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「万田酵素」を使って栽培したジャンボ大根を担ぐ万田発酵の松浦良紀社長

「万田酵素」を使って栽培したジャンボ大根を担ぐ万田発酵の松浦良紀社長

かつては「村上水軍」、造船の島として栄えた瀬戸内海の因島(広島県尾道市)。その島に本社を置く健康食品メーカーの万田発酵は7月15日に新工場の竣工式を開く。53種類以上の植物性原材料を長期間発酵、熟成した「万田酵素」を国内外で販売している。松浦良紀社長は創業2代目だが、経営危機に陥った同社を継承し、販売改革を断行して再び成長軌道に乗せた。松浦社長に再建の道程を聞いた。

――松浦さんは、大学卒業後に父親が創業した万田発酵に入社しましたが、会社はその直後に経営危機に陥りました。

だまされた気分でした。学生時代は「万田酵素」が売れて、父が海外を飛び回っているなど、景気のいい話ばかり聞かされていた。しかし、そのころは深刻な経営不振に陥っていたんです。もともと万田発酵は支店を全国展開し、薬局などに卸売りしていました。バブル期には25億円ほどの年商に成長したが、伸び悩み、それでも支店を22店に増やす拡大戦略をとったんです。これで投資がかさんだ。2000年ごろには、年商より借入金のほうが上回っていた。

入社したときは営業をやっていましたが、仕事も過酷でした。2代目だからと甘やかされるどころか「営業は歩いて何ぼ」としごかれた。東急田園都市線沿線の青葉台駅(横浜市)辺りだと、坂が多いんですが、3駅間は歩いて薬局などをくまなく営業する。まず駅前の電話ボックスの電話帳で調べて、どぶ板営業ですね。

――入社して短期間で、副社長になり、実質的に経営を担いますね。

2004年ぐらいには経営が立ち行かなくなった。それでメーンの広島銀行、中国銀行など7つの金融機関で再建チームをつくったのですが、(社長の)父は誰の助言も聞かない。息子の僕なら、銀行もいうことを聞くだろうと。ただ、金融機関間の調整もあり、資金繰りのめどが立たず、本当に危ない状況になった。

――経営危機の中、社長になったのは35歳。どう乗り切ったのですか。

資金繰りのために全国を飛び回りました。地獄の日々どころじゃなかった。そこに救世主が現れたんです。富山を本拠とする会社の会長です。取引先の知り合いの会社で、初対面で富山に資金援助のお願いに行った。2日間通って必死で説明したら、「経営がダメだが、モノはいい」とポンと資金を融通してくれたんです。

――初対面なのに、なぜ資金支援してくれたのですか。

いや、実はよく分かりません。「万田酵素」という商品もご存じではなかったし。ただ、その方は若い頃大変な苦労をされていて、若くてまじめな経営者を他にも10社ぐらいだったと思いますが、支援されていました。直感だったのだと思います。

――当座の資金繰りのメドは立ちましたが、抜本的な経営改革をしないといけない。どう改革しましたか。

これまでは卸売りのBtoB(企業間取引)モデルでしたが、この方式では顧客の声がよく分からない。商品のクレームも含め、真の顧客の意見を聞かないと、モノは売れないと気づきました。ダイレクトマーケティングに切り替えるため、通販をしようと考えました。しかし、父も社員も金融機関も全員に反対されました。誰1人味方はいなかった。築き上げてきた従来の販売網を壊したくないからです。

――味方はゼロなのに、どうやって通販事業を始めたのですか。

もうやるしかないんです。20歳代のフットワークの軽い営業マン1人を勝手に指名し、2人で通販をスタートしました。コストはかけられないので、2人で折り込みチラシを作製し、配りました。最初は静岡などの地方でやりました。

――成果はどうでしたか。

最初は全然ダメでしたね。しかし、顧客の反応が直接分かるので、すごくやりがいを感じたんです。徐々に拡大し、折り込みチラシから新聞、テレビ、そしてネットと媒体を順次広げていきました。

――売り上げは100億円を突破していますが、通販の手ごたえを感じたのはいつごろですか。また、今後の課題は?

手ごたえを感じたのは2010年ごろだったと思います。知見も広がり、データ分析にも磨きかかってきた。新聞社もA社に出すと、最初の反応はいいが、短期間で解約になるケースが多いとか、B社は顧客になる人は少ないが、長期間の顧客になりやすいとか、わかってきたころです。

今後の課題は、ネット通販の強化ですね。ただ、ネットを見てお試しの人は来るけど、その後、顧客になってくれる人は少ないとか、まだまだですね。

――海外市場を開拓中ですが、壁も少なくないですね。

たくさんあります。欧州ではドイツ中心、アジアでは韓国、台湾、マレーシアが販売先の中心ですね。米国のニーズは強いですが、法的なリスクが高い。中国でも売って欲しいという要望が強いのですが、模倣品等のリスクもあるので、慎重に考えています。しかし、海外市場はまだまだ開拓の余地があります。因島に新工場が建設しましたが、将来は、日本から半製品をアジアなどの海外へ輸出し、最終製品を現地で生産し、周辺国に供給したいと考えます。

――かつて万田酵素を使って、「ジャンボ大根」など巨大な野菜をつくれることが話題になりました。ただ他の商品開発は課題です。

いまや大根は56キログラムのものもあります。植物用万田酵素には種の持つ力を引き出す効果があると考えていますが、そのメカニズムはまだ解明されていません。外部機関と研究中です。確かに万田酵素の単品経営だという指摘をよく受けます。万田酵素は父が開発し、地道な営業活動で商品の評判も高まり、全国に顧客が広がりました。この発酵技術を磨き、美容食品などにも広げていきたい。畜産など農業、水産分野も開拓しています。ただ、原料の確保など、量産化の課題も多い。原料はりんご、パイナップルやかんきつ類のみならず、マタタビなど調達が難しいものもありますから。

――他にも課題はありますか。

やはり成長戦略を進めるうえで、人材の確保ですね。本社が因島ですから、人材確保も容易ではない。島の人口はどんどん少なくなって、小中学校なども次々統廃合されています。今は、新卒採用も全国を対象に積極的に行っています。

――因島は昔は「村上水軍」の本拠地の一つとして、一昔前は造船の島として知られましたが、過疎化が進んでいます。

しかし、我々は因島にこだわっています。瀬戸内海の気候は温暖で、雨が比較的少なく、うちのような発酵食品をつくるのには最適な環境なんです。

――株式公開(IPO)は予定していないのですか。

それはないです。証券会社の方から何度もお誘いがあるたびに断っています。上場すると、経営の自由度が限定される。発酵製品は製造期間が3年以上と長い、短期的に成果を上げることについて株主からご指摘をいただいても困りますから。

――先代はまだ経営に関わっていらっしゃいますか。

父は万田酵素の開発に人生のすべてをかけた人です。家族のこともかまわなかったですね。しかし、役員も退任し、最近は経営以外での助言はありますが、もう任せてくれています。

松浦良紀氏(まつうら・よしのり)
1970年広島県因島市(当時)生まれ。2000年に万田発酵に入社。副社長を経て05年、35歳で社長就任。

(代慶達也)

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