「大家族主義」に象徴される企業文化などが大きく異なり、合併による相乗効果が得られないとの主張です。小説「海賊とよばれた男」のモデルにもなった創業者の故・出光佐三氏はかつて「親類の中には必ずいざこざがある。また兄弟肉親の中にもいざこざはあるものだが、うちにはそれが全然なかった」(「私の履歴書」第1回)と語っていました。佐三氏が1956年(昭和31年)に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」に出光興産のルーツを探ります。

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出光興産の起点は九州・門司の石油販売店です。新興勢力と異端視されながら元売り大手に成長しました。原点は1953年、佐三氏が英国の厳戒をかいくぐりイランから原油を輸入した「日章丸事件」です。

私は朝鮮、満州、中国、台湾といった地域での体験からみても、石油市場というものはややもすれば独占されて値段がつり上げられる、これが常識である。ところが日本は、戦前はわれわれの先覚者が安い油を作って石油カルテルの独占から逃れていた」(「私の履歴書」第9回)

戦前、中国大陸に着目し、終戦までに中国、台湾、朝鮮にネットワークを張り巡らせた出光。戦後も日本石油をはじめ同業が外資系と提携するなか、出光は独自路線を堅持しますが、「外国会社からみれば、じゃまになってしょうがない。出光をたたきつぶせというわけで、しまいには12社対1社ということになってしまった。出光としてはまずいが節を曲げないで闘ったので非常な苦境に陥った」(同)

そんなとき、「ぽこっと出てきた」のが石油資源国のイランでした。

当時、イランは石油国有化で英国などと対立。「イランは石油を売るところがない。世界の石油市場は米国とソ連圏を除いたら、全部の石油の売る市場は石油カルテルに独占されている。誰も買う人がない」(同)と注目したのが佐三氏でした。出光は53年、英国艦隊による海上封鎖をかいくぐり大型タンカー「日章丸」でイラン産原油の輸入を強行、業界を驚かせました。これが「日章丸事件」です。

この原油輸入は国際的な訴訟となります。「『その石油はドロボウ品』と英国からインネンをつけてきた。『何をいうか。こっちは金はちゃんと払っているのだ』と受け付けない。そのうちに裁判になった」(「私の履歴書」最終回)

後に裁判は出光の勝訴に終わります。佐三氏は連載をこう締めくくっています。「こうして私の事業も幾変遷の後、やっと軌道に乗ってきた。私は今後は何もいままでのことにとらわれないで、出光個人の感情ではなく、私たちの仕事は国家の仕事であるという見地から仕事をすすめて行きたいという気持をもっている」(同)

出光家の突然の反対により、2017年4月に予定する昭和シェル石油との合併計画の先行きは不透明となりました。国内エネルギー業界への影響が注目されます。

私の履歴書復刻版「出光佐三」一覧

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